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事件は7月29日に起こりました。
通州虐殺に参加したのは第1総隊、第2総隊、教導総隊の3つの部隊約3000名で、午前0時に行動を開始しました。
まず城門を閉鎖し、電話線を切断して外部との連絡を遮断しておき、午前3時に日本軍守備隊を襲って制圧し、10名ほどの要員からなる特務機関を全滅させました。
ついで青竜刀と銃剣で武装した反乱軍は、無辜の民間人を襲いました。日本人の住む家屋はことごとく襲撃の対象となり、家から日本人が次々引き出され、凌辱され、惨殺されました。この実行部隊となったのは教導総隊の学生服を着た部隊でした。
虐殺の場では支那人の居住者が多数見物していましたが、保安隊の蛮行を制止する者はいませんでした。
通州城新南門を描いた絵葉書
通州城壁の日本兵たち
事件の実態は、脱出者の手記、生存者の証言、事件後現場に入った日本軍部隊の責任者の東京裁判における証言などによって知られてきましたが犯行現場を直接目撃した人はいませんでした。
それが1990年代になって、虐殺の現場を同時進行で目撃していた人物──佐々木テンという日本人女性──がその体験を詳細に証言していた事が分かります。
この女性は大分県出身で、支那人の夫と通州で事件に遭遇します。事件の時は支那人を装い、夫の肩越しに現場を目撃していたのでした。
その後支那人が信じられなくなり、夫と離婚して事件の数年後に帰国します。
晩年、故郷に近い別府に住み、そこで知り合った佐賀県基山町因通寺の調寛雅(しらべかんが)住職に、事件の記憶を語っていた、その内容が1997年に「天皇さまが泣いてござった」(教育社)という本にまとめられ、数十年経って通州事件の細部が明らかにされたのでした。
(この本はすでに絶版になっており、藤岡信勝編・著「通州事件 目撃者の証言」というブックレットが出ています)
七月二十九日の朝、まだ辺りが薄暗いときでした。
突然私は沈さんに烈しく起こされました。
大変なことが起こったようだ。早く外に出ようと言うので、私は風呂敷二つを持って外に飛び出しました。
沈さんは私の手を引いて町の中をあちこちに逃げはじめたのです。町には一杯人が出ておりました。そして日本軍の兵舎の方から猛烈な銃撃戦の音が聞こえて来ました。
でもまだ辺りは薄暗いのです。
何がどうなっているやらさっぱりわかりません。
只、日本軍兵舎の方で炎が上がったのがわかりました。
私は沈さんと一緒に逃げながら、
「きっと日本軍は勝つ。負けてたまるか」という思いが胸一杯に拡がっておりました。でも明るくなる頃になると銃撃戦の音はもう聞こえなくなってしまったのです。
私はきっと日本軍が勝ったのだと思っていました。
それが八時を過ぎる頃になると、シナ人達が、
「日本軍が負けた。日本人は皆殺しだ」と騒いでいる声が聞こえて来ました。
突然私の頭の中にカーと血がのぼるような感じがしました。
最近はあまり日本軍兵舎には行かなかったけれど、何回も何十回も足を運んだことのある懐かしい日本軍兵舎です。
私は飛んでいって日本の兵隊さんと一緒に戦ってやろう。
もう私はどうなってもいいから最後は日本の兵隊さんと一緒に戦って死んでやろうというような気持ちになったのです。
それで沈さんの手を振りほどいて駆け出そうとしたら、沈さんが私の手をしっかり握って離さないでいましたが、沈さんのその手にぐんと力が入りました。
そして、
「駄目だ、駄目だ、行ってはいけない」
と私を抱きしめるのです。
それでも私が駆け出そうとすると沈さんがいきなり私の頬を烈しくぶったのです。
私は思わずハッして自分にかえったような気になりました。
ハッと自分にかえった私を抱きかかえるようにして家の陰に連れて行きました。
そして沈さんは今ここで私が日本人ということがわかったらどうなるかわからないのかと強く叱るのです。
それで私も初めてああそうだったと気付いたのです。
私は沈さんと結婚してシナ人になっておりますが、やはり心の中には日本人であることが忘れられなかったのです。
でもあのとき誰も止める者がなかったら日本軍兵舎の中に飛び込んで行ったことでしょう。
それは日本人の血というか、九州人の血というか、そんなものが私の体の中に流れていたに違いありません。
それを沈さんが止めてくれたから私は助かったのです。
通州城内地図
旧南門を出た城外にあった冀東(きとう)保安隊幹部訓練所
壁に残る無数の弾痕
八時を過ぎて九時近くになって銃声はあまり聞こえないようになったので、これで恐ろしい事件は終わったのかとやや安心しているときです。
誰かが日本人居留区で面白いことが始まっているぞと叫ぶのです。私の家から居留区までは少し離れていたのでそのときはあまりピーンと実感はなかったのです。
そのうち誰かが日本人居留区では女や子供が殺されているぞというのです。
何かぞーっとする気分になりましたが、恐ろしいものは見たいというのが人間の感情です。
私は沈さんの手を引いて日本人居留区の方へ走りました。
そのとき何故あんな行動に移ったかというと、それははっきり説明は出来ません。
只何というか、本能的なものではなかったかと思われます。
沈さんの手を引いたというのもあれはやはり夫婦の絆の不思議と申すべきでしょうか。
日本人居留区が近付くと何か一種異様な匂いがして来ました。
それは先程銃撃戦があった日本軍兵舎が焼かれているのでその匂いかと思いましたが、それだけではありません。
何か生臭い匂いがするのです。
血の匂いです。人間の血の匂いがして来るのです。
しかしここまで来るともうその血の匂いが当たり前だと思われるようになっておりました。
沢山のシナ人が道路の傍らに立っております。
そしてその中にはあの黒い服を着た異様な姿の学生達も交じっています。いやその学生達は保安隊の兵隊と一緒になっているのです。
そのうち日本人の家の中から一人の娘さんが引き出されて来ました。十五才か十六才と思われる色の白い娘さんでした。
その娘さんを引き出して来たのは学生でした。そして隠れているのを見つけてここに引き出したと申しております。
その娘さんは恐怖のために顔が引きつっております。
体はぶるぶると震えておりました。
その娘さんを引き出して来た学生は何か猫が鼠を取ったときのような嬉しそうな顔をしておりました。そしてすぐ近くにいる保安隊の兵隊に何か話しておりました。
保安隊の兵隊が首を横に振ると学生はニヤリと笑ってこの娘さんを立ったまま平手打ちで五回か六回か殴りつけました。
そしてその着ている服をいきなりバリバリと破ったのです。
シナでも七月と言えば夏です。暑いです。
薄い夏服を着ていた娘さんの服はいとも簡単に破られてしまったのです。
すると雪のように白い肌があらわになってまいりました。娘さんが何か一生懸命この学生に言っております。
しかし学生はニヤニヤ笑うだけで娘さんの言うことに耳を傾けようとはしません。
娘さんは手を合わせてこの学生に何か一生懸命懇願しているのです。学生の側には数名の学生と保安隊の兵隊が集まっていました。
そしてその集まった学生達や保安隊の兵隊達は目をギラギラさせながら、この学生が娘さんに加えている仕打ちを見ているのです。
学生はこの娘さんをいきなり道の側に押し倒しました。そして下着を取ってしまいました。娘さんは「助けてー」と叫びました。
と、そのときです。一人の日本人の男性がパアッと飛び出して来ました。そしてこの娘さんの上に覆い被さるように身を投げたのです。
恐らくこの娘さんのお父さんだったでしょう。
すると保安隊の兵隊がいきなりこの男の人の頭を銃の台尻で力一杯殴りつけたのです。
何かグシャッというような音が聞こえたように思います。頭が割られたのです。
でもまだこの男の人は娘さんの身体の上から離れようとしません。保安隊の兵隊が何か言いながらこの男の人を引き離しました。娘さんの顔にはこのお父さんであろう人の血が一杯流れておりました。
この男の人を引き離した保安隊の兵隊は再び銃で頭を殴りつけました。パーッと辺り一面に何かが飛び散りました。恐らくこの男の人の脳髄だったろうと思われます。
そして二、三人の兵隊と二、三人の学生がこの男の人の身体を蹴りつけたり踏みつけたりしていました。服が破けます。肌が出ます。血が流れます。
そんなことお構いなしに踏んだり蹴ったりし続けています。
そのうちに保安隊の兵隊の一人が銃に付けた剣で腹の辺りを突き刺しました。血がパーッと飛び散ります。
その血はその横に気を失ったように倒されている娘さんの身体の上にも飛び散ったのです。
腹を突き刺しただけではまだ足りないと思ったのでしょうか。今度は胸の辺りを又突き刺します。
それだけで終わるかと思っていたら、まだ足りないのでしょう。又腹を突きます。胸を突きます。何回も何回も突き刺すのです。
沢山のシナ人が見ているけれど「ウーン」とも「ワー」とも言いません。この保安隊の兵隊のすることをただ黙って見ているだけです。
その残酷さは何に例えていいかわかりませんが、悪鬼野獣と申しますか。暴虐無惨と申しましょうか。あの悪虐を言い表す言葉はないように思われます。
この男の人は多分この娘さんの父親であるだろうが、この屍体を三メートル程離れたところまで丸太棒を転がすように蹴転がした兵隊と学生達は、この気を失っていると思われる娘さんのところにやってまいりました。
この娘さんは既に全裸になされております。そして恐怖のために動くことが出来ないのです。
その娘さんのところまで来ると下肢を大きく拡げました。そして陵辱をはじめようとするのです。
シナ人とは言へ、沢山の人達が見ている前で人間最低のことをしようというのだから、これはもう人間のすることとは言えません。
ところがこの娘さんは今まで一度もそうした経験がなかったからでしょう。どうしても陵辱がうまく行かないのです。
すると三人程の学生が拡げられるだけこの下肢を拡げるのです。
そして保安隊の兵隊が持っている銃を持って来てその銃身の先でこの娘さんの陰部の中に突き込むのです。
こんな姿を見ながらその近くに何名ものシナ人がいるのに止めようともしなければ、声を出す人もおりません。ただ学生達のこの惨行を黙って見ているだけです。
私と沈さんは二十メートルも離れたところに立っていたのでそれからの惨行の仔細を見ることは出来なかったのですが、と言うよりとても目を開けて見ておることが出来なかったのです。
私は沈さんの手にしっかりとすがっておりました。目をしっかりつぶっておりました。
するとギャーッという悲鳴とも叫びとも言えない声が聞こえました。私は思わずびっくりして目を開きました。
するとどうでしょう。保安隊の兵隊がニタニタ笑いながらこの娘さんの陰部を切り取っているのです。
何ということをするのだろうと私の身体はガタガタと音を立てる程震えました。
その私の身体を沈さんがしっかり抱きしめてくれました。見てはいけない。見まいと思うけれど目がどうしても閉じられないのです。ガタガタ震えながら見ているとその兵隊は今度は腹を縦に裂くのです。
それから剣で首を切り落としたのです。
その首をさっき捨てた男の人の屍体のところにポイと投げたのです。投げられた首は地面をゴロゴロと転がって男の人の屍体の側で止まったのです。
若しこの男の人がこの娘さんの親であるなら、親と子がああした形で一緒になったのかなあと私の頭のどこかで考えていました。
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「慟哭の通州」著者の加藤康男氏によると
日本政府は戦後一貫して
通州事件のことを口にしていないそうです。
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