柴又帝釈天 題経寺(葛飾区) | ハニーちゃんがゆく!

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令和2年7月18日参拝
柴又駅の改札を出たら家出する寅さんをさくらさんが見送るところでした Ꙭ
男はつらいよシリーズを観たことないけど名シーンなんでしょうね!


寅さんが向かっているのは関東の駅百選に選ばれた柴又駅。
選定の決め手はよく分かりませんけど飾り気のない美しさでしょうか?



知ってる知ってるこの文句。
わたしソラで言えるもんね。


そんな超名作「男はつらいよ」の舞台となる柴又の名所といえば帝釈天!
京成電鉄金町線柴又駅下車、
帝釈天参道をゆ〜っくり歩いても5分です。



柴又街道を渡るとお店が増えてガラッと雰囲気が変わります。


帝釈天の参道には〝寅さんの実家〟設定の団子屋が点在していて実際にロケ現場となったお店もあるんです。
寅さんの実家その①とらやでは昔ながらのクリームあんみつを食べました!


突き当たりが帝釈天の山門。
何枚か撮ったうちこれが一番好き。

二天門

柴又帝釈天として知られる題経寺は寛永6年(1629)に創建された日蓮宗の寺院です。

水舎からもう彫刻と組物がすごい

中山法華経寺第19世の禅那院日忠上人の弟子にあたる日栄上人がこの地に訪れ瑞龍の松の下に湧水を発見しました!

帝釈堂と瑞龍の松


直ちに日忠上人に報告して小庵を結んだのが題経寺のはじまりです。
どうやらこの御神水が創建にまつわる湧水のようなんですよね。



詳細は分からないけど〝祈祷によって帝釈天が出現し御神水が湧き出る様子〟の絵(下)にそっくり!‥とまあ、
手なにかと「帝釈天」が話題の中心になりますが題経寺の本尊は帝釈天ではありません。



なぜ柴又帝釈天と呼ばれているのか?
宗祖日蓮さん御親刻の帝釈天の板本尊が長らく行方不明になっていたのが庚申の日に発見されたそうで、
近世から民衆の間で大流行していた庚申信仰と帝釈天の出現が合致してバズっちゃったというわけなんですね。
というわけで題経寺の御縁日は庚申の日だそうです。

駅で見かけたホーローの看板

あと庚申に出現といえば富士山ね。
境内の隅にいる仏像さんは神仏分離令で富士山から降ろされたものとみられています。
昔、山頂には大日堂と薬師堂が建っていたというからもしかしたらもしかするの?
他にも富士山麓には廃されたお堂がたくさんあるからそっちかも知れないけどね。



柴又帝釈天題経寺の御朱印です。
日蓮宗のお寺で御首題もありますが、
新型コロナ感染症の終息まで御朱印帳を持ち込んでも直書きはなさそうですのでご注意を。

* 書置きです

そんなわけで、
お参りのあとは楽しみにしてた彫刻の見学です。



わたし的に渡り廊下の帝釈天縁起みたいな欄間彫刻が素晴らしかった!
帝釈天の出現からお坊さんが人々の心を惹きつける様子が直感的に伝わってきた!



拝観受付からはじめに大客殿と回廊式庭園をぐるっと見学します。
「どこ写真撮ってもいいですよ〜」
そんなこと言われると逆にどこ撮ったらよいものか (๑´▽`๑)


横山大観の屏風絵か!


この部屋は大南天の床柱が見どころなのでしょうがどうしてもお曼荼羅に目がいきます Ꙭ
経机もどっしりと高級すぎん‥。
この日の写真で特にガン見してる一枚。


いよいよ彫刻見るよ。
外からうっすら見えますがホントすごいw



〝彫刻ギャラリー〟だなんて恐れ多い。
レリーフの域を超えてますから‥!


ガラス張りの中は隅々まで見学できるよう一階・二階と分かれています。



彫刻のテーマは法華経説話なんですって。
題経寺第16世日済上人の発案で大正11年より東京在住の彫刻家十人に依頼して制作が始まるのですが、
大正12年の関東大震災で欅材を焼失するなどの中断があり、
昭和9年ようやく完成したそうです。


ただ圧倒されただけの前回より彫刻を楽しめた気がする。
法華経を勉強してもっと感性磨いて10年後とかにもう一度見たいっ。

象に乗ってるの帝釈天じゃなくて普賢菩薩だった〜

ちょっと‥印相がパリピ。
楽しそう〜 🤟🤟


うぇーい ♪ 🤟🤟


また一階に戻って2周しました ((๑ ́ᄇ`๑))



あ、ここまで帝釈天堂で、
本堂は境内南側なのです。
忘れずに合掌お願い

祖師堂(本堂)・開山堂

再びの参道。
寅さんの実家②くるまや
こちらも団子屋さんです。


ガラガラ w(*゚o゚*)w
貸し切りだなんてもったいないね〜(なんだか申し訳ないわね〜的な意味の)。



きざみ海苔の団子をいただきました!
これが食べたくて柴又に来た♡



■経栄山題経寺(柴又帝釈天)
東京都葛飾区柴又7-10-3