マクリーン事件を詳しく読む(1) 事案編 | 憲法判例解説

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外国人の人権を考える上で、必ず押さえなくてはならないのが、有名なマクリーン事件(百選Ⅰ‐2、最大判昭和53・10・4)です。



この事件は、概要、以下のような事案です。

アメリカ合衆国民のマクリーンさんは、日本に入国を認められ、ベルリッツ語学学校に英語教師として雇用されましたが,入国後17日間で同校を退職,他の同種の語学学校に転職しました(無届)。


マクリーンさんは日本にいる間、外国人ベ平連に所属し,ベトナム反戦,出入国管理法案反対,日米安保条約反対等のデモや集会に参加しました。


さて、マクリーンさんは昭和45年5月1日,法務大臣に対し1年の在留期間の更新を申請した。しかし、法務大臣は、出国準備期間として9月7日まで120日間の更新を許可したのみで,これ以降の更新は不許可としました。


そこでマクリーンさんは、この処分の取消を求めて争いました。




それでは、もう少し詳しく、事案を見てみましょう。






アメリカ合衆国国籍をもつロナルド・アラン・マクリーンさんは、ハワイ大学美術科を卒業。在学中から、日本の古典芸能に関心が強く、琴や琵琶の研究を志していました。彼は、卒業後、公立学校の教師などを経て、アジア平和奉仕団の一員として韓国に滞在し英語を教え、その後、日本に在留しました。日本では、英語教師として、ベルリッツ語学学校、ついで、財団法人英語教育協議会(エレック)に勤務しました。



彼は、ハワイでも琴を2年ほど習っていましたが、昭和45年1月ころから、かねてからの念願どおり、日本琵琶協会理事錦琵琶宗家水藤五郎師より琵琶を週二回、琴を、生田流三上良子師より週一回習いはじめました。彼は、その研究を続け、ゆくゆくはアメリカのアジア音楽部門を有する大学で琵琶、琴などの教授をすることを志していました。(最高裁の判決が出る前年の、昭和52年には、琵琶の奥義を認許されたとのことです。)



そこで、昭和45年5月1日、さらに日本での英語教育および琵琶、琴等の研究を継続する必要を理由として1年間の在留期間の更新を申請しました。しかし、国は同年8月10日に、「出国準備期間として」5月10日から9月7日までの120日間の在留期間更新のみを許可しました。(この処分がなされた時点では実質的に一月を切っていました。)そこで、マクリーンさんは、8月27日に、9月8日から1年間の在留期間の再更新を申請しましたが、国は、9月5日付で、右更新を許可しないとの処分を行いました。



その理由として、国は、原告がベルリッツの教師としての活動をすることが、その在留資格であり、かつ、入国許可の要件であつたのに、これに反して転職したことをあげました。



なお、マクリーンさんのビザには「雇用のため」との記載があるのみでしたし、在留外国人が転職する場合、入管当局に許可を求めるとか、通知をするという手続は特に要求されていませんでした。



実際、マクリーンさんは、昭和44年5月10日日本に入国後、すぐにベルリッツに勤務しました。しかし、マクリーンさんは、ハワイや韓国での経験に基づき、自分なりの英語教育方法を有しており、ベルリッツの画一的教授方法に疑問を持ち、生徒に進歩のないのを見て自己の確信する方法で教える必要を感じたそうです。しかし、ベルリッツは、放送設備により教師を監視して画一的教授方法を強制したとのことです。また、当初、日本に入ってきたばかりのベルリッツは、まだ運営が安定していなかったのか、授業のスケジュールが乱れて、当日にならないと授業担当時間が定まらず、余暇の予定も組めない状態でしたし、さらに、給与の支払いが遅れたり、それがベルリッツの近辺に支店のない銀行払いの小切手でされたそうです。マクリーンさんは、昼休みにその銀行にその支払いを受けに行き、そのため授業に5分間遅刻したことをとがめられたりしたことなどの事情もあり、ベルリッツに対し強い不満と不信感とを抱きました。ちょうどその頃、マクリーンさんは、フルブライト委員会の人に紹介されて、エレックに行き、その教授方法に共感を覚え、同年6月上旬ベルリッツを退職してエレックに勤務することになりました。



なお、エレックは、昭和31年7月学界、財界の有志によつて設立された日本英語教育研究委員会の事業拡張により、同38年2月設立された財団法人です。英語教育機関としては、設備、教師、活動、権威等の点で当時の日本では最大の規模のものでした。また、エレックは、マクリーンさんの生活費、帰国旅費、法規の遵守および情報の提供について保証し、講師としての在任期間1年間を延長しうるものとしていましし、実際、エレックは、訴訟係属中も、マクリーンさんを常勤上級講師として雇用し続けました



こうして、訴訟の中で、転職については実質的な理由ではなく、国の処分の実質的な理由が、マクリーンさんが政治的活動を行ったことであることが明らかにされました。



そこで、国側の主張をまとめると、以下のようになります。


(1)日本国憲法は民主主義体制をとっています。それゆえ、わが国の政治は日本国民の意思により決定されるべきです。

(2)ですから、国民と異なり、わが国と身分上の永続的結合関係を有しない外国人は、わが国の政治に直接参加する権制(参政権)を有しないばかりでなく、わが国の政治的意思形成に影響を与える政治活動を行なうことも、権利としては保障されていません。


(3)そして、マクリーンさんは、入国後すぐに、米国のベトナム軍事介入反対、日米安保条約反対、在日外国人の政治活動に対する日本政府の抑圧反対等を主唱し、これらの政治活動を目的とする組織であるいわゆる「外国人ベ平連」に所属し、各種の政治活動を行いました。

(4)これらの政治活動は、日本国の利益を害するおそれのある行為に該当します。また、マクリーンさんは、将来もそのような政治活動を行なうおそれがあります。


(5)マクリーンさんの政治活動は、在留資格の内容となつている活動に付随するものではありません。むしろ、マクリーンさんは、政治活動を行なうことを主たる目的として日本に在留していると思われます。ですから、この政治活動は、資格外活動に該当するものということができ、在留期間更新を拒否すべき相当の理由があります。



こうして、マクリーンさんの政治活動が、争点となったわけです。