「以前は理解せず答えを丸暗記をせよ!と叫ばれていましたがいつ頃から理解を伴った暗記に変えたのですか? 」という質問。

私は、丸暗記とか、考えずに暗記せよ、解かずに暗記せよといった記憶はあるのだが、理解せずにと言った記憶がない(ただ、デビュー当時は、私がまだ出版社との力関係で、またごま書房という出版社の方針で、自分で書かせてもらえず、私の話した内容をライターが書いていたので、ひょっとしたらそんな書き方をしていたのかもしれない)。

理解型暗記という考え方は、『数学は暗記だ』という本を出したころには確立していた。この本が出たのは1990年の話だ。おそらくは読者からの質問のはがきや抗議で、暗記数学で伸びない人や、逆に成績が下がった人、あるいは、そもそも解法が暗記できない人がかなりの数でいることがわかって分析した結果、解答を理解していない限り覚えられないという結論に達したのだろう。

私自身も、高校時代、実は丸暗記が苦手だった。世界史や日本史は学校でも最低レベルだったし、共通一次の科目からはずした。しかし、数学の解法、解答はすいすい覚えられた。当時は丸暗記のつもりだったが、この時点で、あれは理解を伴った暗鬼だったのだと納得した。

このブログでも何度か触れたが、実は、このような私の体験を一般化した初期作品は、とくに通信教育をやるようになってからは、人によって通じないことが多いし、理論もがさつだし、前述のように自分で書いたものでないので、表現も売らんかなという感じのことが多かった。そこで出版契約が切れた10年目に次々と絶版にしたことがある。

しかし、私のスタッフの学生や読者、とくに和田式で合格した人から、「暗記ということばを使ってくれたから、劣等生の自分でもできると思ってやる気が出た」ということばをもらった。あるいは、私としては精緻と思って出した受験勉強法の本では元気がでないが、昔の本はやる気を出させてくれたという声が多かった。

勉強は、やらないよりやったほうがいい。私がペテンと言われても、多くの子供たちがやる気になるのなら、そうほうがはるかにましだと思って、文庫版で(明らかな間違いや古い本の紹介などは改訂したが)再出版したのが、今のPHP文庫版の『受験は要領』である。

後日談だが、私がゆとり教育の反対運動にかかわりだしてから、多くの数学者と知り合いになった。その中には、「あの『数学は暗記だ』の和田だろ」という感じで嫌悪感を持つ人も多かった。ただ、そのリーダー格の西村和雄先生は、「暗記数学でもやらないよりはるかにいい」と言ってくださった。実際、早稲田や慶應に入る人でも、受験科目に数学がないとあまりに数学をやらないために分数ができない人が2割、二次方程式ができない人が7割もいたというのが西村先生の調査結果だ。考えるのが苦手な人が数学から逃げているのなら、そういう人に、少しでもやるきっかけを与えることは決して間違っていないというのが私の信念だ。

ただ、人間が考え方が変わるというのも事実だろう。私だって、受験競争が過熱していた時期には、なるべく手を抜いて勉強をしろと言っていたが、今はとてもそんなことを言う気にならない。岡部恒治先生も、昔は計算練習なんていらないと思っていたが、意外に大切だとわかってきたというようなことをおっしゃっていた。

日本人は一貫性を好むが、私に言わせたら20代と同じことを言っている人間は進歩のない人間だ。フロイトだって、コフートだってさんざん治療理論のモデルチェンジをしている。そのほうが誠実だし、学問の進歩につながる。

今朝の中央公論の広告を見ていたら、茂木健一郎氏と東浩紀氏が「分数も年号も覚える必要はない」などという対談をしている記事がでていた。まだ雑誌を読んでいないので軽々なことはいえないが、両方とも東大を出ているし、私より若いから、けっこうな受験勉強をしてきたはずの人だ。茂木氏は学芸大の付属高校、東氏は筑駒の卒業だから、中学受験か高校受験でも、かなりの勉強をしてきたはずだ。

東大出の人の多くは、受験勉強は無駄だったようなことをいう。こういう人は、自分は勉強なんかしなくても賢いはずだとでも思っているのだろう。私は、とてもそんな不遜なことは思えない。

いやいや無駄な、面白くない勉強をして、基礎学力をつけたから、今日の自分があるのだと思っている。少なくとも新しいことを学びたい際に、昔勉強していたおかげと思えることは多い。

もちろん、茂木氏や東氏は私などよりはるかに地頭がいいから、あんなに売れているのだろうし、世間様も彼らのほうが賢いと思っているだろう。私は、バカが勉強で賢くなる限界になれるように頑張り続けたい。

でも、それでも彼らが小さいころから、まったく勉強しないで今のようになれるとは思えない。

正直なところ、もしそんな発言をしているのなら、茂木氏の脳科学の理論(脳科学者はソフトよりハードが大事と思っているから、勉強はいらないと思っているのかもしれないが)はまったく信用する気はなくなった。

そして、茂木氏や東氏が自分の子供に本当にそんなことを言っているのかを知りたくなった。

人の親になることも自分の考えを変える大きなきっかけになることも付記しておきたい。