先人の知恵は現代でも通用する・・・昔の人から学ぶ健康法いろいろ

歴史に名を遺した偉人たちは、健康についての強い探求心を持っていた。多くの人物が、その行動や言葉をもって大切なことを後世に伝え残してくれている。先人の知恵を大切にしていた彼らは、好奇心旺盛で勤勉で、この世の様々なことを知っていた。

現代人はこうした先人たちに教わらなければならないことがたくさんあるような気がする。

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家康公の健康訓

歴代の徳川将軍の内で2番目に長寿だった家康公は、健康への関心が人一倍高く、薬学者を定期的に城へ招いて勉強会をするほどだった。後年は駿府郊外に自分の薬草園を持ち、100種類以上の薬草から独自の調合法で漢方薬を作っていたとされている。

そんな徳川家康の健康訓が『徳川実紀』には多く記されているという。

こんな感じ。

◇粗食を常とすべし
・・・宴会でも一汁二菜でいい。贅沢するな。

◇奇品珍物は好むまじき
・・・(織田右府から献上された季節外れの桃を見て)珍物を好むのは害あって益なし。珍禽奇獣を求めると無用の金銀もかさむ。

◇酒は慎むべし
・・・元気を引き立てるものなれど量を過ごせば騒動の元。宴会でも二返まで。

家康の健康法はその他にもいろいろ語り伝えられている。

◇冷たいものは口にしない
・・・夏でも火を通したものを食べていた。

◇滋養のために肉をしっかり食べる
・・・肉を食べる文化が無い時代に焼き鳥を好んで食べた。

◇身体を動かす
・・・大好きだった鷹狩りを始め、剣術,弓術,馬術,水泳など運動を好んだ。

◇香でストレス解消
・・・香道もたしなみ、心の平静を大切にしていた。

人生60年生きれば長寿とされていた時代。織田信長の49歳、豊臣秀吉の62歳に対して、家康は75歳まで生きた。長寿の秘訣は彼の健康に対する強いこだわり。現代風にいえば筋金入りの健康オタだったことにあると言える。

なお、酒については「薬としてたしなむ」程度に考えていたとも聞く。現在も販売されている薬用養命酒は徳川家康にも献上されていた。”天下御免万病養命酒”の免許を与えたくらいだから、よほどお気に入りだったのだろう。

太閤スープ

家康公には及ばないまでも、豊臣秀吉も十分長命だった。太閤秀吉は、家臣に調理させた独自の料理を好んで食したとされており、太閤スープとか秀吉特製汁して今に伝えられている。

太閤スープは肉,ニンニク、味噌、ゴマなど健康に良いとされていた食材の他に、隠し味としてハチミツが使われていた。当時はかなりの貴重品で珍しがられていたハチミツだが、秀吉は早くからその滋養効果に目を付けていたらしい。

一物全体・身土不二

仏教の世界には釈迦の教えと伝えられる健康に関する文言が多い。その中でも現代でも通用する意味の深い言葉が「一物全体(いちぶつぜんたい)」と「身土不二(しんどふじ)」。

一物全体というのは「食材は丸ごと全体を食すのが健康に良い」という意味で使われる。

メザシなら頭からしっぽまで丸ごと食べるし、果実は皮のまま食べる。大根は白い部分だけでなく葉も食べる。どれも無駄なく丸ごと食べることで、栄養バランスが最適な状態で腹に入るということを指している。

身土不二というのは「人の身(身体)と土(環境)とは別々の2つのものでなく、1つのもの(関連しあっている)」という意味を持つ。環境や季節に合った食品を摂ることが、健康上最も好ましいということを表している。

太古の昔から栄養バランスという考え方が存在したこと、環境の影響力を重視していたことには驚くほかない。

黄門様が教える「無病延命の術」

水戸黄門でおなじみの徳川光圀公は72歳まで生きた。諸国漫遊が史実ならば、かなりの健脚家で勉強家だったと思われるその光圀が編纂させた家庭向けの医学書『救民妙薬』に「無病延命の術」が書かれているという。

光圀の健康法に関する深い考えが表れている言葉として現在も高く評価されている。それは次のような内容。

◇「鳥獣に習う」
・・・鳥獣は飢えれば食べるが、満腹で止める。繁殖のために発情して情欲を満たすが、欲が治まれば止める。人間は飢えていなくても食べるし、年中情欲が治まることがない。自然の摂理に習った節度のある生活を送るよう心がけなければ、やがては脾(ひ)や胃、腎(じん)もおかしくしてしまう。

◇「土仏の水遊び」
・・・疲れたからと言って滋養強壮の薬に頼るのは「土仏(つちぼとけ)の水遊び」のようなもので、いずれは水に溶けて流れてしまう(=身の破滅を招く)。薬で元気になったような気でいても、臓器に負担をかけており、行く末は命を落としかねない。

時代を先取りした内容は、人間の意志の弱さや薬剤への依存心は昔も今も変わらないということを教えてくれる。

忍者の兵糧丸と闇飯

服部半蔵に代表される忍者たちは、日本全土を駆け巡って情報を集め、場合によっては死闘も繰り広げるというかなりハードな生活を送っていた。その彼らが携帯食として持っていた兵糧丸(ひょうろうがん)闇飯(やみめし)が、現代でも通用する健康食として注目されている。

レシピは地方によって異なるようだが、一般的な兵糧丸は次のような材料で作られていた。

ソバ粉・はと麦・ゴマ・蜂蜜・砂糖・もち米 ・うるち米 ・蓮肉 ・山薬 ・桂心 ・ヨクイニン ・薬用人参・山芋・甘草・酒・菜種油 など

これらが全て入っていたわけではないにしても、こうした食材を粉にして練り固め、蒸したり乾燥させたりして作った究極のエナジーフードが兵糧丸。1個で1000キロカロリーぐらいだったと考えられている。

また、暗闇でも目立たずに食べるために考案したとされている闇飯というものがある。早い話が、全て黒いもので作られている弁当だ。

食材はこんな感じ。

黒米・黒ゴマ・黒豆・ヒジキ・昆布・ワカメ・イカスミ など

黒い食材というのは現代でもブラックフードと呼ばれており、メタボ予防に効果があるとされている。闇飯に入っていたもの以外では黒酢・黒砂糖・黒にんにく・黒きくらげ・レーズン・プルーンなどが挙げられる。
ブラックフードは市販されているものもあるので、効果を試してみるのもいいかもしれない。

黒い食材はミネラルや食物繊維が豊富で、アントシアニンなど抗酸化成分も含んでいる。昔も今も人は疲れを癒せる食品を求める。忍者の闇飯は現代人にもおすすめの弁当だ。

先人に学ぶことはいっぱいある

歴史上の人物たちの知識は本当にすごい。

伊能忠敬は56歳から幕府の測量事業を手掛けて、毎日40キロぐらい歩き続けたと言われているが、彼は行く先々で豆類や根菜、葉物など植物性のものを好んで食べたという記録が残っている。肉類とは違い持久力を維持するのに効果的な食品を知っていたに違いない。

画家の富岡鉄斎は89歳まで現役だったが、彼のエネルギーの源は、熱い粥とうなぎと蕎麦だったと言われている。身体を温めるという点でも、栄養価の点でも、実に堅実な食習慣だ。老いてなお才能を維持し続けられたのは、必要な栄養を意識的に摂っていたからこそである。

歴史を紐解くと、たくさんの先人の知恵に出会うことができる。最新情報に振り回されるだけでなく、それらに目を向けられるような余裕をもちたいものだとぼくは思う。

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