2011年10月23日 13時55分53秒
ガボンはアフリカにあってアフリカにあらず、賑わう商店と無人のジャングル
こんにちは、自転車世界一周の周藤卓也@チャリダーマンです。カメルーン南部からガボンという国に入ります。
ガボンは旧フランスの植民地で、面積は約27万平方km、人口は約147万人。日本の約7割にあたる面積に福岡市や京都市の人口しかないという国です。そのうえ、多くの人は首都リーブルビルに住んでいるので、走行中は静かなジャングルの中を黙々と走っていました。首都リーブルビルには寄らず、北のBitamから南のNdendeまで、ガボンを縦断してきました。石油が採れて所得の高いガボンの商店には物がたくさんあります。その模様も取材できました。牛肉ライスもありましたよ。
アフリカ中部にあるガボンは、Googleマップで見るとこのあたり。
ガボンに入ってすぐ、久し振りに交通案内の看板が現われました。そして……
都市への距離表示の看板も出ました。テンションも上がります。今までのアフリカとは違います。
トイレシャワー共同の部屋は5000セーファーフラン(CFA、日本円で約850円)で、思ったよりは安かったです。所得の高い国なので、物価も高いと予想していました。
Oyemという街で泊まったホテルから広がる景色。バナナの葉っぱが熱帯の雰囲気を出しています。
撮った写真のチェックをしている責自さん。背後の草の背丈が激しすぎます。
この扇型の葉っぱを持った植物はタビビトノキというそうです。それにしても素敵な形をしていますね。
Lalala(ラララ)の集落に1件しかない宿。このLalalaは地図にも名前がありますが、村などというものはなく、三つ又のジャンクションを中心に十数軒の家が並ぶだけの何もない所でした。
走っていると木材を輸送する大型トラックが脇を追い越して行きます。
トラックが一度に5台、6台と続けて通り抜けていきます。その迫力には圧倒されてしまいます。
この大型トラックは特別な車両で、木材を運んでいない時はこのように小さく折りたたまれます。空へと突き出た連結部分のシャフトは、まるで戦車の砲身のようでした。
昼ごはんを食べたところの子どもたち。ガボンの女の子たちは髪を編んでビーズなどをつけていて、おしゃれでした。
さらに「ちょっと!私も撮りなさいよ」とお姉さまからもお声が。
ここが赤道の上ということになります。「北半球に住む日本の皆さんさようなら」ということで、ついに南半球に突入しました。去年8月のノルウェーにあるノールカップの北緯71度10分21秒から、約1年をかけてここまでやって来ました。
Ndjoleという街の安宿を出発するときに「カメルーンから来て、コンゴへ向かうのは大変ね」と、宿の人と少しばかり話をしました。
この川の中州にはLambareneという街があります。ここは河口に近いため、ほとんど標高がありません。カメルーンからずっと高地を移動してきたので、ようやく地上に降りた気がしました。
うっそうと茂るジャングルの緑。地面には踏み場もないほど、植物が密集しています。ツタは樹木に巻きついて空を目指します。そのツタよりも高く背丈を伸ばした大木には、地上の喧騒など関係ないようです。四方に伸ばした枝が空を覆って、あふれるほどの日光を浴びて生きています。
モンスターみたいな迫力のある大木がどっしりと居座っていました。その絶対的存在に圧倒されて、思わず息をのむほどです。
ガボンの道はアップダウンもたくさんあり、脚にこたえて大変でした。
ガボンではよく犬に吠えられました。今までのアフリカとは違って、ガボンでは犬が飼われています。犬は吠えるのが仕事なので、仕方がありませんね。そうしなければ餌がもらえないですから。だからといって噛まれたくもないので、互いを理解したうえで、良い関係を築きたいです。
ガボンの南部の新しい道路にはレストエリアが設けられていました。これも今までのアフリカとは違います。
ガボン南部のMouilaという街から未舗装路になりました。地図上ではLambareneから未舗装路となっていたのですが、Mouilaまでの約200kmが新しく舗装されていて助かりました。この舗装工事は仕上げの段階で、小さな河をまたぐ橋や、道路脇に排水溝などを作っていていました。ここの道路もまた、中国による建設です。それだけではなく、監督はもちろん、トラックの運送や肉体労働の一作業員までオールチャイニーズ体制で奇妙に映りました。たいていの場所では現地のアフリカ人も一緒に働いているものですから……。
MouilaからNdendeとコンゴの国境までは未舗装路です。「誰も行かない場所へ自転車で」と高鳴る気持ちと「ここから先は危なくないのか、大丈夫だろうか」と不安からくる緊張感。秘境といってもいい場所へと進んでいきました。
これが体にかかってきます。顔に砂埃が直撃すると、しばらくは視界が利きません。
道路の両脇は巻上げられた砂によって、背丈の高さくらいまで茶色に染められています。
ガボンには全国展開されているスーパーマーケットがあり、今までのアフリカとの違いをまざまざと見せつけられます。しかし、同じ商品が店によって値段が3倍になっていたり、レジの周りが店員の私物で散らかっていたりして、店の中身は今までと同じアフリカの匂いがしました。
他にも大きなスーパーマーケットがたくさんあります。どこも店舗は大きくて、店内は豊富な品揃えです。
そんな中、一軒のスーパーマーケットの店内を撮影することに成功しました。
洗濯石けん、自転車、そして米袋まで。ここには、ありとあらゆるものがたくさん置かれています。
鶏肉は1kgあたり1350セーファーフラン(約230円)で売られていました。このような冷凍庫は少し大きめの商店ならどこにでもあります。ガボンの電気事情は良好でした。
取材のための撮影を許可してくれた優しいお店のオーナー。どうも、ありがとうございました。
このようにガボンは物であふれる、アフリカで希な国の一つでした。ただ、これは自国で生産した物ではなく輸入品ばかりです。それゆえに値段も高く、楽しく買物もできません。ギニア湾岸で採れる石油のおかげで一人当たりの所得はアフリカでもトップレベル。そのため、輸入品を買い込むお金があるわけです。これと似た国としてはマレーシアやルーマニアがあります。だからといって豊かな国なのかどうか……。
と、田舎を見ると今までのアフリカとほとんど変わりません。首都リーブルビルには行っていないのですが、高層ビルやショッピングモールもある都会だと聞いています。だとしたら、貧富の差は際限のないものでしょう。工業は育つことがなく、ほとんどが輸入品。ガボンは独立後に内戦が起こらなかったにも関わらず、主要道すら舗装できていません。「この国はいったい何をしてきたんだ?」と首を傾げるばかりでした。
ガボンに入ってからは、アフリカではよくあるおばちゃんの路上屋台がないため、食べる場所に苦労しました。カフェテリアやレストランを探さないといけません。そこでの定番メニューは牛肉ライスです。
いつも牛肉ライスを食べていた二人。どこでも1000セーファーフランなので、安くてボリュームがあるガボンの国民食といっても過言ではありません。みんな食べています。
ガボンのNdendeから、コンゴの国境の村Ngongoを目指します。ンデンデとンゴンゴと不思議な名前です。
ガボンを抜けるとコンゴに入ります。国境まで48kmという標識を見かけました。
コンゴはガボンより更に遠い国だという感じがしていました。ニンジャに襲われないかという心配はありましたが、南下を続けていきます。それでは、コンゴでの活躍もご期待下さい。
(文・写真:周藤卓也@チャリダーマン
自転車世界一周取材中 http://shuutak.com)