【平成名勝負】原監督が唯一、重圧を感じたWBC 記者は“挑発合戦”

スポーツ報知
第2回WBC決勝の韓国戦。延長10回、イチローが中前に勝ち越しの2点打を放つ(カメラ・安藤 篤志)

 ◆2009年(平成21年)3月23日・第2回WBC決勝(ドジャー・スタジアム)

 日本 001 000 110 2=5
 韓国 000 010 011 0=3
 (延長10回)

 (日)岩隈、杉内、○ダルビッシュ―城島
 (韓)奉重根、鄭現旭、柳賢振、●林昌勇―朴■完、姜ミン鎬
 ■京ヘンに力

 得点が入るたびに、隣の韓国人記者が叫びながら机をバンバンたたいてガッツポーズした。こちらを見てニヤリと笑う。

 コノヤロウ。

 頭に血が上った私は思わず、そうつぶやき、日本が優勢になると拳を握った。はたからみれば“挑発合戦”。今振り返ると大人げないが、一投一打に一喜一憂し、冷静に試合を見る状況ではなかった。これぞ国と国との戦いだった。

 世界一を決める世紀の一戦は、予想通りの大熱戦だった。常に日本がリードする展開も、韓国がしぶとく食らいついてきた。

 試合開始4時間前、私はロサンゼルスのチーム宿舎にいた。ホテルの一室で、原監督はこう予言していた。

 「韓国とは、最後は体力勝負になる。体力では相手に分があるかもしれない。ただ、我々には、日本力(にっぽんぢから)がある」

 侍ジャパンのスローガンに掲げた「日本力」とは何か。「粘り、そして気力だ。他の国にはない、世界一の強さを持っている」。ゲームは2度、韓国に追いつかれたが、ご存じの通り、最後はイチローの劇打が出た。「日本力」を前面に押し出し、世界一連覇の偉業を達成した。

 土壇場で「粘りと気力」を生み出したのは、原監督のタクトだった。

 最後のマウンドにいたのは、ダルビッシュ。守護神・藤川の状態が万全ではないと判断し、準決勝からクローザーに指名した。「選手のコンディションを最優先する。短期決戦だけに、何が起こるかわからない。状況次第では、先発投手が後ろに回る可能性だってある」。宮崎合宿が始まる直前の2月中旬の言葉だ。

 打線は決勝で4番に城島を入れ、7番に、離脱した村田の代わりに緊急招集した栗原を初スタメンに抜てきした。今大会、それまで韓国とは4度対戦して2勝2敗。黒星をつけられたのはいずれも左腕・奉重根(ボン・ジュングン)だった。その対策とはいえ、大一番で迷いなく動いた。準決勝で精彩を欠いた福留をスパッと先発から外した。4番も、稲葉、村田と対戦相手によって変えた。「何にも驚くことはない。これがオレの野球。普通のことをしただけだ」。周囲から見れば驚くべき決断を「普通」と表現した。あらゆる事態を想定して対策を練っていた。

 イチローがWBCの後、胃潰瘍(かいよう)になったのは有名だが、1次ラウンドの韓国戦、プレーボールがかかる数分前に、原監督は急な胃痛に襲われていた。「これが胃が痛くなるということか…」と苦笑いで振り返った。百戦錬磨の指揮官が唯一、重圧を感じたのがWBCだった。

 私事で恐縮だが、この大会が記者として最後の“現場”だった。1000試合以上取材したが、体中の血液が沸騰した感覚は初めて。最高のフィナーレだった。(09年WBC日本代表担当キャップ・鈴村 雄一郎)

巨人

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