大黒摩季が離婚「ロックと再婚しました!」…不妊治療も子ども恵まれず 元夫は再婚で子ども誕生

スポーツ報知
「ロックと再婚しました!」と左手薬指の指輪を見せる大黒摩季

 シンガー・ソングライターの大黒摩季(49)が2003年11月に結婚した1歳年下の一般男性と離婚していたことが20日、分かった。10年11月から子宮疾患の治療と不妊治療に専念するため活動を一時休止。結果的に子どもを授かることができず、それぞれにとって最善の道を歩むために今年4月に離婚届を提出した。取材に応じた大黒は、離婚の経緯や再出発の決意などを語った。

 離婚の取材にもかかわらず、大黒の左薬指には指輪が光っていた。「ロックと再婚しました!」。今後は音楽業にまい進することを晴れやかに宣言したが、すがすがしい笑顔を取り戻すまでには波乱の日々があった。

 大黒は10年に音楽活動を休止し、子宮疾患と不妊の治療を行ってきたが、15年に子宮を全摘出した。その後はアメリカの代理母制度も試みたが、17年9月頃に送り出した最後の卵子でも妊娠に至らなかった。

 不妊治療を終え、夫婦の形を見つめ直した。「彼が友達のお子さんを抱っこして、こんな顔するんだ、愛おしいなと思ったけど、ことあるごとにごめんねと思って生きていくのかと。2人でいて罪の意識を持ち続けるより、彼の別の幸せを心の底から応援する方が幸せで楽。おととし(17年)の暮れに(離婚を)心に決めました」

 大黒から別れを切り出し、昨年の始めに離婚に合意。大黒が離婚届を預かり、別々の人生を歩み始めていた。しかし、多忙な全国ツアーの影響で大黒が「離婚届を出し忘れていた」という間に、夫から新しいパートナーと出会い、赤ちゃんを授かったと報告された。

 「これは届けを出したら騒がれ、妊娠が不安定になって流産したら大変。自分が流産経験者だけに、大事にせねばと、生まれるまで届けを出すのをやめた」。そして、大黒が「私にとっても待望の子」という新たな命が誕生した後の今年2月に離婚届を提出したが、書類に不備などがあり4月に受理され離婚が成立。大黒によると、元夫はその後に再婚した。子どもはすでに1歳になるという。

 15年半の結婚生活に終止符を打ち、今年の大みそかに50歳を迎える。「スーパーサイヤ人(漫画『ドラゴン・ボール』に登場する最強種族)になる! この闇が音楽に変わると思えば」と、前しか向いていない様子。新たな恋も模索中で「20歳から70歳まで私に合う男性を紹介してほしい。これからブイブイ恋をして、何ならジェニファー・ロペスくらい頑張ろうかな」と笑い飛ばした。結婚、病、不妊、離婚…波乱を乗り越えた実力派歌手が、さらに熱く第二の人生を爆走する。

 ◆来年スローガン50歳で50の挑戦

 大みそかから50代に突入する大黒は、来年のスローガンを「50th/50try」と掲げた。50歳のうちに50のことに挑戦するというもの。

 現在決まっているものは、〈1〉31日のバースデーライブで全50曲歌唱〈2〉50か所の全国ツアー〈3〉スポーツソングをまとめたベストアルバムの発売などの音楽活動のほか、〈4〉YouTubeに新チャンネルを開設し「騙(だま)される大黒摩季」(全50話)配信〈5〉「別れましょう私から消えましょうあなたから」などの名曲タイトルになぞって離婚を発表〈6〉グラビアに初挑戦など、ユニークな企画も準備している。大黒は「これからは自分のために生きていきたい!」と目を輝かせている。

 ◆大黒摩季が結婚してからのこれまで

 ▼2003年11月 1歳年下の会社員と結婚

 ▼10年8月 13枚目のアルバム「すっぴん」発表後に子宮疾患と不妊の治療のため無期限の活動休止を発表

 ▼15年11月 子宮全摘出手術。米国の代理母出産に取り組み始める

 ▼16年8月 ライジングサン・ロックフェスティバルで活動再開

 ▼17年9月頃 最終的に妊娠に至らず代理母出産も諦める

 ▼同年暮れ 大黒が離婚を決意

 ▼18年初頭 離婚に合意し、大黒が離婚届を預かる。その後、夫の新しいパートナーが妊娠

 ▼昨年末 パートナーが子どもを出産

 ▼今年2月 大黒が離婚届を提出するも書類に不備があり受理されず

 ▼同4月 離婚成立 

 ◆大黒 摩季(おおぐろ・まき)1969年12月31日、札幌市生まれ。49歳。高校卒業後に上京し、コーラスなどを経て92年に「STOP MOTION」でデビュー。「DA・KA・RA」「ら・ら・ら」などヒットを連発。95年発売のベストアルバムは300万枚を記録した。しばらく表舞台に出ずに活動を続けていたが、97年に初ライブを行って話題に。2010年から休養していたが、16年8月に活動を再開した。

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