克服はしない。「病気は『治す』よりも『付き合っていく』」…川崎宗則インタビュー【前編】

スポーツ報知
川崎宗則は自身の病気との向き合い方を言葉を選んでしっかりと語っていった

 コロナ禍で迎えた「特別な夏」。酷暑も相まって、心身がちょっぴり弱ってしまっているという方も多いのではないでしょうか。記者もその一人です。そんな中、自律神経の病気と向き合いながらも現役を続け、野球の楽しさを伝えている川崎宗則内野手がスポーツ報知デジタル版のインタビューに応じてくれました。ムネリンの経験から少しだけ元気になるヒント、見つけていきたいと思います。(デジタル編集デスク・加藤 弘士)

 思わず耳を疑ったことを今でも覚えている。2018年3月、ホークス退団の際に球団を通じて発表されたムネリンのコメントだ。「自律神経の病気にもなり体を動かすのを拒絶するようになってしまいました」。あの元気印が、どうして…。あらためて聞いてみた。実際のところ、どんな状態だったんですか。

 「キツかったですよね。体が動かない。頭が割れるように痛いし、毎日悪夢を見て…という感じ。体を動かすと全部つってしまい、動かないので『おかしい』と。治療するにしても、何かが痛くて、痛みが引かない。『おかしい、おかしい』という状態でしたね」

 それを克服されたわけですが…という私の問いを、遮るように言った。

 「克服、していないですね、今も。それを持ちつつ生きています。今までは『治そう、治そう』と思ってやって、それがダメだったんです。今の僕が持っている、大事な病気。なので、治さないようにしようということで、今もいますね」

 さらにこう続けた。

 「僕は、病気は克服してはいけないと思いますし、戦ってはいけないと思っています。まずは特徴を知り、それをいかに防ぐか。『取扱説明書』があるわけですから。『治す』よりも『付き合っていく』という考え方の方が、よっぽどハッピーだと思います」

 驚いた。目の前のムネリンは快活そのものだ。インタビュー前夜に見たスポーツニュースでは、独自の視点と表現力でメジャーの魅力を存分に語っていた。存在自体が周囲にプラスのパワーを与える人である。しかし、見えないところで日々、病と向き合い、共存の道を探しているのだ。むしろ、そんな経験こそがいっそう、この男の人間力を深め、魅力的にしているのかもしれない。

 「2か月入院しました。呼吸法とか試したりすることで、ちょっとずつ良くなってくるんです。今も薬を持っていますし、2か月に1回ほど病院に行って、先生とも話をしています。実はメンタル的には、すごくナーバスで、弱いんですよね。そこを自分で知って、ストレスがかからないような生き方…ストレスがかかっても、うまく軽減する方法を今、やっています」

 自身を「弱い」といえる人間は、強い。苦しみの中にある人の胸中へと思いを致せるし、自然と優しくできるからだ。

 「自律神経の病気からちょっとずつ、ちょっとずつ動けるようになってきて、呼吸法とか自分のトレーニングに対するアプローチも変わりました。この病気とも、付き合っていこうと思います」

 昨年は台湾プロ野球からオファーがあり、味全ドラゴンズで7月から12月までプレーした。8月24日からはBC栃木の練習に参加する。

 「とにかく準備して、まだまだ野球選手をやりますので。これからも新しい自分を見せられたらと思っています」【中編につづく】

 ◆川崎 宗則(かわさき・むねのり)1981年6月3日、鹿児島県生まれ。39歳。鹿児島工高から99年ドラフト4位でダイエー(現ソフトバンク)に入団。2003年にレギュラーに定着し、06、09年のWBC、08年の北京五輪には日本代表として出場。12年はマリナーズ、13年からブルージェイズ、16年はカブスでプレーし、17年にソフトバンク復帰。18年3月に退団し、育成年代への指導を中心に活動していたが、昨年7月から台湾プロ野球の味全で選手兼客員コーチとして現役復帰した。180センチ、75キロ。右投左打。

 ◆「英語は『方言』」「嗅覚が一番大事。行ってその土地のにおいを感じること」乗り越えた異文化の壁…川崎宗則インタビュー【中編】

 ◆「それがお前さんのいいところ」09年WBC世界一、チームを一つに 原監督が愛したムネリンの「声」…川崎宗則インタビュー【後編】

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