ファルコン&ウィンター・ソルジャー - レビュー

アメリカのレガシー

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『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』が通常のマーベル映画を6つに分けてテレビ用の長さにしたようなものになると予想していた人は、実際に観て驚いたことだろう。サム・ウィルソンとジェームズ・“バッキー”・バーンズの物語には、コミックスのようなヴィランを倒すアドベンチャー的な要素は少なく、人種差別、ラディカリズムへの傾倒、重くのしかかる失われたヒーローの影といった要素が多かったからだ。映画館の大きなスクリーンで観た数々の作品よりも、Netflixのマーベルドラマシリーズ(のなかでもよかったもの)に近い印象があった。『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』は驚くほど重く、それでいて、何度も我を忘れるほどにおもしろいドラマだ。太陽に近づきすぎじゃないかと思うくらい空高く飛び上がったり、時間内に収まりきらないほど扱う範囲が広がったりといったこともたびたびある。それでも、エピソードによってムラがあることにも、多すぎる要素をうまくまとめきれていないことにも、たいていはその野心的な部分が勝ってしまうのだ。

『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』でもっとも大きく、深く探求されているテーマは人種問題とアメリカ黒人運動だ。サム・ウィルソン(アンソニー・マッキー)のキャラクターの変化と成長は、スティーブ・ロジャースのあとを継ぐということの苦悩を通して描かれている。『アベンジャーズ/エンドゲーム』の最後で旅立ったスティーブは、友人であるサムにキャプテン・アメリカの盾を託していた。この役割を引き継ぐことには、『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』の6時間にわたる全編を通してサムが案じていたように、黒人にとっては懸念や不安がつきまとう。キャプテン・アメリカは、長い間慣習化していた人種的偏見について語ることができなかった国の象徴的な存在なのだ。マーベル・シネマティック・ユニバースで掘り下げるにはこれまでになく重い題材だが、アカデミックレベルでの詳細な分析ではないものの、スーパーヒーローの視点を通してこの問題を考えることによって、そのメッセージははっきりと多くの人に届きやすくなっている。劇場公開されたマーベルの多くのヒット作品と比べても、今回のサム・ウィルソンのストーリーの描き方は最も力強く、最も賞賛に値するものとなっている。

この作品の探求は、鋭い脚本と主演のアンソニー・マッキーの力強い演技があるからこそ可能となっているものだ。映画に比べると時間的な余裕はかなりあり、マッキーはその中で目線やわずかな動きから感情と内側の葛藤をじっくりと伝える能力を備えている。数十年前に人種差別組織によって苦しめられた過去を持つ朝鮮戦争の退役軍人、イザイア・ブラッドリーを演じるカール・ランブリーとの相性も完璧だった。ブラッドリーは苦しみの霧の中でサムの行く手を照らす灯台のような役割を果たしており、彼ら2人のシーンは胸がはり裂けるほどにヒリヒリしたものだ。

これらの要素が、多くの人々が予想していた以上にキャプテン・アメリカのレガシーを心が痛むような題材にしている。サムの旅が辿る道すじはいちばん最初のシーンからも明らかではあるが、その手にした重さゆえに、彼がたどり着いた結末は間違いなく納得のいくものとなっている。

ファルコンが主人公なのは明らかではあるものの、シリーズのタイトルとなっているのは彼1人ではない。セバスチャン・スタンが演じるバッキー・バーンズの名前もタイトルになっている。画面に登場する時間的な長さは同じくらいではあるものの、元ウインター・ソルジャーの彼のストーリーについてはファルコンほど語られていない。バッキー個人としての敵は自分自身の過去で、これまでの人生でヒドラの殺し屋として犯した罪へのつぐないについて触れられている部分もいくつかある。しかし、それらのシーンは残念ながらごくわずかだ。シリーズ初回は完璧な映像で始まるにもかかわらず、このテーマについて再びじっくりと語られるのは、最終話の直前の第5話になってからだ。

第1話から第5話の間でのバッキーのメインの敵となるのは、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』に続いてダニエル・ブリュールが再び演じる先導者、素晴らしきヘルムート・ジモだ。しかし、バッキーの過去の問題と同じように、ジモとバッキーの関係性にも実際に映像で目にした以上のものがあるだろう。より重大なことを成し遂げるためにはヒーローは悪役と協力しなければならないという、偉大なるハンニバル・レクター的な関係性が2人の間にはある。ただ、つかみどころのないジモがバッキーを興味深い方法で操作するところは今回は見ることができなかった。

たしかに、バッキーは損な役回りで、サムの脇を固める役割をしなければならなかったが、今回の6つのエピソードの中で、これまでは1人の人間というよりもストーリーの展開となる役割だったキャラクターがかなり人間らしく感じられるようになっている。スティーブ・ロジャースが周りにいないとき、バッキーは誰かほかの人のミッションのためにではなく、自分自身でいることができるのだ。スタンがバッキーの内側にある葛藤や不安を表現するいくぶん静かな瞬間が、彼がこの物語に登場するべき人物であることをはっきりと示している。彼の変化と成長の旅の終わりは、サムのものほど華々しいものではないとしても、だ。

それぞれ無事に結末を迎えることができたサムとバッキーだが、このドラマは実は2人のかけ合いだといえる(「ファルコン(&ウィンター・ソルジャー)」らしくないと感じるかもしれないが)。そして、サムとバッキーの間の関係性が、良くも悪くもあらゆるところで大きな働きをしている。序盤、特に第2話での2人の会話にはぎこちなさがある。シーズン前半の2人は、まるで『バッドボーイズ』か『ラッシュアワー』かといった、コメディのバディコンビのような感じだ。ユーモアはMCUには欠かせない要素だが、かなり重いテーマを扱う作品内の2人の関係にそのまま取り入れようとすると場違いなものとなってしまう。幸い後半では、もっと心の内側に触れるような言葉が多くあり、2人の間で交わされる会話はより自然になる。なかにはジョークもやはりあるが、その場に合ったものになっている。

サムとバッキーの関係性は、2人が真剣で傷つきやすいキャラクターでいられる場面でより強いものとなる。第5話での長い会話のシーンでは、2人の間のピリピリした空気がゆるみ、それぞれの苦しみについて語ることができている。このシーンは、お互いを心から信じていると感じられるところであり、物語の中心となっているそのほかの重い内容と同じくらいに、協力できる友人がいることの素晴らしさを語っている。

サムとバッキーの進む道のりをややこしくしているのは、政府が任命したスティーブ・ロジャースの後任者、ジョン・ウォーカーだ。ワイアット・ラッセルが演じる独りよがりなウォーカーは、キャプテン・アメリカにあるまじき独善的で攻撃的な危険人物だ。この作品の中で、ウォーカーはスティーブ・ロジャースのレガシーに対して敬意を欠く行動を取り、やはりサムがあの星のついた盾を持って戦うべきだったということを何度も思い起こさせる。その両方の意味で、彼は常に観ている人をイライラさせる存在だ。

おおまかにいうと、ジョン・ウォーカーは政府がスーパーヒーローの武器をふりかざすことの危険性を示す1つの例だといえる。残念ながら、これについては作品内ではほとんど触れられていない。そのため、ウォーカーのキャプテン・アメリカはやや深みに欠ける印象になっている。より深い彼のパーソナリティが垣間見られる瞬間もある(合衆国軍の新しい顔に昇格した兵士として感じているプレッシャーが時折見えるところなど)。しかし、限られたエピソード数で、そのほかにも大量の題材やキャラクターがあるため、彼のストーリーは納得のいく形での終わりを迎えていない。また、ウォーカーはシーズンの中でも最もショッキングで重大なシーンの1つに関連する要素を与えられているものの、残念なことにそのすべてが、彼のキャラクターにとっては中途半端な結末を導くものとなってしまっている。

同じことが、カーリ・モーゲンソウ(エリン・ケリーマン)率いるモラル的にグレーゾーンな過激派の敵対集団、フラッグ・スマッシャーズにもいえる。この敵対グループの成り立ちには、人道的危機、反国家主義、そして、政府の失敗など、大量の興味深い背景がある。彼らの苦境は、MCUのあの「指パッチン」と失踪から5年後にとつぜん再び現れた何百万人もの人々に対する政府の対応に関係しているが、彼らのストーリーは、難民の待遇や立ち退きを強いられたコミュニティなど、より幅広く社会的な現実世界の問題を語るためのものであることは明らかだ。このことが、彼らのグループを共感できる「ヴィラン」にしており、ヒーローたちは複雑なアプローチをしなければならなくなっている。

残念ながら、『ファルコン&ウインター・ソルジャー』の脚本は、このモラル的なグレーゾーンにふみ込むことに関してはあまりうまくいっていない。カーリ・モーゲンソウは、良いことをしようとしてはいるものの、いきすぎた状態になっている人物としてはっきりと描かれている。ただ、フラッグ・スマッシャーズのストーリーの詳細に欠けているため、彼らは自由の戦士というよりも、あまりにカジュアルに罪のない人々を殺害するテロリストのようになってしまっている。「指パッチン」後の危機的状況の中での不安を感じさせる政府の対策組織、GRC(世界再定住評議会)についてはほとんど何も触れられておらず、カーリのラディカリズム的な側面だけが表面化しているために、どのニュアンスもうまく伝わっていない。こういったことから、最悪なときは、『ファルコン&ウインター・ソルジャー』では彼らの主張を真っ向から否定しているかのようになってしまっていることがあるのだ。シンプルにしようとするあまりに、ラディカリズムの周辺に関する必要な見解が失われてしまっているといえる。

『ファルコン&ウインター・ソルジャー』で間違いなくうまくいっている部分は、アクションのコリオグラフィー(振付)だ。監督のカリ・スコグランドは、ルッソ兄弟の「キャプテン・アメリカ」映画の無骨なヴィジュアルを完璧に再現している。このヴィジュアルが、サムとバッキーのストーリーをスティーブ・ロジャースのストーリーにきっちりとつなげるものとして機能している。また、戦闘シーンを比較的手荒で重い感じにもしている。初回は文字通りファルコンが翼を広げるスリリングな空中戦で幕を開けたが、ベストシーンはどれもパンチがうなる地上戦だ。敵を前にしてサムとバッキーがチームを組んで戦うシーズン後半の戦闘は、『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』でのスティーブとバッキーとトニーの3人の衝突を思い出させつつ、巧みにくり広げられる。

サムとバッキーの2人がタッグを組んで戦うときは、会話がぎこちないときとは真逆の印象になる。実際、シーズンを通しての彼らの関係性の変化は、『ファルコン&ウインター・ソルジャー』全体の縮図となっている。2人が組んで戦う戦闘シーンの多くがうまくいっていることが、この作品の均一でない部分が目立つのをうまくカバーもしている。監督のスコグランドとショウランナーのマルコム・スペルマンは、どのエピソードでも毎回ドラマティックで無骨な方向性で力強いテーマに満ちたドラマを届けている。ただ、シリーズ後半の第4話になると、それまでの時間の使い方が間違っていて、ペースがコントロールできていないことが明らかになってくる。すでに語られている題材に加えて、物語にはCIAのエージェント、シャロン・カーターが再び登場し、『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』のバトロックが2人目のヴィランとして現われる。「パワー・ブローカー」とだけ言及されている影のボスもいる。まったく新しいニック・フューリーのようなキャラクターも、ビッグネームのキャスティングというサプライズとともに、なんの前後関係もないところに登場する。そのほかにも数多くの要素がある。控えめにいっても、『ファルコン&ウインター・ソルジャー』は詰め込みすぎだ。その結果、すべてをうまく着地させようと急いだために、結末はかけ足で細かい部分が不足してしまっているように感じられる。

この問題は、『ファルコン&ウインター・ソルジャー』は本質的にはキャラクターの描写だということにも関係している。ほとんどの部分でこの性質はかなりの強みであり、6つのエピソードを通して見事に貫かれている。しかし、それ以外のことがかなり多く導入されると、中心となるテーマとキャラクターに一貫して長い時間を割くことで、(全部ではないにしても)多くのサイドストーリーが不完全なものになってしまう。結局のところ、これはサムとバッキーが友人のレガシーにどう対処していくのかというドラマであるべきだったのだ。そしてそれが、社会政治学的に見たアメリカの状況にもつながってくることにもなるのだ。幸い、『ファルコン&ウインター・ソルジャー』のいちばんの優先事項はそこにあった。その最高のストーリーラインの周辺にあることが不完全になってしまっても不思議ではない。

総評

『ファルコン&ウインター・ソルジャー』は、真剣に考え抜かれた、政治的に意味のあるストーリーだ。マーベル・シネマティック・ユニバースのスタイルに完璧に合ったスタイルで、人種差別、義務、レガシーといったことを巧みに描き出している。また、『ワンダヴィジョン』とともに、Disney+がマーベルの強力で挑戦的な実験の場であることを示している。スティーブ・ロジャースのレガシーとキャプテン・アメリカという役割の探求はMCUのクライマックスの中で必ず思い出される運命ではあるが、それ以外にも多くの筋書きやキャラクターの変化と成長があり、それが今作の時間や詳細部分の不足につながっている。それらの山ほどのアイデアはストーリーの中心となるキャラクターを決してだいなしにはしていないものの、ヒロイズムとスパイ工作のスリリングな物語を一貫して語るという『ファルコン&ウインター・ソルジャー』がいちばん力を注ぐべき部分に影響を与えてしまっていることは否めないだろう。

※本記事はIGNの英語記事にもとづいて作成されています。

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『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』レビュー

7
Good
考え抜かれた、政治的に意義のある、賞賛に値するMCUプロジェクトだが、細かいストーリーラインが多すぎて、いちばん力を注ぐべき部分がそれに影響されてしまっている。
ファルコン&ウィンター・ソルジャー
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