-“女”の幸せとは、結婚し、子どもを産み育てることである。

そんな固定観念は、とうの昔に薄れ始めた。

女たちは社会進出によって力をつけ、経済的にも精神的にも、男に頼らなくてもいい人生を送れるようになったのだ。

しかし人生の選択肢が増えるのは、果たして幸せなことだろうか。

選択の結果には常に自己責任が伴い、実際は、その重みで歪む女は少なくない。

この連載では様々な女たちの、その選択の“結果”をご紹介する。結婚願望が強い美香(34歳)、人妻の真弓(32歳)に続き、今回は出産して間もない女・由里子(33歳)のお話。




「......オギャー!という産声が部屋に響いたときは、反射的に大量の涙が吹き出したこと、よく覚えています」

由里子は重々しく口を開き、薄く笑った。

「産まれた瞬間の感動は、間違いなく“本物”でした。やっと会えた、この子を大切にしよう、私も母親になれたんだって、涙でぼやける視界の中で幸せを噛み締めたのは確かです」

由里子はつい半年前、第一子の男の子を出産したばかりだ。

隙のない化粧に、よく手入れされた美しいフレンチネイル。艶のある完璧な巻き髪は、たった今サロン帰りのようにすら見える。

だが、何故だろう。

彼女は綺麗な女であるし、外見には相当気を遣っているのは間違いない。

けれどその顔色は明らかに悪く、頰はこけて表情も硬い。

緊張でもしているのだろうか。ピリピリと落ち着きなく指先を弄ぶ様子は、彼女の魅力を半減させていた。

「私、ずっと“ママ”に憧れていました。妊娠中も幸せだったし、子どもを産んだらもっと幸せになれるって、当たり前のように思ってた。なのに...」

由里子のか細い声は、徐々に震える。

「育児が、想像以上に過酷で…。私には母性がないのかも?と何度も悩みました」


母性が湧かない...?壮絶な産後の実体験とは


1時間でいいから、寝かせて...


「たぶん私は、出産で躓いたんです。予想外の難産で2日間苦しんだ末の帝王切開で息子を産んだのですが、産後の状態が最悪で...」

由里子は小さく溜息をつく。

一般的に出産において強調されるのは産みの苦しみであるが、当然ながら産後の女の身体はボロボロで、ホルモンバランスも恐ろしく乱れる。

「赤ちゃんに会えた瞬間は、確かに嬉しかったです。でもそれより、帝王切開の傷が本当に痛かった」

そして、その状態で壮絶な新生児の子育てがスタートするのだ。

由里子は出産後、自力でベッドの上で起き上がれるようになるのに3日、直立である程度の距離を歩けるようになるまで1ヶ月かかったという。

「入院中から母子同室で母乳育児を強いられるのは、想像以上に大変でした。無責任に聞こえると思いますが、自分の身体がボロボロ過ぎて、赤ちゃんどころじゃないんですよ。とにかく辛い」

由里子が出産したのは“スパルタ”で有名な都心の産院だが、よっぽどのことがなければ赤ちゃんを預かってもらえなかった。

体力の限界、睡眠不足の限界は、日々更新されていく。

最後には助産師に泣きつき、1時間でいいから寝かせて欲しいと懇願したという。

「子供と一緒にいたいはずなのに…。そう思う気持ちが、湧かなかったんです」




「よく新米ママが“さっそく寝不足ですが、可愛いので頑張れます”なんてInstagramに投稿しているのを見かけませんか?私も当然そうあるべきなのに、全くそんな気持ちになれないと気づいた時は愕然としました」

-私には、母性がない...?

由里子はそんな自分に戸惑いながらも、休む間もなく育児に没頭するしか道はない。

「私は盛岡出身なのですが、単純に田舎に籠るのが嫌で、里帰りもしませんでした。それでさらに状況は悪化したように思います。子育てを完全に甘く見てました」

聞くところによると、由里子はこれまで、なかなか要領の良い人生を送ってきたようだ。

大手損保会社への就職、外資系IT企業に勤める夫と適齢期での結婚、神楽坂の新築マンションの購入、夫の昇進をきっかけに専業主婦となり、そして妊娠...。

挫折を知らなかった彼女に、子育てのストレスは容赦なく降りかかる。

「うちの子は、とにかく1日中よく泣くんです。おっぱいをあげてもオムツを換えても、抱っこしても、何をしても原因不明のギャン泣きが何時間も続く。なんで?どうして泣き止まないの?って、何度一緒になってワンワン泣いたか...」

子育てが大変だなんて、もちろん覚悟していた。だが、ここまで大変だとは思わなかった。

泣いてばかりの赤ちゃんとマンションの一室で24時間際限なく過ごす日々は、徐々に由里子の精神を蝕んでいく。

そして、とうとう事件は起きた。

「ある日、激しく泣き叫んで暴れる息子を3時間ほど抱っこし続けてました。もう身体中の関節が痛くて、子守唄を歌う声も枯れて、それで......

ハッと気づいたとき、私はまだ2ヶ月の小さな息子に向かって、手を上げそうになっていたんです......」


育児ストレスで心身共に蝕まれた女。とうとう限界が...?


我が子と2人になるのが、恐い


由里子は、母親の気持ちを察したようにさらに激しく泣き叫んだ我が子の声で、正気に返った。

「泣き続ける息子がとにかく可哀想で、自分が最低すぎて、その日は夫が帰宅するまで息子と狂ったように泣き続けました」

後から思えば、産褥期の軽い鬱のようなものだったのかも知れない、と由里子は呟く。

「あれ以来、息子と2人きりになるのが恐くなって。あのときの、頭の奥の方でカッと熱い何かが弾けるような、コントロールできない爆発的なイライラにまた襲われたらと思うと...」

“赤ちゃんのお世話は大変”なんて誰もが分かり切った常識であるが、必ずしも、母親がそれに耐え得るとは限らない。

「一体、これがいつまで続くんだろうって何百回何千回と思いました。あの頃は、友人知人からお祝いの言葉をもらうのすら辛かった」

-出産は女の最大の幸せだよね。
-我が子って本当に天使に見えない?
-赤ちゃん期はあっという間に終わっちゃうから、一瞬一瞬を大切にね!

こんな温かい言葉の、どれにも由里子は共感できなかった。

それどころか、こうした母親たちをSNSや道端で見かけるたびに自分は“母親失格”だと責められているような気分になる。




「一つだけ分かったのは、母親業にも“向き不向き”があるんだってことです。もっと家族や子育てサービスを頼るべきだったのかもしれません。でも私は専業主婦で、少なくとも妊娠中は“ママ”になるのを本当に楽しみにしてたから...」

ちなみに由里子の母も、また義母も専業主婦である。そんな環境も手伝い、彼女は“子育ては母親の義務”という思い込みが強かったという。

「ママ友達が“赤ちゃんて本当に可愛い、ゆっくり大きくなって欲しい”なんて言ってる傍で、私は正直、今すぐにでも息子が小学生くらいに成長するのを望んでました。...認めたくないけど、私は母親向きの女じゃなかった」

そうして由里子と息子は、どんどん負のスパイラルに陥っていった。

同じ月齢の赤ちゃんを持つママ同士でのイベントや助産師の育児相談室などにも足を運んだが、外でも泣き止まない息子にさらに疲弊するだけで、あまり効果はない。

しかしそんな中、夫からの一言で状況が少しずつ変わり始めた。

-由里子、ちょっとオカしくなってるよ。少し休もう。

夫が、認可外でもいいから保育園に息子を預けようと提案したのだ。


産後鬱に陥った女が、我が子を心から“可愛い”と思った瞬間


「夫から見たら、相当危険に見えたんでしょうね。もともと彼は子育てに協力的でしたが、私はいつもイライラしたり泣いてばかりだったので...」

それでも当時、由里子は生後間もない息子を外に預けるのに抵抗した。夫にまで“母親失格”の烙印を押されたような気分になったのだ。

そんな彼女に、夫は冷静に語ったという。

-君は母親だから当然って思っているかも知れないけど、育児は本当に大変だよ。由里子はよく頑張ってる。でも、この状況が続くのは何のプラスにもならないよ。

「思えば夫は、私なんかよりずっと早い段階で“父性”を持っていました。高価なカメラを買って何百枚も息子の写真を撮ったり、突然大量に服を買ってきたり。そんな彼に嫉妬のような苛立ちを覚えることもありました。生後3ヶ月くらいまで、私のカメラロールにはほとんど息子の写真はないのに...」

由里子の目は、少しだけ赤い。

「なのに、不思議ですよね。はじめて息子を保育園に預けたとき、最初から最後まで近くを離れられなかったんです。泣いてないかな、寂しくないかな、先生に放っておかれてないかな、なんて心配で...。久しぶりに1人でゆっくり贅沢なランチをしようって張り切ってたのに」

そう言い終えると、彼女の目からは大粒の涙がポロリと流れた。




結局由里子は現在、息子を保育園に預けている間は知人に紹介された外資系の小さなメーカーで働いている。

「仕事といっても、時短で雑務をしているだけですが...。それでわざわざ子どもを預けることに、罪悪感は常にあります。保育料と私のお給料もほとんど同じだし...」

さらに由里子は、休日も夫やシッターの手を借りて、美容院などにも定期的に通っているという。

「今となっては、普通の母親よりずっと楽をしているかも知れません。自分でもダメな母親だと思うし、この選択が正しいのかも分かりません。でも結局、離れる時間がある方が、私にも息子にも良かったんです」

自分の時間を犠牲にするより、優先する方が良き母でいられる。由里子は最終的にそう悟った。

「それに最近、息子はよく笑うようになって、やっと心から可愛いって思える余裕ができたんです...」

そう言って恥ずかしそうにスマホを見せてくれた彼女の顔はまさに“母親”そのものであり、待受画面には可愛い赤ちゃんの笑顔があった。



どこかの学者が言っていたが、人間の赤ん坊ほど何もできない状態で産まれる生物は、他にほとんどいないという。

たしかに犬でも猫でも魚でも、産まれて間もなく自力で動き始めるが、一方で人間は、寝返りをするだけで何ヶ月もかかる。

そんな危険とも言える状態で産まれてくる理由は、人間は“群れ”の中で仲間に囲まれて育つのが前提で、実際に何万年も前から人類はそうして繁栄してきたからだそうだ。

集団で子を守り育てるというのは極めて根源的な営みであり、母親1人の手に負えないのは当然なのだ。

しかし昨今は核家族化が進み、“群れ”は解体されてしまった。

特に都心では無機質なマンション生活で近所付き合いすらなく、祖父母すら頼れない母親も少なくない。

さらには、世間では“マタハラ”という嫌がらせが横行し、妊婦や子連れが公共機関を利用するのは肩身が狭い思いすらする。

子育ては決して“他人事”ではないことを、我々はもっと意識すべきなのだろう。

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