皆さんは、粘菌(ねんきん)をご存知ですか?

粘菌というのは、動物でも植物でもない不思議な存在で、写真はモジホコリという種類の粘菌です。いろいろなライフステージを持っていて、キノコのように胞子になることもあります。これは変形体と呼ばれるステージで、森の朽ち木や枯れ葉の中といった湿った場所に住んでいます。

バクテリアやキノコなどを捕食しながら、その名のとおり、変形しながらアクティブに移動しています。水が不足すると菌核というフリーズドライ食品のような状態になってしまいますが、水を与えればまたもとに戻るという特長をもっています。

真性粘菌モジホコリの変形体(小林教授提供)

今回は、この粘菌の行動を数理モデルによって分析し、応用に生かす研究を行っているプロジェクトのリーダーをされている広島大学大学院の小林亮教授にお話をうかがいました。

小林教授は、人を笑わせるユニークな研究に送られる「イグ・ノーベル賞」を2回も受賞しているとか。お話をうかがうのが楽しみです。

-小林さん、本日はよろしくお願いします。先ほど2人で粘菌について確認していたのですが、本当に不思議な生き物ですね。

映画『風の谷のナウシカ』などで出てきたりはしましたが、粘菌の生態について知っている人は、あまりいないかもしれませんね。粘菌のおもしろいところは細胞内に多数の核をもつ多核単細胞生物というところなんです。

-多核単細胞ですか。

はい。通常の細胞は分裂の際、核の分裂の後に細胞質が分裂するので、1つの細胞につき1つの核となりますよね。ところが変形体が成長するときには、核が分裂しても細胞質は分裂しないので、多核細胞という1つの細胞の中にたくさんの核をもつ細胞になります。だから単細胞生物なのに大きくなることができるんです。

-最大でどのくらいの大きさになるのでしょう?

5.54m2の巨大な粘菌がギネス記録になっていますよ。

-人間よりもずっと大きいんですね!

さらに、自他の別がないというのも粘菌のおもしろいところですね。たとえば、プラナリアという生物は、切断しても切断したそれぞれが完全なプラナリアとして再生します。しかし、それらをくっつけてもとの1匹に戻すことはできません。ところが変形体ではこれが可能なんです。

-なるほど! おもしろいですね。

粘菌はかなり大きくなることができるにもかかわらず、神経も脳もありません。しかし、ちゃんと生きているということは、何らかの情報処理を行っているということです。

-目や脳や筋肉を使って行動する人間とはかなり違いますよね。

粘菌は、体で情報を得て、体で考え、体で動く、オールインワンシステムだと言えますね。

-粘菌博士として有名な中垣俊之さんが、粘菌について、おもしろい実験を行ったのですよね。

はい。よりにもよって、粘菌に迷路を解かせたんですよ。中垣さんは北海道大学時代の同僚で、実は彼が私を粘菌の道に引きずり込んだんです。

-粘菌が迷路を解けるんですか!?

粘菌は管のネットワークを形成します。この写真を見てください。

粘菌の管のネットワーク形成(小林教授提供)

白いかたまりがエサですが、このエサのまわりに集中して管のネットワークを形成します。

どうやら1つに繋(つな)がっていたいという意思があるようなので、中垣さんはこの特長を利用して迷路を解かせたのです。

迷路を解く粘菌(小林教授提供)

迷路の中心に粘菌を、入口と出口にエサを置きます。最初は左の写真のように広がっていた粘菌が、最終的には右の写真のように入口と出口の最短経路をネットワークとして結ぶようになります。

-たいへん興味深いですね! 粘菌はなぜこのような最短経路のネットワークを構築するのですか?

粘菌のジレンマとでも言いましょうか。できるだけたくさんの体でエサをおおって栄養を摂りたいのですが、できるだけ1つに繋がってもいたい。これを両方実現するために、このような形態ができあがるのだと思います。

-どうやってこのようなネットワークを作るんでしょうか?

管の中の流れが多いと管が太くなり、少ないと細くなるという性質によるものですね。私たちの使わない筋肉が発達して、使わない筋肉が萎縮するのと同じようなものだと考えてください。

-では、迷路を解く粘菌の数理モデルとはどのようなものなのでしょうか? 小林さんのチームは、粘菌の迷路解きを数理モデルで考えたんですよね。

そうですね。下の図のように、迷路をグラフで表しました。

迷路をグラフで表す(小林教授提供)

そうすると、以下のような問題が考えられますよね。

最短経路探索問題(小林教授提供)

-とっても数学的ですね!

このグラフを水道管のネットワークとみなすこともできます。N1から水を流し込み、N2から同じペースで水を抜くと、管の長さや太さを考慮して、どの管にどれだけの水が流れるのか計算することができます。

水道管のネットワーク(小林教授提供)

さらに粘菌の管は多く流れる管はより太いという特長をもっていますので、水道管にもこの性質をもたせて、まとめて数式にしてしまいましょう。

粘菌から教わった方程式(小林教授提供)

こうして、粘菌から教わったモデル方程式に、われわれは「フィザルム・ソルバー」と名前をつけました。

-粘菌の迷路実験が数理モデルに落とし込まれましたね! 単細胞生物なのに、粘菌ってとても賢い存在のように思えてきました。この方程式を使って最短経路が求めることができるんですよね?

そうです。カーナビにだって応用可能です。さらにこれに工夫を加えると、もっと難しい問題も解けますよ。たとえば複数の点を最短の経路で結ぶスタイナー問題です。3点や4点を最短で結ぶルートを粘菌がしっかり示してくれています。

スタイナー問題(小林教授提供)

-スタイナー問題なんて、超難問じゃありませんか! 点が増えると難解さを極めます。原理的には解けますが、スーパーコンピュータでもとんでもない時間がかかりますし、本質的には計算困難な問題ですよ。

そうなんです。ところが粘菌は、数時間で答えを出してしまいます。

-これは驚きですね!

もちろん、必ずしも真の最適解とは限りません。けれど「そこそこいけてる解」は導いてくれます。

-これなら幅広く応用ができそうですね。

はい。たとえばネットワークの設計ですね。鉄道網や道路網、電力に水道、電話やインターネットなど、私たちの生活にはネットワークが欠かせません。では、「良いネットワーク」とはどのようなものでしょうか?

-たくさんの量を運べたり…、あとは距離を短くしたりすることでしょうか? それと、故障しても対応できるようなものがいいですね。

はい。ネットワークで重要になるのは「輸送効率」「コスト」「耐故障性」といった要素です。同じ3点を結ぶにしても距離の短さだけではなく、寸断されても別のバイパスが用意されているといったことが大切になってきますね。

-その「良いネットワーク」の設計に粘菌のモデルを使うというわけですか!

そうなんです。下は首都圏の鉄道網を粘菌を使って再設計した例です。主要な駅の場所にエサを置き、山手線のところに粘菌のかたまりを置いて、しばらく放置して作ったネットワークです。主要駅の間をそれらしく管が通っていますね。実は、粘菌が作った路線図の方が、しばしば「良いネットワーク」になるのです。

粘菌の鉄道網の設計(小林教授提供)

-脳も神経も持たない粘菌がネットワークを設計すると、このようになるのですか。粘菌はすごいですね。

私たち人間のような脳を中心に全身へ信号を送るシステムは、ある意味中央集権的な構造ですよね。一方の粘菌は体全体で行動しているので、地方分権みたいなものです。この地方分権のようなシステムは「完全自律分散システム」と呼ばれます。このシステムを使った試みはロボットの分野にまで広がっています。

各関節が自律したヘビ型のロボットや、各足が自律した四足型ロボットなどが研究されています。中央集権型のロボットだと、予期せぬ事態への対処方法をあらかじめプログラムしておかなければいけません。しかし「自律分散システム」によって設計されていれば、私たちが転びかけたときに頭で考えずとも姿勢が保てるように、柔軟に対応ができるはずなんです。

自律分散制御で動くロボット(小林教授提供)

-粘菌の数理モデルがこんなに広がりをもつなんて、本当に驚きました。

粘菌は人類が誕生するはるか何億年もの昔から地球上で生き残ってきた生物です。下等に見える単細胞生物ですが、自然界の厳しい淘汰のチェックをくぐり抜けてきたシステムなんです。

シンプルで良いものから人間が学ぶことは本当に多いのです。イグ・ノーベル賞も、下等に思われた生物が、人間がすぐには解けない計算を解くという皮肉が評価されて受賞したような気がします。

-小林さん、今日は大変おもしろいお話をありがとうございました!

粘菌という単細胞生物からあれほど学ぶことができるとは驚きました。自然界から学ぶことって本当に多いんですね。

この自然界の不思議なしくみを、応用可能な形にできるのも数学のすごいところですね。さまざまな分野と数学のコラボレーションをもっと見てみたいと思いました。

今回のインタビュイー

小林亮(こばやしりょう)
広島大学大学院理学研究科数理分子生命理学専攻・教授
1956年大阪府出身
京都大学理学部数学科、同大学院工学研究科数理工学専攻博士課程中退
広島大学理学部数学科助手、龍谷大学理工学部講師、北海道大学電子科学研究所を経て現職

このテキストは、(公財)日本数学検定協会の運営する数学検定ファンサイトの「数学探偵が行く!」のコンテンツを再編集したものです。

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