「飛行機が落ちてくれないか」とさえ思った帰路

試合後、日本代表は帰国の途についた。飛行機に乗る前に佐藤は妻に携帯電話からメールを送っている。そこには「死にたい」と書かれていた。

現在のG.G.佐藤氏
現在のG.G.佐藤氏(画像=著者撮影)

飛行機に乗っている最中も、帰国後にマスコミから取材攻勢を受けることを考えると気が重かった。不謹慎だが、飛行機が落ちてくれないかとさえ思った。他の乗客のことまで頭が回る状況ではなくなっていた。

空港に着くと、談話をとるため佐藤のもとに新聞記者が駆け寄った。翌日からは「G.G.佐藤、A級戦犯」「エラーのE.E.佐藤」などと書かれた。

佐藤は、町を歩いていても、常に誰かから見られている思いがした。プライベートのときも記者に追いかけられた。そんなとき妻は明るく励ましてくれた。

「野球でまた見返していこうよ」

佐藤は回顧する。

「バッシングもすごくて、常に追いかけられている感じが1カ月くらいあったと記憶しています」

「所沢の空が北京の空に見えました」

佐藤の復帰は、あの落球から3日後、本拠地である西武ドームで行われた東北楽天ゴールデンイーグルス戦だった。

佐藤は、観客からひどい野次を受けるのではないかという不安を覚えていた。しかし球場に行くと、観客席には「G.G.立ち直れ」「どんなときもG.G.はG.G.だ」「G.G.俺たちはいつもお前の味方だ」と大きく書かれたプラカード、貼り紙があちこちに掲げられていた。

「うれしかったですね。本当に勇気づけられました。頑張らなければいけないと思いました」

試合前に佐藤の名前がアナウンスされたとき、誰よりも大きな歓声が上がった。ポジションは慣れたライトである。2回に楽天ホセ・フェルナンデスの打球がライトに上がった。平凡なフライだったがこのとき球場全体がどよめいた。

「こいつフライ捕れんの? みたいな雰囲気があったんでしょう」

佐藤は苦笑する。無事にキャッチすると、大きな歓声が上がった。佐藤はガッツポーズをして見せた。イージーなフライで観客を沸かした選手は自分だけかもしれないと思うとおかしくもあった。

試合後、「所沢の空が北京の空に見えました」とコメントして、ファンの笑いを誘った。

佐藤は、帰国直後に星野に手紙を書いていた。〈すべては私のせいです。申し訳ありません〉と思いのたけを綴ったが、このとき星野から返事はなかった。

この年は9月に左足首痛で戦列を離れたが、21本塁打、打点62、打率3割2厘(ベストテン7位)と素晴らしい成績を残した。チームもオリックスを振り切ってリーグ優勝し、日本シリーズでも巨人を破り日本一になった。この年の優勝は佐藤なしではありえなかっただろう。