愛知県岡崎市のペン画家、柄沢照文(からさわてるふみ)さん(71)が同県豊田市足助町の三州足助屋敷で、昭和30年ごろの足助の町並みを屛風(びょうぶ)に描いている。新型コロナウイルスの影響で40日間ほど休館になり、制作の様子を見てもらえなかった。5月22日に屋敷の公開が再開され、来館者と話をしながら描けるようになった。

 柄沢さんは岡崎から足助、飯田(長野県)へと続く江戸時代の「塩の道」をたどってスケッチし、1985年ごろに自身が発行していたミニコミ誌で掲載。それがきっかけで、古い町並みが残る足助を描くようになった。

 2014年には山車が繰り出す足助の祭りの様子を、18年には太平記の場面を描いた「足助次郎重範公屛風」を高さ1.7メートル、幅6.4メートルの屛風に描いた。足助の町並みで毎年開かれるイベント「中馬のおひなさん」や足助まつりのポスターも手がけている。

 今回は、高度経済成長期に入った昭和30年ごろの足助の町並みがテーマ。昭和の大合併で町域が広くなり、足助の町が最も元気だったころという。

 制作に向け、昨年春ごろから足助に頻繁に通った。地元のお年寄りから「ここに劇場があって、宝塚の劇団が来たこともある」「パチンコ店が繁盛していた」などの思い出を聞き取った。

 「昭和25~30年は、朝鮮特需で足助の木材がかなり売れたうえ、太平洋戦争中に疎開してきた人も多く残っていて労働力にも恵まれた時代だった」と、柄沢さんは聞かされた。「話をしてくれる人が、みんな目を輝かせていたのが印象的だった」

 4月1日からは三州足助屋敷の展示室で、これまでに描いた屛風画を紹介しながら、今回の作品を描いていた。4月11日から休館となり、来館者に作業を見てもらうことはできなかったが、ウグイスの鳴き声や香嵐渓を流れる巴川の流れの音を聞きながら、下絵の完成に没頭。時々、町に出て、芸者をしていた女性や学校の元教諭らに昭和30年代の町の様子を聞き、絵に反映させていった。

 6月末までに絵を完成させ、その後、8月31日まで展示される。柄沢さんは「足助屋敷に職員が戻り、少しずつにぎやかになってきた」と、再開を喜んでいる。(小山裕一)