最高峰のサッカー選手、オランダのヨハン・クライフ氏死去

ヨハン・クライフ

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画像説明, オランダ代表時代のヨハン・クライフ

オランダが生んだ偉大なサッカー選手、ヨハン・クライフ氏が24日、肺がんのため亡くなった。68歳だった。公式サイトが「がんと果敢に闘った末、バルセロナで家族に囲まれて、安らかに亡くなった」と発表した。昨年10月に肺がんと診断されたが、今年2月には病に対して「2-0で勝っている」と述べ、「最後には自分が勝つと信じている」と前向きなコメントをしていた。

フォワードとしてオランダのアヤックスとスペインのバルセロナ、オランダ代表で活躍し、バロンドール(欧州年間最優秀選手賞)を3度受賞した。

1971年から3年連続でアヤックスをUEFAチャンピオンズカップ優勝に導いた。1974年にはワールドカップ西ドイツ大会でオランダ代表の決勝進出を助けた。オランダは西ドイツに1―2で敗れたものの、この時の決勝戦はサッカー史に残る名勝負のひとつと言われる。1992年には監督として、バルセロナのUEFAチャンピオンズカップ初優勝を実現した。

クライフ氏は選手として5つのクラブチームに所属し、通算521試合に出場、293得点をあげている。2回にわたるアヤックス時代は通算276試合で204得点、18回トロフィーを獲得した。

1974年ワールドカップのスウェーデン戦で、有名な「クライフ・ターン」を初披露。48の国際試合で33得点している。

正確無比なパス、圧倒的なスピードと技術、そして得点力をあわせ持つ選手として、クライフ氏はサッカー選手の理想形のひとつだった。

守備優先の鈍重なサッカーを終わらせたクライフ氏を中心に、オランダ代表は「トータル・フットボール」と呼ばれた攻撃戦術で1974年のワールドカップ決勝まで勝ち進んだ。

またクライフ監督の下、FCバルセロナは1991~1994年にかけてスペインのラ・リーガを4連覇した。

動画説明, World Cup moments: Cruyff's turn

1991年に心臓手術を受けたのを機に長年の喫煙習慣を止め、たばこの代わりにロリポップを口にするようになった。

スペイン・カタロニア保健当局のコマーシャルに出演し、「私の人生のすべてはサッカーのおかげだが、そのすべてをたばこに奪われそうになった」と喫煙の害を訴えた。

オランダ・サッカー協会は「この巨大な喪失を言い表す言葉がなかなかみつからない」と追悼し、クライフ氏について「オランダ最高のサッカー選手で、世界最高峰のひとりだ」と称えた。そして大勢が辛い思いをしているが「みんなでがんばろう」と呼びかけた。

オランダのウィレム・アレキサンダー国王は、「並ぶ者のない素晴らしいスポーツ選手を失った」とコメント。「オランダを代表する人物のひとりだった。私たち全員にとって大事な人だった」とクライフ氏の死去を悲しんだ。

25日に予定されるオランダ対フランスの親善試合は、クライフ氏の背番号14番を記念し、試合開始14分でいったんプレイを止めて1分間の黙祷を捧げる予定。

クライフ氏が選手として、そして監督として所属したバルセロナは「辛く悲しい」とコメントし、「いつでも愛してます、ヨハン。安らかに」と追悼した。

ヨハン・クライフ

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画像説明, 世界最高峰の選手のひとりと呼ばれた

ブラジルの名選手、ペレ氏は「偉大な選手と監督」で、「とても大事な業績を残していった」とコメントした。

クライフ監督の下、FCバルセロナの中心的選手だったバイエルン・ミュンヘンのペップ・グアルディオラ監督(来季からマンチェスター・シティ監督)は、FCバルセロナの「聖堂のペンキを塗ったのは」クライフ監督で、その後に続いた歴代監督はバルセロナを「修復したり改修したりしただけだ」と貢献を称えた。

デイビッド・ベッカム氏は「サッカー史で最高の選手のひとりというだけでなく、素晴らしい人だった。あんなに素敵な人にはめったに会えない」と振り返った。

バルセロナに在籍したこともあるギャリー・リネカー氏は、「ほかの誰よりもサッカーを『ビューティフル・ゲーム』に作り上げた人を、サッカー界は失ってしまった」と悼んだ。

マンチェスター・ユナイテッドのファン・ハール監督は、同じオランダ出身の名選手について「サッカーのもっとも偉大な伝説のひとり」と称えた。

<獲得タイトル>

アヤックス選手として――UEFAチャンピオンズカップ3回、UEFAスーパーカップ2回、エールディビジ(オランダリーグ)8回、オランダカップ5回、インターコンチネンタルカップ1回、インタートトカップ1回

アヤックス監督として――UEFAカップウィナーズカップ1回、オランダカップ回

バルセロナ選手として――ラ・リーガ1回、コパ・デル・レイ1回

バルセロナ監督として――UEFAカップウィナーズカップ1回、コパ・デル・レイ1回、ラ・リーガ4回、スーペルコパ・デ・エスパーニャ3回、UEFAチャンピオンズカップ 1回、UEFAスーパーカップ1回

フェイエノールト選手として――エールディビジ(オランダリーグ)1回、オランダカップ1回

バルセロナの選手たち

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画像説明, 病床のクライフ氏を応援するシャツを着たバルセロナの選手たち

<発言録>

自分自身について

・「ある意味で、自分はおそらく不滅なのだと思う」

・「すべてを理解してもらいたければ、もっときちんと説明したはずだ」

・「実を言えば、私はミスをしないんだ。私がミスするには、ものすごい努力が必要なので」

・「神は信じていない。スペインでは22人の選手全員が十字を切る。もし効き目があるなら、試合は常に引き分けのはずだ」

サッカーと哲学について

・「サッカーをするのはとてもシンプルだが、シンプルなサッカーをするのは一番難しい」

・「イタリア人はこちらに勝てないが、こちらがイタリア人に負けることはある」

・「結果を生まない品質は無意味だ。品質のない結果は退屈だ」

・「自分のビジョンにもとづいて負ける方が、他人のビジョンで負けるよりはましだ」

・「私のチームでは、ゴールキーパーが最初の攻撃担当で、ストライカーが最初の守備担当だ」

・「ボールはひとつしかないのだから、自分のものにしなくては」

・「金持ちチームに勝てないわけなどない。金の入った袋がゴールを決めるところなど見たことがない」