写真で見るエアバスの歴史 ── いかにしてボーイングのライバルになったか

エアバスA380

総2階建てのエアバスA380。

Airbus

  • 過去20年、民間航空業界はエアバスボーイングが支配している。
  • エアバスとボーイングはそれぞれ、世界の旅客機市場の約50%を占めている。
  • エアバスの歴史はボーイングと比べると新しい。ボーイングの創業は1916年、エアバスの創業は1970年。
  • エアバスは現在、約7500機の受注残を抱えている。一方、ボーイングの受注残は約5900機。

エアバス vs ボーイングは、現在のビジネス界を代表するライバル対決。他には、例えばコカ・コーラ vs ペプシ、フォード vs GMなどがあげられる。

だが、過去は違った。比較的最近まで、民間航空機の世界はアメリカのマクドネル・ダグラス(McDonnell Douglas)、イギリスのBAe、スウェーデンのサーブ(Saab)、アメリカのロッキード(Lockheed)、ドイツのフォッカー(Fokker)、アメリカのコンベア(Convair)といった企業であふれていた。

しかし今、旅客機に乗ると、エアバスかボーイングのどちらかになる

2社のうち、ボーイングの歴史は古い。創業は1916年、現在は航空宇宙産業・防衛産業のコングロマリットであり、アメリカ最大の工業輸出企業でもある。

一方、エアバスの歴史は1967年7月、フランス、ドイツ、イギリスの政府が航空分野における協力の強化に合意したことに端を発する。

合意には、各国政府に「エアバスの共同開発と生産のために適切な措置を講じる」ことを求めた。

この決定は必要が生んだものだったとコンサルティング企業ティール・グループ(Teal Group)の航空業界アナリスト、リチャード・アボウラフィア(Richard Aboulafia)氏はBusiness Insiderに語った。

当時はボーイング、マクドネル・ダグラス、ロッキードといったアメリカのメーカーが世界中でシェアと影響力を拡大していた。かつて旅客機のイノベーション・リーダーだったヨーロッパの航空機メーカーは危機に瀕していた。

アメリカの航空機メーカーに対抗するために、ヨーロッパの航空機メーカーは国際的な企業連合としてエアバスを設立。フランス南部トゥールーズ(Toulouse)にあったフランスの航空機メーカー、シュド・アビアシオン(Sud-Aviation)の本社を拠点とした。エアバス本社は、今もそこにある。

エアバスはいかにしてボーイングの最大のライバルとなったのか。詳しく見てみよう。

1960年代まで、ヨーロッパの航空機メーカーは優れた航空機を生み出していた。イギリスにはホーカー・シドレー・トライデントや、

ホーカー・シドレー・トライデント

AP


デ・ハビランド・コメットなどがあった。

デ・ハビランド・コメット

AP


フランスはシュド・アビアシオン・カラベルを生み出した。

シュド・アビアシオン・カラベル

AP


両国はコンコルドを製造するために手を結んだ。コンコルドは史上初、そして唯一の超音速旅客機。だがヨーロッパの航空機メーカーは単独ではアメリカのメーカーに対抗できなかった。

コンコルド

AP


結局、ダグラスDC-8と、

ダグラスDC-8

AP


ボーイング707が、世界の航空会社の新たな主力機となっていった。

ボーイング707

Boeing


さらに、新世代ワイドボディ機が登場。その代表格がボーイングの象徴となった4発エンジンの747。

ボーイング747

Flickr/Aero Icarus


その他には、マクドネル・ダグラスDC-10、

マクドネル・ダグラスDC-10

AP


ロッキードL-1011トライスターも登場した。

ロッキードL-1011トライスター

AP


ヨーロッパの航空機メーカーにもワイドボディ機が必要だった。1969年5月29日、フランスとドイツの両政府はA300を開発・販売する企業連合の設立に合意した。

A300

Airbus


競合機と差別化するために、エアバスはあらゆる面に最先端のテクノロジーを導入する戦略を採った。例えば、軽量な複合材など革新的な製造技術を導入した。

エアバスのコックピット

Airbus


設立当初から、エアバスはヨーロッパのさまざまなメーカーの部品を使用してA300を製造することに合意していた。さまざまな部品を組立工場に運ぶために、同社はトラック、貨物船、そして「スーパーグッピー」と名付けられた超大型輸送機を使った。

エアバスの超大型輸送機「スーパーグッピー」

Flickr/Ian Gratton


1970年9月3日、初のセールスに成功。エアフランスからA300を6機受注した。しかしエアフランスにとって250席のA300は小さかった。そこでエアバスはA300B1を改良し、270席のA300B2を作った。

エアフランスのエアバスA300

Airbus



1972年10月28日、エアバスA300Bが初飛行。

エアバスA300B

Airbus

A300は、ボーイング747のライバル機としては設計されていなかった。中距離・中型のワイドボディ機であり、DC-10、L-1011のライバル機だった。

エアバスはその後、国際的な販売を展開。だが、ルフトハンザ航空、南アフリカ航空、タイ航空、大韓航空といった大手航空会社からの発注を獲得したものの、アメリカ市場には食い込めなかった。

エアバスA300B

Airbus


状況が変わったのは1978年、エアバスはA300をイースタン航空に6カ月間の試験のために「無料」提供した。イースタン航空が負担したのは内装の改装費のみ。

イースタン航空会見

元宇宙飛行士でイースタン航空のCEO、フランク・ボーマン氏(中央)。

AP


試験終了後、ボーマン氏は23機のエアバスA300を発注。ついにアメリカ進出を果たした!

イースタン航空のA300

Flickr/Aero Icarus


1978年7月、第2世代のA310の開発に着手。A300の派生モデルで、全長を短くしたが航続距離を伸ばした。

エアバスA310

Airbus


1970年代、ボーイングは収益性の高い747に集中したため、小型ワイドボディ機市場は手薄になっていた。ボーイングがA300のライバル機となる767-200に着手したのは1978年のこと。1981年に767が就航したとき、L-1011はまだ活躍していたが、DC-10は事故によるスキャンダルに見舞われていた。

ボーイング767-200

Flickr/Aero Icarus


だがエアバスは、まだボーイングのライバルになり得なかった。同社が真に影響力を持ち始めたのは、ナローボディのA320が登場してから。A320はA300以来となるまったくの新設計機だった。

エアバスA320

AP


1981年6月、エアフランスはまだ開発中のA320を25機購入する意向を発表。以来、A320ファミリーはベストセラーとなり、1万4000機以上を受注している。

エアバスA320

JetBlue


A320は旅客機として初めてデジタルコックピット(グラスコックピット)とデジタル式フライ・バイ・ワイヤを採用。業界アナリストのアボウラフィア氏によると、A320とその数多くの技術革新により、エアバスは民間航空業界に大きく貢献することとなった。

A320のデジタルコックピット

REUTERS/Damir Sagolj


1985年、パイパー・エアクラフト(Piper)からニューヨーク生まれのジョン・リーヒー(John Leahy)氏を北米の営業責任者に迎えた。この採用は大正解だった。1994年、リーヒー氏は同社のセールスを統括する重責に就いた。

ジョン・リーヒー

AP


リーヒー氏は斬新で大胆な営業手法で知られた。しばしばボーイングびいきの顧客に狙いを定め、受注に成功。2018年1月に退任するまでに、1兆ドル(約110兆円)を超えるエアバス機の販売に貢献した。

ジョン・リーヒー

AP


1990年代初め、エアバスは2機のワイドボディ機を登場させた。4発エンジンのA340が1991年に初飛行、

エアバスA340

AP


双発のA330が1992年に初飛行した。A340の登場は4発エンジン時代が終わりを告げた時期と重なり、生産数は377機のみ、商業的には失敗に終わった。一方、A330は現在までに1700機以上を受注しており、同社ワイドボディ機のベストセラーとなっている。

エアバスA330

Reuters/Jean Philippe Arles


だが1996年11月、ボーイングの大規模な反撃が始まった。ボーイングとアメリカン航空は今後20年間、ボーイングが独占的に機体を提供するという契約を結んだ。1997年6月までにボーイングはデルタ航空、コンチネンタル航空とも同様の契約を結んだ。

アメリカン航空

Flickr/Aero Icarus


1997年、ボーイングはライバルのマクドネル・ダグラスを130億ドルで買収。

ボーイングによるマクドネル・ダグラスの買収会見

ボーイングの会長兼CEOのフィル・コンディット 氏(左)とマクドネル・ダグラスの社長兼CEO、ハリー・ストーンサイファー氏。

AP


ボーイングはすぐにワイドボディのMD-11と、

MD-11

AP


ボーイング737とエアバスA320のライバル機だったMD80/90を退役させた。ロッキードはすでに旅客機から撤退しており、市場はボーイングとエアバスに絞られた。

マクドネル・ダグラスの機体

REUTERS/Michael Fiala


合併にあたってボーイングは、欧州委員会に対してアメリカン航空、デルタ航空、コンチネンタル航空と結んでいた独占条項を破棄すると約束した。しかし合併後も3社とボーイングはこの条項を暗黙のうちに維持していたと考えられている。結局、アメリカン航空は2011年まで、デルタ航空は2013年までエアバスに新たな発注を行うことはなかった。

エアバスの機体

Regis Duvignau/Reuters


1990年代初め、エアバスはボーイング747-400に挑むという大きな決断を行った。

エアバスA3XX

Airbus/AP


その機こそ、2007年に就航したエアバスA380。総2階建てのA380は世界最大の旅客機。エアバスは空飛ぶカジノ、高級ラウンジという壮大なビジョンとともに、A380は業界を一新すると期待した。

エアバスA380

REUTERS/Pascal Rossignol


しかし、発注は伸び悩んだ。2000年代初め以降、エアバスは何とか335機のA380を販売した。半数以上はエミレーツ航空。

エミレーツ航空A380

Emirates


2017年、エアバスとボーイングは再び対決した。ボーイングはカナダの航空機メーカー、ボンバルディアの革新的なCシリーズの販売に対して、制裁を課すよう訴えた。

ボンバルディCシリーズ改めエアバスA220

Airbus


同年7月、エアバスはボンバルディアCシリーズを完全に手に入れ、この革新的な機体をエアバスA220と改称した。

エアバスA220-300

Airbus


エアバスが見据える未来は、新しいエンジン、新しいエレクトロニクス、新しい主翼を備えた最新のA320neoファミリーに代表されるナローボディ機のラインナップに表れている。

エアバスA320neo

Airbus


A220もその一翼を担う。

エアバスA220

Benjamin Zhang/Business Insider


一方のワイドボディ機は、A350XWBファミリーと、

エアバスA350XWB

REUTERS/Tim Chong


A330neoが担う。

エアバスA330neo

Airbus


エアバス vs ボーイング、戦いはまだまだ続く。

エアバス

Airbus



[原文:How Airbus became Boeing's greatest rival (BA)

(翻訳:Hughes、編集:増田隆幸)

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