神保町でインタビューに応じた宇佐見りんさん。
撮影:稲垣純也
「推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。まだ詳細は何一つ分かっていない。何ひとつ分かっていないにもかかわらず、それは一晩で急速に炎上した」
この書き出しで始まる小説『推し、燃ゆ』が2021年1月、第164回芥川賞を受賞した。2021年2月現在の累計発行部数は42万部を超え、「純文学としては異例の売り上げ」(出版関係者)と話題を集めている。
作者の宇佐見りんさんは、21歳の大学2年生。綿矢りささん、金原ひとみさんに続く、史上3番目の若さでの受賞となった。
受賞会見では、大学生らしい笑顔を見せた宇佐見さんだが、作品を読むとそのギャップに驚く。
文藝賞と三島由紀夫賞を受賞したデビュー作『かか』では、酒を飲んで暴れる母や壊れていく家族を描き、2作目の『推し、燃ゆ』では、学校にも家族にも居場所のない高校生が、もがき苦しむ姿が生々しく語られる。
「大学生の芥川賞作家」として注目される宇佐見さんとは一体、どんな人物なのだろうか?
ファンの切実さ「ちゃんと描く」
古本を眺める宇佐見さん。「神保町には本を買いに来ることもあります。好きな作家のサイン本があったりするので」。
撮影:稲垣純也
2月初旬、神保町でのインタビュー取材に水色のワンピース姿で現れた宇佐見さんは、「初めまして、宇佐見と申します」とマスク越しに笑顔で応じた。
写真撮影の際にカメラを向けられると照れた様子もみせ、撮影の合間には「今日はテレビの収録だったんです」と、無邪気に話す。その姿は思っていた以上に「普通の大学生」だった。
そんな宇佐見さんだが、インタビューを始めると、それまでの笑顔は消えた。言葉を選びながら、時に真剣な眼差しで、『推し、燃ゆ』に込めた思いを語った。
「(推すことについて)目線が冷ややかだなと感じる時がありました。例えばアイドルの握手会のために、CDをいっぱい買う人に『うわ、なんかいっぱい買ってるよ』みたいな、好奇の視線。
ただの流行りとかではなく、もっと切実なものもある。そこをちゃんと、自分の切り口で文学にしてみたかった」
撮影:稲垣純也
『推し、燃ゆ』の主人公・あかりは、男女5人のアイドルユニットのメンバー・上野真幸を「推す(応援する)」ことが、生活のすべてともいえる女子高生だ。
スマホの暗証番号は上野の誕生日で、上野に関する記事を読みあさったため、ファンの質問に対する上野の返答は予想できるようになり、テレビの星座占いでは、自分の星座ではなく上野の星座だけを確認。人気投票の応募券のためCDを15枚買い、部屋には上野のグッズを飾るための「祭壇」がある。
宇佐見さん自身も、約8年前から推している俳優がいると明かす。
「推しの俳優さんはいますが、小説のモデルではありません。ただ推す経験のない人が書くのとは、違う小説になっていると思います」
芥川賞で選考委員を務める作家の島田雅彦氏は『推し、燃ゆ』の選評で、「不愉快な現実からの逃避として一括整理されがちな『追っかけ』の心理の解剖としても一級の資料的価値がある」とその描写力を評価した(文藝春秋、2021年3月号)。
「推すことが生きがい」という生き方
「SNSでの炎上などが描かれていることもあって、Twitterでの反響が大きかった」と言う。
撮影:稲垣純也
主人公・あかりは、物事に優先順位をつけるのが苦手で、病院で「ふたつほどの診断名」がついている。バイトでも作業をうまくこなせず、勉強が不得意なあかりに対する家族の目も冷ややかだ。『推し、燃ゆ』は、あかりの生きづらさに貫かれている。
そんなあかりが、アイドルを「推す」行為は、小説内では「背骨」と表現される。
「あたしには、みんなが難なくこなせる何気ない生活もままならなくて、その皺寄せにぐちゃぐちゃ苦しんでばかりいる。だけど推しを推すことがあたしの生活の中心で絶対で、それだけは何をおいても明確だった。中心っていうか、背骨かな」(『推し、燃ゆ』)
宇佐見さんは「推しを推すことが生きがいになるということを、ただ書きたかった」と話す。
「アイドルを応援する人に対して、『もたれかかっちゃだめだ』とか、『趣味なんだからさ』みたいに言われるのを見てきた。
私としては、『推し』を持つ生き方だけを肯定するつもりも否定するつもりもない。どのように推すか、その推し方だって一人ひとり全然違う。ただ、推すことが『背骨』であるような生き方もあっていい。ずっと推し続けることと、その苦しい結果も含めて、小説でちゃんと描きたかった」
「常に平等で相互的な関係を目指している人たちは、そのバランスが崩れた一方的な関係性を不健康だと言う。~あたしは推しの存在を愛でること自体が幸せなわけで、それはそれで成立するんだからとやかく言わないでほしい」(『推し、燃ゆ』)
「吹きこぼれるように、物を書きたい」
宇佐見さんが持ち歩いているという中上健次の『岬』。「まだ読んでないなら、ぜひ読んでください」と勧められた。
撮影:稲垣純也
「あかりにとっての推しが、私にとっての小説に近いと思う。『推し、燃ゆ』の言葉を借りれば、小説は『背骨』という言い方が一番しっくりくる」
宇佐見さんが、インタビューで最も目を輝かせながら語ったのが、尊敬する作家・中上健次氏についてだった。
中上氏は1946年、和歌山県に生まれ、1976年に『岬』で芥川賞を受賞。1992年、46歳の若さでこの世を去った。
「『岬』の巻末に『吹きこぼれるように、物を書きたい。いや、ありたい。~読んでくださる方に、声は、届くだろうか』という言葉がある。この言葉が大好きで、中上さんは本当に吹きこぼれるように書いていたんだろうなと。
『岬』を初めて読んだ時に、声が聞こえた気がして、その声に答えたいと思った。私も本当に小説を描き切ったときには、話しているだけじゃ絶対伝わらないものが、読者に伝わるんじゃないかと思っています」
「中上さん作品を読んでから、自分が書く文章に自信を持てなくなりましたね」と笑ってみせた。神保町の文房堂ギャラリーカフェで撮影。
撮影:稲垣純也
中上作品と出会ったのは19歳の時。
「高校2年生で『いろいろな芥川賞受賞作を読みたい』と思い立ち、芥川賞の全集を図書館で借りた。そこで、藤沢周さんや目取真俊さんと出会いました。中でも村上龍さんの『限りなく透明に近いブルー』は衝撃だった。
それから村上さんの作品を読むうちに、対談集で中上健次を知って、こんなにすごいものがあるんだと知った。中上さんの文章を読んでしまったら、自分の文章に下手に驕(おご)りを持つこともできないですね」
宇佐見さんがかばんから取り出した文庫本『岬』には、赤ペンでたくさんの線が引かれており、「いつでも持ち歩いていて、何度読み返したか分からない」という。
今でもよく好きなシーンを読み返す。
「いい文章を読んでいると、世界の見え方が変わるときがある。ただ電車に乗っているときでも、漫然と乗らなくてすんだりする。日の光や水や風、そういうものの入ってきかたが違う。毎回、小説を書くためのウォーミングアップみたいな感じで読んでいます」
熱を失わないで書き切りたい
大学の授業はすべてオンラインになったという。「もともと一人でいるのが好き。通学がなくなった分、小説の執筆にあてられる」
撮影:稲垣純也
「3作目のテーマは『家族』。書き終えた後に、私自身が成長しているような作品にしたい」
小学生の頃から物語を作り始めたという宇佐見さんは、現在、大学生活を送りながら3作目の執筆をしている。
1作目の『かか』では、浪人生の長女の視点から、離婚をきっかけに精神に異常をきたす母親や、崩壊しつつある家族を描いた。
文藝春秋でのインタビュー(2021年3月号)では、自らの過去について「高校生の頃に私生活が立ち行かなくなり、学校に行くのが難しい時期があった」とも語っている。
「大人であれば一人暮らしをして逃げる選択肢があっても、自分で稼げない10代は家族に経済的に依存し、苦しさから逃げ出せないこともある。
私にはまだ書く体力がないから無理かもしれないけれど、全編を通して熱を失わないで書き切りたい」
(文・横山耕太郎)