コンビニが生んだ「ネットプリント」は異色のデジタルカルチャーだ

DIGITAL CULTURE
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ネットプリント。それはデジタルカルチャーにあって我々を物理世界と繋ぎ止める、鎹(かすがい)かも知れない。

セブン-イレブンが提供する「ネットプリント」は、ファイルをネット上に登録し、プリント予約番号を入手すれば、その番号を使って全国どこのセブン-イレブンのマルチコピー機からでもそのファイルをプリントできるというサービスだ。他にもローソンなどが「ネットワークプリントサービス」という同様のサービスを行なっている(以下それらの総称として「ネットプリント」とする)。

どちらも一言で言うと「クラウドオンデマンド印刷サービス」で、それ以上でもそれ以下でもない。しかし、これを使った新たなカルチャー/アート作品の発表方法が、今人気を集めている。

ネットプリントは、物理的な作品を配布したい場合に「地理的/物理的な格差」、つまりデジタル・デバイドならぬ「フィジカル・デバイド」を解消する手段である

その発表方法とは、何も難しいものではない。

クリエイターがネットプリントサービスに創作物をアップロードし、プリント予約番号を公開。それを、その創作物が欲しい人が近くのコンビニで予約番号を入力、印刷する。

これがクリエイターにとっての新たな作品配布の形だ。ここまで読んで、これの何が新しく、どこが凄いのかと疑問に思う方もいるだろう。技術や仕組み自体は新しいものではない。だがインターネットを通じたデジタルカルチャーが、印刷物という物理性と混ざり反応することで生み出されるものが、デジタルとフィジカルが繋がる新たなる文化なのだ。

ネットプリントは、物理的な作品を配布したい場合に「地理的/物理的な格差」、つまりデジタル・デバイドならぬ「フィジカル・デバイド」を解消する手段である。また、作品配布におけるコストの再分配という意味でも重要な存在である他、デジタルとフィジカルの融合という新たな性質についても特筆すべきだろう。

「イタリアルネサンス美術史研究者見習い」の、めり(@cari_meli)さんによるネットプリント作品

印刷物は印刷された場所にしか存在できない

従来、クリエイター個人が創作物を無料配布する場合、配布される場所は限定されていた。このやり方はあまりにもフィジカル性に縛られてしまう。もちろん、創作物を郵送することもできるだろう。もしくは、手に入れたい人が配布されている場所に移動することも可能だ。しかし物や人を動かすにはどちらも金銭的、時間的なコストが生じる。

コストの面で言えば、配布物の印刷コストなどは多くの場合は配布する側の負担になっていた。血と汗の結晶である作品を作る労力に加え、印刷枚数に応じてプリントサービスに、もしくは自分でプリンタと紙を買い血よりも高いプリンタインクに金を払い、印刷する。クリエイターが作品配布を自らの宣伝と考えれば、印刷コストを作り手自ら負担するのも合点がいくが、貰ってくれる人に対して印刷部数を大きく見積もりすぎていたら、気持ちも財布も報われないだろう。

それに、印刷物は印刷された場所にしか存在できない。ではもっと広範囲に作品を配布するにはどうすればいいのか?

歌人である岡野大嗣(@kanatsumu)さんの著作『サイレンと犀』のTwitterアカウント(@silentsigh1412)による、短歌の配布。

アーティスト目線から見た、デジタル世界における「作品」

ただ広範囲に作品を配布したいのであれば、デジタル世界に作品を公表すれば良い。そうすれば、誰だって物理的な距離など関係なく無料で見られる。

無論、そうしているクリエイターだって大勢いる。作品を楽しむ側としては、こうして公開されている作品を、作者に勝手にプリントアウトしてしまうことだってできてしまう。

しかしそれは作り手の望むことだろうか? デジタル世界で公開された作品は、作者の手を遠く離れたところで、デジタルのみならずフィジカルにも勝手にコピーされてしまったり、そこから関係のない誰かが利益を得たりなどしてしまうことだってあり得る(形態は違えど、オンラインでアイデアを公開したら勝手に商品化されてしまう例なんてものもある)。

私自身、絵画や彫刻など物理的な創作物を作りたびたび個展を開くアーティストだ。デジタルで作品を公開することには肯定的であるものの、世界中の才能が集まり素晴らしい作品を無料で無限に見ることもできるワールドワイドウェブでは、自身が作品にかけた努力に対し、それを閲覧する者が感じるであろうありがたみは少ないとも考える。

一方で、電子機器を通じてしか見ることのできないそれら作品の数々は、フィジカルな重みに、存在感に、欠いている。デジタルに完結してしまえば、物理的特性の持つ所有欲のくすぐりも消失するし、鑑賞者が作品を通して感じる作者との繋がりもそのぶん希薄だ。

RisaStove(@RisaStove)さんが定期的に発行している「ぎんねずフリーペーパー

ネットプリント作品を紹介させてください
TwitterもしくはInstagramでのネットプリント作品(イラスト、詩、コラム、情報...など形式は問いません)投稿に「#FUZEsubmission」をつけてください。FUZEがピックしてRTします。

日本独自のコンビニ・カルチャー

そんなデジタルとフィジカルの落とし所が、ネットプリントだ。日本全国ユビキタスに存在するコンビニから印刷することでフィジカル・デバイドを解消し、広範囲に物理的に作品を広められる。

作り手は無料で作品をネットプリントシステムに登録し、欲しい人のみが少額のプリントサービス使用料金を支払い、作品をその手の中に所有することができる。配布に際する作り手の負担は減るし、日本全国広範囲のファンに作品を所有してもらえ、さらには作品が無駄に印刷されることはない。もちろん印刷する際には少額のプリント料金を支払う必要があるが、その創作物に受け手も価値を見出すのであれば、印刷にかかる20円から60円程度の出資はいとわないだろう。

注文に応じて製品を作るオンラインサービスというカタチは、ドロップシッピングサービスにも似ているといえるかもしれないが、それはあくまでも商用のサービスだし、発送されるという点もネットプリントとは異なる。それよりももう少しネットプリントに近いサービスも存在する。

「物理的なモノをそのまま送るのではなく、データとしてクラウドに載せ、それを必要とする者が身近なプリンタで印刷する」というアイデアは、例えばMakerbotの運営するThingiverseでも見られる。Thingiverseの作品は、サービスに対応する最寄りの3Dプリントサービス拠点で印刷され、注文者へ送られる(フィンランドから注文した場合、近隣に対応サービスがなかったのかドイツから送られてきたが)。しかし、ドロップシッピングサービスもThingiverseも送料が掛かる点が違うし、Thingiverseでは多くの場合3Dデータがクリエイティブ・コモンズ・ライセンスで提供されており、無料でデータだけダウンロードして自ら持つ3Dプリンタで印刷することも可能であること、データの作者にチップを渡すための「Tip Designer」機能が存在することなど、そのコンセプトはネットプリントとは違うものだ。

デジタルの力で物理的距離の差を克服し、欲する者に分け隔てなくフィジカルな存在を配布する。そのなかで、作り手と受け手はそれらを超越した繋がりを感じることもできるだろう

それにネットプリントは、ネット上に掲載されている文章や画像を自宅のプリンタで印刷するのとなんら変わりがない行為のようであるが、実は大きく違う。そのデータはあなたが印刷するまであなたのものではないのだ。受け手が物理的な作品しか手に入れることができない状況に置くことで、作者は作品が意図しない広がり方をしないよう、ある程度は管理できる。

デジタルの力で物理的距離の差を克服し、欲する者に分け隔てなくフィジカルな存在を配布する。そのなかで、作り手と受け手はそれらを超越した繋がりを感じることもできるだろう。デジタルカルチャーの中で広がりを見せるこのサービス、今ではTwitterなどで「ネットプリント」と検索すれば、ネットプリントサービスで印刷可能な作品が多数表示される。これを使った創作物も様々だ。フリーペーパー、同人誌、詩集、画集などのZINEから、ポストカード状の絵やカレンダー、政治的なビラやポスター、中には印刷したものを利用者が加工する必要のある豆本やペーパーフィギュアなどもある。

イラストレーターの晴(@pisces_hal)さんによる、ブックカバーの配布。印刷した人が自ら折ってブックカバーとして使うことができる。

何が印刷されるのか事前に完全にはわからないというのはドキドキするものだ。まるで手紙を送ってもらった事を電話で教えてもらったけれども、実際に手元に届くまでその内容を知ることはできない感じにも似ている

ネットプリントの面白さはこれだけではない。元データを公開することなく物理的な存在を提供することには、ただ単に公開されているデジタル作品を自分で印刷するのとは違う楽しみを入れ込む可能性が残されていた。印刷される創作物をデジタル上で部分的にしか公開しなかったり、何が印刷されるのか受け手に伝えないという手法がそれだ。

このネットプリントの活用法は、もとを辿れば2011年、「エラーくん」などで知られるerror403さんがこれを利用し「学級通信みたいなもの」を作ったところ、人気が出たものが、その後徐々に広まっていったようである。

何が印刷されるのか事前に完全にはわからないというのはドキドキするものだ。まるで手紙を送ってもらった事を電話で教えてもらったけれども、実際に手元に届くまでその内容を知ることはできない感じにも似ている。デジタル世界を介していながらも、デジタル上ではその姿を10桁足らずの羅列でしか見ることはできない。そしてその内容を把握するのは作り手と、そして印刷した人たちだけ。パブリックな電子空間を通しながらも、作家と鑑賞者との親密な空間を築くことができる。

コンビニが生んだ「ネットプリント」は異色のデジタルカルチャーだ
2011年10月24日発行の「エラ通信」第1号

確かにすでに注目を浴びている作り手でない限りは、ネットプリントを通じて作品を配布する手法で作品を多くの人に手に取ってもらうのは難しいかもしれない。それでも、ぼかしを入れるなどしてコンテンツを完全な形でオンライン上に提示しない、という方法は作家の創作物を守るという意味でも、印刷するまで内容がわからない楽しみという面でも効果的だ。

また、ファイルを登録してから最長7日間という制限が設けられているのも、作者視点での作品管理の面でも、受け取り手視点で現在進行形の臨場感が味わえる点でも、効果的な制約となっている。

ネットプリントは「ネットワーク接続されたプリンタ」という使い古された技術を用い、デジタルカルチャーの可能性を押し広げている

従来作り手がまとまったお金を出して印刷していた配布物を、その貰い手個人個人が少額出資し印刷する。送料や送る手間をかけずに会報を会員に届けるなどの、実用性の高い活用法から、詩や絵、立体物などのクリエイティブな創作物の配布まで。デジタルを挟むことで作り手・貰い手両者の物理的、金銭的負担も軽くなるネットプリントは「ネットワーク接続されたプリンタ」という使い古された技術を用い、デジタルカルチャーの可能性を押し広げている。物理的な印刷物の配布というカタチでは、ある意味これが最終形態に近いのかもしれない。

まだまだ思いもよらない面白い使い方が考案されるかもしれないし、ネットプリントサービス自体が進化することで、この文化もさらに発展していくだろう。これはコンビニが偏在する日本だからこそ可能なことではあるが、もしも世界共通のサービスができればその配布先を世界中に広めることだってできるだろう。

(今は無きPrieaのように)ネットプリントサービス側が印刷物に広告を入れることで印刷を無料にしたり、もしくはドロップシッピングサービスのように印刷されたときにデータをアップする側がお金を取れるような仕組みができても、ネットプリントの文化はまた新たな進化をとげることだろう。とは言え、紙の本と電子書籍の住み分けも未だままならない、デジタルとフィジカルの差異を我々が掴みきれずにいる今の現状では、それらの間の子であるネットプリントの真価を見出し、それを先へと進化させるには時期尚早かもしれない。

ネットプリントがデジタルを介して創作物に物理的なカタチを与えることで生み出される、この新たな文化が成熟するのも、これから先、ネットプリント文化に今より大きな注目が集まってからだろう。もしかしたら成熟を迎えないままに他のデジタルとフィジカルの間の子たちに淘汰されてしまうことだってあるかもしれない。しかしネットプリントにはデジタルとフィジカルの特性を超越した新たな文化の形を世界に提示する大きな可能性が秘められていると思わずにはいられない。

ネットプリント作品を紹介させてください
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