Mourning Toni Morrison

トニ・モリスンが教えてくれた鮮やかな世界

2019年8月5日、アメリカの黒人作家として初のノーベル文学賞を受賞したトニ・モリスンが死去した。アメリカ在住の翻訳家、エッセイストの渡辺由佳里が、「彼女が与えてくれたこと」について考える。
トニ・モリスンが教えてくれた鮮やかな世界

世界を広げる読書体験

8月5日に作家のトニ・モリスンが亡くなった。著名人が亡くなるたび、私たちは「残念です」、「安らかに眠ってください」といった追悼の言葉をソーシャルメディアに軽く書き、数日後には忘れてしまう。だが、モリスンが亡くなった2日後、私はラスベガスでのビジネス・カンファレンスに向かう飛行機の中でまだモリスンのことを考えていた。死というよりも、彼女の作品が私たちに与えてくれたことについて。

1年に2度出席するこのビジネス・カンファレンスには約2000人が参加する。夫と私が共同経営するマーケティング会社のオンラインコースの説明や営業をするのが私の仕事であり、5日の間に300〜500人ほどの人と会話を交わす。だが、営業というより、彼らの仕事や家族の悩みに耳を傾け、相談に乗ることのほうが多い。このようなとき、見知らぬ他人と短時間で心理的なコネクションを作るのが「共感」だ。同じような体験をした者同士だと共感は生まれやすいが、20代の若者であろうと、70代の高齢者であろうと、ひとりの人間が体験できることは限られている。それに、多くの人は、自分と似たような人で構成されたコミュニティで一生を終える。だから、世界中から来た、異なる文化背景を持つ人と「同じ体験」による「共感」で繋がるのは難しい。

ところが、生まれたときからずっと同じ田舎町に住んでいても、異なる文化背景を持つ人と即座に共感できる人がいる。その一方で、ビジネスで他文化の人と多く接しているはずなのに自分しか見えていない人がいる。彼らとは本について語ることも多いのだが、「自分を向上させないフィクションは読むに値しない。成功したければ、人生やビジネスに役立つノンフィクションを読むべきだ」と言う人は、後者の「自分しか見えていない人」であることが多い。実際に、トップに立つ人の多くは、オバマ元大統領のようにノンフィクションも小説も読んでいるし、小説には隠れたパワーがあると私は思っている。

2012年5月29日、ワシントンD.C.にてバラク・オバマ大統領(当時)から大統領自由勲章を受けたトニ・モリスン。

人生は1度きりだ。けれども、小説を読むことで、私たちは異なる時代の異なる場所で、いくつもの人生を生きることができる。それらの人生で体験した不条理、悲しみ、苦悩、悔しさを通じて、私たちは、他人の体験を自分のことのように理解できるようになる。これは、理路整然と解説するノンフィクションでは達成しにくいことだ。

奴隷としての悲痛な歴史を持つアメリカの黒人体験を描くモリスンの小説に最初に出会ったとき、日本で生まれ育った私は異質に感じた。処女作の『青い眼が欲しい』(1970年)は、白人の美しい容姿を持てば幸せになれると信じて祈る少女が父親から強姦されて妊娠する悲惨な内容だし、『ソロモンの歌』(1977年)や『ビラヴド』(1988年)でも、時間や空間が流動的に行き来し、現実と幻想の境目があやふやになり、直線的で明瞭なプロットがなく、経時的でもないので読みやすいとは言えない。ときに、肉体と精神にダメージを受けた人間が取る行動の理解に苦しみ、拒絶反応を起こしそうになることもある。

異なる文化背景を持つ者には、(当然のことだが)アメリカの黒人が持つスティグマがそう簡単には理解できない。奴隷として所有され、売り買いされ、虐待され、尊厳を奪われた民族としての記憶は、奴隷制度がなくなってもそう簡単に消えるものではなかった。今でも、個人や家族のアイデンティティの危機、暴力や絶望という負の遺産として尾を引いている。

この「スティグマ」を知らない読者にとって、モリスンの小説は不可解だったり、重く感じられたりする。だが、その重さに抗うのをやめ、物語に身を任せたとき、モリスンは、マジカルな世界への扉を開けてくれる。それは、これまで遭遇したことのない鮮やかな色や音、魔術、伝説が日常に溶け込んでいる世界だ。これほど鮮やかな情景を眼に浮かばせてくれる作家はそういない。本を読み終え、この世界から離れたとき、私たちは大きな冒険を終えている。読む前の自分と読んだ後の自分は、もはや同じ人物ではない。自分を取り囲む世界の奥行きが変わり、これまで識別できなかった色が見えてくる。それが、上質のフィクションを読むことの恩恵だ。

1979年にニューヨークで撮影されたトニ・モリスン。

語り部を連想させるモリスンの文章の独自なリズムと、詩的な表現は、アメリカ文学における貴重な宝物だ。黒人女性として初めてのノーベル文学賞を受賞したのも素晴らしい達成だが、それに加えて、ベストセラー作家として商業的に成功したことが後続の黒人女性作家に道を開いた。出版社は「売れる」とわかったら「次のトニ・モリスン」を積極的に探すからだ。また、モリスンをお手本にした少女たちは、作家になる夢を抱いただけでなく、多くの可能性を信じるようになったことだろう。

現在のアメリカでは、読者としても黒人女性は影響力を持つ集団として重視されている。社会的変化に大きな影響を与え、異なる文化背景を持つ読者の内的世界を広げてくれたモリスンは、何百年経っても、決して忘れ去られることはないだろう。


トニ・モリスン(Toni Morrison)
1931年、米オハイオ州ロレイン生まれ。コーネル大学で英文学の修士号を取得し、テキサスの大学で教壇に立つ。2人の子供を育てながら、1964年からランダムハウスで編集者としてキャリアを積む。1970年発表の『青い眼がほしい』で文壇にデビュー。既成の社会的価値観を問いただす衝撃的な内容が絶賛された。長篇第2作『スーラ』が1973年の全米図書賞候補作となり、1977年には『ソロモンの歌』が全米書評家協会賞、1987年に『ビラウド』がピュリツァー賞を受賞した。1993年にはアメリカの黒人作家として初のノーベル文学賞の栄誉に輝いた。

渡辺由佳里(わたなべ ゆかり)
兵庫県出身。1995年から現在までアメリカのボストン近郊でビジネス講演者の夫と2人暮らし。職歴は、助産師、日本語学校のコーディネーター、広告業、外資系医療製品製造会社勤務などさまざまで、小説を2作刊行した後、現在はエッセイ執筆、翻訳、洋書の紹介、アメリカ企業のコンサルティング、夫が運営する会社の共同経営者(雑用重役)。

写真・Getty Images