最新の事件や話題を一生懸命に追いかけていると、しばしば、尽きることのない悪いニュースの激流の中で溺れているような気分になります。情報が四方八方から襲いかかってくる現代では、心も体も簡単に疲れ切ってしまいます。事件や事故が起きたときには同情と結束も大切ですが、インフォームド・シチズン(見識ある市民)であろうとするあまり、沈没する船と運命をともにする必要はありません。

ネガティブなニュースは私たちにどう影響を与えるのか?

私たちは生まれつき「ネガティブ・バイアス(否定的偏向、詳細は後述)」を持っているため、毎日24時間のサイクルでニュースにさらされていると、「バイキングに来たのにまともな食べ物がない」みたいな気分になります。ネガティブな性質の物事ほど、ポジティブな物事やニュートラルな物事よりも、私たちの精神状態に大きな影響を与えます。本質的に人間の脳は、悪い物事に意識が向くように配線されています。そのほうが危険から逃れやすくなるからです。そして、私たちは悪いニュースを脅威と認識します。ですから、良いニュースやニュートラルなニュースに比べて、悪いニュースがいつまでも心から離れないのは、いたって自然なことなのです。世界は決して崩壊に向かっているわけではありません。ただ、時々そんな風に感じてしまうときがあるだけです。

ニュースメディアは、人間の脳のこの性質を重々承知しています。ニュースメディアの狙いは、読者や視聴者を呼び込むことです。ですから、悲劇を報道したほうが、オーディエンスの獲得につながるのです。高速道路の走行中のドライバーなどが良い例ですが、事故に行き当たれば、私たちはそれを見ずにはいられません。そんなわけでニュースメディアは「ここには自動車事故がたくさん集まっていますよ、見ていきませんか」と呼び立てるわけです。もちろん、私たちが見るのをやめれば、おそらく彼らも報道をやめるでしょう。でも、それはそれで問題です。

「見たい衝動を抑える必要ってあるの? だって、ネガティブ・シンキングも本質的には悪いものではないんでしょう?」という意見も聞こえてきそうです。でも、ネガティブなメディアに絶えずさらされていると、ストレスレベルが上昇して、メンタルヘルスに短期的にも長期的にも深刻な影響を及ぼす恐れがあるのです。心理学者のGraham Davey博士は、メディア・バイオレンス(人間あるいは人間に似たキャラクターによる他者への身体的攻撃の視覚的描写)の影響を専門としており、「The Huffington Post」で次のように解説しています

ネガティブなニュースは、人の気分を大きく変えることがあります。そのニュースが、当事者の苦しみなど、感情的側面を強調する形で報じられている場合は、特にその傾向が強くなります。具体的には(中略)ネガティブなニュースは、あなた自身の個人的な不安に影響を及ぼす場合があります。ネガティブなニュースを見ることで、自身の個人的な不安を、より脅威的で深刻なものと捉えがちになります。そうして気になりだすと、その不安をコントロールするのは難しく、実際よりもつらく感じてしまいがちです。

またDavey博士は、ネガティブなニュースの影響で、私たちは身のまわりのことに不安になったり、悲観的になったりする場合があるとも言っています。これは、実際に身近で悲劇が起こっている場合も、そうでなくても関係ありません。うまくいっている要素があっても、目に入りにくくなります。そうなれば、時間の経過とともに疲労を感じ、世界に対してすっかり消耗してしまうこともありえるのです。

さらに悪いケースでは、同情心を使い果たしてしまう場合もあります。「共感疲労」は、同情の心が徐々に減っていく状態で、その原因は二次的外傷性ストレスです。何かトラウマになるような出来事があったとき、自分ではそれを直接体験していなくても、目撃者の証言や、心をかき乱されるような映像を見聞きするうちに、その恐怖が心の中でリアルになるのです。

インターネットや、24時間ノンストップのニュースメディアの登場によって、これまでには考えられないほど、私たちはともすると絶えず悲劇を目撃しています。そんな中で、悲劇の当事者への私たちの関心は少しずつ薄れていきます。それだけでなく、身のまわりの人々に降りかかる出来事についても、徐々に関心を失ってしまう場合があるのです。何かが起きても、「世の中はそういうものだ」「悪いことしか起こらないんだ」「自分は無力で人助けなんてできっこないんだ」と考えるようになります。自分の行動など役に立たないと信じ込んでしまって、行動を起こすのを嫌がるようになります。でも、そんな風に考える人が増えれば、頻繁に報道されている悲惨な出来事を止めるのは、それだけ難しくなるのです。

私生活においても、こうした疲労は限界を越えて、徐々に同情心を枯渇させる恐れがあります。憂鬱にとらわれると、自分でも気づかないうちに、友人や家族やパートナーからそっぽを向かれるようになります。だってその人たちが泣きたいときでも、あなたは肩を貸そうともしないのですから。

自分にコントロール可能なことに集中する

では、ニュースに対するもっとポジティブな見方を身につけるには、どうすれば良いのでしょうか? メディア消費とストレスの関係に関する研究の第一人者で、テキサス大学サンアントニオ校で臨床心理学を研究するMary McNaughton-Cassill教授は、自分にコントロール可能なことへの集中から始める必要があると言っています。

私がいつも言うのは、本気になって意識しなければならないということです。外的な要素は、変えることはできません。内面をコントロールしなければならないのです。(一番大切なことは)「おそらく起こらないであろう物事」に対して、どうして不安で心配になるのか把握すること、そして不安のきっかけが何なのかを知ることです。身近な出来事に意識的に集中すれば、「ニュースは極端なものや悪いものを選んでいる」と信じられるような証拠が見つかります。

悲惨な出来事が報じられるのを見たら、世界では同時に、まだ良いことも起きていると自分に言い聞かせてください。ただ、そうした良いニュースは、新聞の第1面には載りにくいだけなのです。勘違いしないでほしいのですが、「世界で起きている出来事を気にするな」とか、「悪いことが起きていても、そこまで悪くないと自分に言い聞かせろ」などと主張するつもりはありません。それでも、いつも冷静を保って、「自分はニュースの半分を見せられているだけだ」と認識しておくのは重要なことです。

自分にとっての「引き金」を知っておけば、「この手のニュースには、自分はこれ以上触れるべきでない」と限界を見極めるのに役立ってくれるでしょう。「NYMag.com」でシニアエディターを務めるJesse Singalさんは、自分が特に嫌な気分になるのはどんなニュースで、それは自分のストレスレベルにどのくらい影響するか、考えてみるべきだと言っています。もちろん、悪いニュースは誰にとっても気分の悪いものですが(喜ぶ人がいれば問題ですよね)、種類によっては一部の人に特に大きなダメージを与えることがあり、何が苦手かは人それぞれです。自分にとって特に気分の悪いニュースがどんなものかわかれば、不必要なレベルまで詳細を知りすぎないように注意しておけます。

たとえば、「誘拐のニュースを聞いたら特に落ち込んでしまう」とわかったとします。今後、誘拐のニュースを聞いたときに、それを無視したり、無理して受け入れたりする必要はありませんが、少なくとも、「おぞましい詳細を掘り下げるべきでない」ということは意識しておきましょう。そんなことをしても気が滅入るだけなのですから。

McNaughton-Cassill教授がNPR(ナショナル・パブリック・ラジオ)のウェブサイトで解説しているように、「ある悲劇に関するあらゆる詳細を知ったからといって、自分が生き延びる役には立たないし、ストレスが増えるだけだ」ということを思い出しましょう。簡単なセルフケアの練習をして、自分にとって特に気の滅入る話題に対応してください。そうすれば、自分にとって適切な「ものの見方」が身について、今後のニュース消費のいしずえとなるでしょう。

友だちや家族と議論しよう

共感疲労に襲われたときや、痛ましいニュースが続いて憂鬱になっているときこそ、大切に思う人たちと一緒に過ごすようにしましょう。『Scrubs Magazine』誌に寄稿する心理学者のSusan Fletcher博士は、たとえ気が乗らないときでも、人づきあいを維持することは重要だと解説しています。友人や家族と時間を過ごせば、身近な世界には良いこともあると思い出しやすくなります。それに、今起きている出来事について自分の気持ちを表明する機会にもなります。ネガティブな気持ちを長く溜め込んでおくと、よけいにあとを引いてしまいます。

あなたには支えてくれる人たちがいるはずです。自分から近づいていって、今起きている出来事について、みんなで話し合ってみましょう。状況を整理できて、ちょっとしたセラピーの役割を果たしてくれます。『ニュースをみるとバカになる10の理由』の著者であるジョン・サマービルさんは、何か大きな事件が起きた場合は、ささいな情報が新しく入ってくるのをいちいち気にするよりも、大きな論点について議論したり、じっくり考えたり、その上で行動を起こしたりするほうに、より多くの時間を割くべきだ、と著書の中で提言しています。

たとえば、先日起きたサンバーナーディーノ銃乱射事件によって、筆者は大きなショックを受け、友人たちも同様でした。全員が近くに住んでいたので、状況がより生々しく感じられました。実際には誰も、事件には間接的にすら巻き込まれていなかったのですが。そんなわけで、筆者はあの翌日、ともに時間を過ごすために友人たちを家に招いたのですが、そのうち話題は事件のことに及びました。なぜこの事件が起きたと思うか、大きな枠組で考えたらこの事件にはどういう意味があるのかなど、みんなで話し合いました。集まりが終わるころには、筆者たちは事件のことを忘れていました、などと言うつもりはありません(また、忘れるべきでもありません)。けれども、みんなが少しだけ憂鬱ではなくなっていました。ニュースが引き起こす憂鬱から逃れるには、ただそれを話題にするだけで済む場合もあるのです。ただし気をつけないといけないのは、社会から離れて自分たちだけの世界に閉じこもるのが目的なのではない、ということです。気分を害するのが怖いからといって、お互いの意見にただうなずき合っていても意味がありません。言いたいことを言って、自分の信念を通してください。大事なのは、みんなで有意義な議論をすることです。誰か1人の意見をみんなで復唱したって何にもなりません。

セルフケアを身につけよう。たまには「ニュース断ち」も

ニュースを完全に避けることはほとんど不可能ですが、どれだけ触れるかは、あなたが思っているよりもずっとコントロール可能なものです。世界情勢を無視する必要はありませんが(そうするべきでもありません)、たまに自分で休みを取るぶんには何ら問題ありません。カリフォルニア大学アーバイン校看護学科の臨時学科長を務めるAlison Holman准教授は、まずはニュースの「ドカ食い」を避けるところから始めようと勧めています。つまり、テレビでどのニュースチャンネルも同じ悲劇を報道しているようなときは、何かほかの番組を見るのです。チャンネルを変えるなり、ウェブブラウザを閉じるなりして、一息つくのも良いでしょう。そして「知っておくべき情報は何?」と自分に問いかけてください。3つしかない目撃者証言を何度も繰り返したり、誰もまだよくわかっていない出来事についてキャスターが憶測を喋ったりしているだけのニュース番組に、いつまでもつきあう必要はありません。もちろん、現場のすぐ近くにいるとか、自分にもあきらかに危険が迫っているとかの場合は別ですよ。

『幸福優位7つの法則』の著者であるショーン・エイカーさんと『Broadcasting Happiness』の著者であるMichelle Gielanさんは、『Harvard Business Review』誌のウェブサイトで、ニュースアプリの通知を切って、「ニュース断ち」をするよう提案しています。ニュースをいつも追いかけておくのも良いですが、四六時中そうする必要はないのです。ニュースの更新のたびにアプリの通知やメールが届く設定にしていると、悲観的な報道に絶えずさらされることになります。けれど、そうしたニュースのほとんどは、強盗事件だの自動車事故だのの話題で、おそらく知る必要がないし、たぶん知らずに済んだものです。ニュース速報のメールは配信停止にして、ニュースアプリのプッシュ通知も無効にしてしまいましょう。仕事に向かうクルマの中でニュースを収集するという人は、目先を変えて音楽やほかの有益なポッドキャストを聞いてはどうでしょう? もっと良いのは、束の間の静寂を楽しんで、仕事の前にちょっとした心の準備を行うことです。自分にとって最悪のニュースを、ソーシャルメディアで目にする機会が多いようなら、TwitterやFacebookのニュース速報アカウントのフォローをやめてみては? すべてを完全にやめなくても良いので、自分にとって最悪なニュースだけでも遮断してみましょう。もし可能ならば、ソーシャルネットワークや特定のウェブサイトへのアクセスをしばらく断つのも悪くありません。

ポジティブなニュースソースを混ぜる

仕事の都合などで、すべてのニュースをいつも避けておくというわけには行かない人もいるでしょう。その場合は、悲惨なニュースばかりを目にしてしまうことがないよう、ポジティブなソースを混ぜてバランスを取りましょう。良いことも報じられているとわかるだけで、ポジティブな見方を維持できる場合もあります。たとえば、「Huffpost Good News」などはニュースフィードやいつもの巡回先に加える価値があるでしょう。

朝にニュースを読むのなら、ポジティブで事態の解決に焦点を絞った記事のほうが、1日の開始にふさわしいですよね。それでも、いつものソースも朝のうちに読んでおきたいのなら、前後にポジティブなソースを挟みましょう。せめて最後を明るい記事でしめるだけでも、ネガティブな気分が1日中つきまとうのを防いでくれます。

自分から行動を起こし、それに集中する

悪いニュースのせいで生活をネガティブに引っかき回されて、黙っている筋合いはありません。行動を起こしたって良いのですよ。なにか悲惨な出来事が起こるたびに憂鬱になっていても仕方ありません。自分にとってストレスになるニュースがこれ以上出てこないよう、自分の関与できることを探しましょう。

事態に対処してもらえるよう議員に手紙を書く、災害復興支援の基金に寄付する、スケジュールを調整してボランティアに参加するなど、あなたにできることがきっとあるはずです。ボランティアは、世界をより良くする上で積極的な役割を担う良い方法であり、あなたが負担するのは時間だけです。参加すればすぐに、世界について、そして自分自身について、ポジティブな見方ができるようになるでしょう。「世界ではまだ良いことも起こっている」と実感できるはずです。だってあなた自身が世の中に出て良いことを行っているのだし、同じような人は数えきれないほどいるのですから。自分で何かを変えたという手応えがあれば、悲惨なニュースもかつてほど激しい衝撃をもたらさなくなるでしょう。それでも衝撃がだんだん重荷になってきたら、今回ご紹介したほかの方法も試してみると良いでしょう。

Patrick Allan(原文/訳:阪本博希/ガリレオ)

Photo via Getty and remixed by Tara Jacoby.