大船渡・佐々木朗希、衝撃の自己新154キロ/岩手

大船渡対盛岡三 雄たけびを上げながら力投する大船渡・佐々木(撮影・下田雄一)

<高校野球岩手大会:大船渡11-2盛岡三>◇10日◇2回戦◇岩手県営

 大船渡(岩手)のU18日本代表候補、佐々木朗希投手(2年)が、盛岡三との初戦に先発し、9回4安打11奪三振2失点で完投した。第1球から連続で自己最速タイの153キロを投げ込み、球場を沸かせた。2回には自己最速を1キロ更新する154キロを2球連続でマークし、打っても3安打と気を吐いた。同郷岩手の偉大な先輩エンゼルス大谷翔平(24)ばりの投打二刀流を見せつけた。「岩手の新怪物」がチームを、34年ぶり2度目の甲子園出場に導く。

 第100回の夏の主役は俺だ! 189センチの長身右腕・佐々木がノーワインドアップから右腕を振りかざすと、場内からはどよめきと歓声が湧き起こった。初球から続けて球場のスピードガンで自己最速タイの153キロを計測。2回に人生初の本塁打を浴びると“本気の佐々木”が顔をのぞかせた。直後の打者の3球目から154キロを2球連続で投げ込んだ。

 「前の打者に小中高で初めてホームランを打たれていたので、悔しかった。ヤバいなと思ったので、ギアを上げた」

 夏本番のために、必殺のフォークを水面下で磨いていた。今春は決め球をあえて封印し、直球とカーブだけで臨んで県初戦敗退に終わっていた。この日は追い込むと、130キロ前半の鋭く落ちるフォークを解禁し、4者連続を含む11個の三振を奪った。「春が終わってからフォークを練習していた。6月後半から思うように落ちるようになってきた」。6回から右手がつり、8回には両足がつる満身創痍(そうい)の中、気合で142球を投げきった。

 中学時代から怪物だった。186センチあった中3時点で最速141キロを計測。県内の強豪私学から誘われたが「地元のメンバーと私立を倒して、甲子園に行きたかった」と公立の大船渡に進学。1年夏の初戦で147キロの衝撃デビューを果たすも、その後はエンゼルス大谷と同じく成長痛に苦しみ「何もしなくても腰が痛かった」。昨秋は公式戦で1球も投げず、冬の間はストレッチと1日5回の食事で体作りに専念。今春に身長は3センチ増の189センチ、体重は10キロ増の81キロで肉体が完成した。

 佐々木の本格化で、34年ぶり2度目の甲子園出場が視野に入ってきた。「最近、大船渡は勝てていなかった。チームメートを甲子園に連れて行きたい」。続けて「持ち味は球速とストレート。夏はチームの勝利が優先だけど、156キロを投げて、160キロオーバーを投げられるように。甲子園に出て、甲子園最速を投げたい」と、さらに言葉に力を込めた。投打に高い可能性を秘めた「岩手の新怪物」はまだ2年生。この夏、岩手から全国に衝撃が走る。【高橋洋平】

 ◆2年生の主な球速 甲子園では05年夏に田中将大(駒大苫小牧)が決勝の京都外大西戦で2年生初の150キロをマーク。11年夏には大谷翔平(花巻東)が帝京戦に救援登板し150キロ。安楽智大(済美)は2年春に152キロ、夏には155キロを出した。地方大会では安楽が13年夏の愛媛大会準決勝(対川之江)で157キロ。今年は及川(およかわ)雅貴(横浜)が6月10日に松商学園との練習試合で152キロを計測した。

 ◆佐々木朗希(ささき・ろうき)2001年(平13)11月3日生まれ、岩手・陸前高田市出身。高田小3年から野球を始め、11年の東日本大震災で被災。その後、大船渡に移り住み、猪川小に転校。大船渡一中では軟式野球部に所属し、Kボール選抜で全国大会初戦敗退。大船渡では1年夏からベンチ入り。189センチ、81キロ。右投げ右打ち。家族は母と兄、弟。好きなアイドルは福田愛依。