苦しみの象徴 伊東監督の結石…辞任発表11日後に

10月、あいさつで感極まるロッテ伊東監督

 「今年のロッテ」は伊東勤監督(55)が辞任した。昨季は球団31年ぶりの2年連続Aクラスを果たすなど、就任5年間で3度CS進出。だが、今季は37試合目の5月16日に早々と自力優勝が消え、54勝87敗2分けで最下位。一時は球団ワーストを更新する借金40を重ねた。苦しみ抜いたシーズンだったが、8月のある日、その身に大変な事態が起きていた。

 異変は、暑さも盛りを過ぎた8月24日の楽天戦(ZOZOマリン)で起きた。伊東監督が試合前練習に現れなかった。その11日前に辞任を表明。今季最後まで指揮は執るとしたが、やはり休養なのか。その時だ。「監督は病院です。理由はその…、尿管結石です」。球団の連絡に現場の緊張が解けた。伊東監督は試合までに到着。ちゃんと指揮し、勝利した。試合後は病状には触れなかったが、さすがにしんどそうだった。

 翌日は、いつもの伊東監督に戻っていた。遠征のため、羽田空港に時間通り現れた。「今朝、出たよ。ほら」。財布から1ミリほどの黒色のかけらを取り出した。元凶を突き出し「大丈夫。ちゃんと洗ったから」と得意顔。さすがに誰も触ろうとしなかったが、ユーモア好きな普段の姿だった。

 痛みは前日23日のナイター中からあったそうだ。試合後、定宿で横になったが寝付けない。明け方4時まで耐えるも限界だった。ホテルに頼み救急車で病院に担ぎ込まれたのが、午前5時。車椅子に乗せられ、看護師から「お仕事は?」と聞かれた。「ロ、ロッテの監督です」と生汗を流し答えた。相手の驚きようといったら、なかったという。

 自ら「ストーンと出た」(※石だけに)と笑い話にしたが、あの結石は苦しみの象徴のように思える。23~26日に、やっと今季初の4連勝。痛みが出て消えるまでと重なった。勝てないストレスが結石の原因かは分からないが、勝てない原因ははっきりしていた。

 何より、デスパイネの穴が埋まらなかった。伊東監督は昨年から「1点もやらない野球しかない」と覚悟したが、打てなさ過ぎた。5月末までチーム打率2割未満では、投手も持たない。すぐに、打てない、守れないの二重苦に陥った。

 記者の記憶に強く残る場面がある。30近い借金を抱えた7月上旬の練習日。

 伊東監督 こんな屈辱はない。せめて最下位だけは、と思っていたけど…。

 初夏の日差しにサングラスをかけ、表情は読めなかった。ただ、声は震えていた。目は赤かったかも知れない。西武黄金時代の柱が、31年目で自身初の最下位になろうとしていた。1カ月後、辞任を申し入れた。

 無力感の背景には、フロントとのすれ違いもあった。5月18日にキューバのサントスの獲得が発表された。だが、念願の大砲ではなく1番タイプ。「絶対に必要という感じではない」と漏らした。一方、球団幹部は「監督が欲しいと言ったのに」とボヤいた。獲得に動き始めたオープン戦の頃はパラデス、ダフィーの新大砲が好調で、サントスが加われば盤石と思われた。開幕すると大砲2人はさっぱり。キューバ政府との交渉は時間がかかる。自力優勝消滅2日後の発表は、タイミングが悪過ぎた。

 球団は自力優勝が消えても、すぐに続投の芽を消すことはしなかった。しかし「屈辱」を味わった伊東監督は自ら辞めるしかなかった。10月10日の今季最終戦後。「終わりました。全て」。解放され、実に穏やかな顔だった。【古川真弥】