プロ野球の開幕日が6月19日に決定しました。日刊スポーツ評論家陣が「開幕」にまつわるエピソードを紹介する「開幕と私」が再スタート。今回は桧山進次郎氏(50)が星野政権1年目のアーチ秘話を明かしました。02年、巨人との開幕戦で先制弾が決勝点となり、思い出の一打に。チームの変革期に選手会長のリーダーシップが生んだ1発でもありました。【取材・構成=田口真一郎】

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桧山には、開幕戦にまつわる、もう1つの思い出があった。98年、横浜(現DeNA)との開幕戦で2番で起用された。前年まで4番など主軸を務めていたが、当時の監督・吉田義男が描く攻撃的布陣の目玉となった。オープン戦終盤に指揮官自ら桧山に説明。「お前にはバントはさせない。攻撃型の2番でいくから、自由にやってくれていい」。力強い言葉に戸惑いはすぐに消えた。意気に感じ、気合が入った。

そして迎えた初戦。先頭の和田豊が右前打で出塁。桧山はイメージした。「一、二塁間を抜いて、一、三塁を作ってやろう」。先発川村の投球をとらえたが、一塁正面のゴロとなり、最悪の併殺打。終わってみれば、和田の単打の「スミ1」で1安打完封負けとなった。2番桧山は10打数1安打、チームは3タテを食らった。攻撃型オーダーは次のカードであえなく解体となった。「チームが負けていたので、替えざるをえなかったと思う。2番は難しい打順。周りが見えないといけない。いい経験になった。吉田さんとは、野球談議になると、必ずその話になる。『あのゲッツーで終わったな(笑い)』と。いい思い出です」。

苦い経験もまた桧山を成長させた。(敬称略)

◆桧山進次郎(ひやま・しんじろう)1969年(昭44)7月1日生まれ、京都府出身。平安(現龍谷大平安)、東洋大を経て91年ドラフト4位で阪神入団。95年から外野のレギュラーに定着して4番も務め、97年は自己最多の23本塁打。03、05年は主力としてリーグ優勝に貢献した。代打の神様としても一時代を築き、14本塁打、158安打、111打点はいずれも球団最多。阪神一筋22年。現役時代は右投げ左打ち。