なぜ「SMの女王様」に? “ひみつごと”抱えて生きてきた女性

 【人生まるよ】<2>

 赤い縄で縛られ、横たわる女性がスポットライトの中に浮かび上がる。天井の滑車に縄が渡された。鈍い音とともにゆっくりと体がつり上げられ、縄の間に挟まれた赤いろうそくが炎を揺らす。したたり落ちたろうが、鮮血のような跡を体に残していった。

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 ビュッ。革のむちがうなり、一瞬で炎が消えた。立ち上る煙の向こうに、エナメルのボンデージ衣装に身を包んだマリンさん(39)の姿があった。加虐と被虐、サディズムとマゾヒズム(SM)をテーマとする福岡市・西中洲のバー「KINKY BOX」のママ兼経営者、そして加虐役の「女王様」として、今年「業界入り20周年」を迎えた。

 出会った人はなぜか自分が抱える秘密や悩みを彼女に打ち明けたくなる。「性は『ひみつごと』ですからね」。自身、その「ひみつごと」を抱えて生きてきた過去がある。

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 初恋は幼稚園のとき。相手は園の先生で、お尻の大きな女の人だった。小学生になると、縛られたり串刺しにされたりした女体を想像し、こっそり絵にするように。小学校高学年のとき、教室でその点描画が先生に見つかった。

 「どこでこんなものを」「何を見て描いたんだ」

 頭を抱えて問い詰める男性教諭に、とっさに「歯医者さんにあった本を見て」とうそをついた。相手の体から一気に力が抜けていくのが見えた。自分が思い描いてきた世界は「イケナイこと」だと、その時知った。

 同性愛と加虐願望。中高生時代は自分の「好き」にふたをして、普通の子を演じた。「暗黒時代」と呼ぶ。仲のいい家族とわずかな友人が支えだった。欲望は黙々と裸婦画を描くことに向けられた。

 自分を解放できたのは20歳のとき。美容師の傍らフリーペーパーのライターをしていて、取材でSMバーのママと出会った。「10日間だけ手伝って」という誘いが人生を変える。「『イケナイこと』だと自分を封じてきたことが、SMではプレイとして確立していた。この世界なら認めてもらえるんだ…って」

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 10日間がいつしか7年になり、大阪や名古屋での「放浪女王様生活」6年間を経て「人の役に立てなければお金をもらう価値はない」というプロ意識を学んだ。福岡に戻り、3年前に経営権を譲り受け、今の店を構えている。

 双方合意の上、拘束具を使ったり縄で緊縛したりする行為は、安全面の知識が必須だ。縄の緊縛は罪人を拘束する捕縄術が源流とされ、マリンさんは、江戸期の歴史から解剖学までを学んできた。

 「はと胸の女性を宙づりにするときは気を付けて。縄がずり上がって首が締まることもあるから」「この仕事は道具の消毒が基本です」。客のいない時間帯、若いスタッフにプレイのイロハを教える。

 やけどを防ぐ低温ろうそくは溶ける温度が低めで、動脈血に似せた鮮紅色の特注品だ。「この丸みに沿って流れていく様子がきれい」。女性の腕を伝わるろうに目をやるマリンさんはSMはアートでもあると言う。「でも絵と違って相手には感情も体調もある。毎日違ってそれが奥深い」

 痛みで生を実感する人、緊縛されて初めて自分を解放できる人-。どれも女王様との信頼関係がなければ成立しない。「自分が楽しいだけでは自慰と同じ。相手に何が必要か考えるのが女王様。SMって愛情表現のツールなんです」

 かつて「口外できない趣味」だったこうした性的嗜好(しこう)はテレビ番組でも普通に取り上げられることも珍しくなくなり、認知度は高まってきた。

 それでもまだ、マイノリティーとしての生きづらさを抱える人たちがいる。「そんな人の保養施設ですよ。SMは“百人百色”ですから、ここで自分の『ひみつごと』を肯定して、また頑張ろうって思ってくれたらいい」。今夜もまた、求められれば、笑顔でビンタする。


=2018/01/06付 西日本新聞朝刊=

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