【津屋崎ブランチに学ぶ1】起業支援 「プチ起業塾」で少しずつ変える

 人口減少による「地方消滅」の危機が指摘される中、福岡県福津市津屋崎(旧津屋崎町)が元気の良さを発信している。住民の足だった西鉄宮地岳線は廃止されたが、まちおこし団体「津屋崎ブランチ」(山口覚(さとる)代表)のユニークなプロジェクト展開もあり、人口が増えているのだ。プロジェクトの柱、「起業支援」と「移住支援」に挑む現場を訪ね、暮らし方の再発見につながるヒントを探った。津屋崎ブランチの活動に詳しい柴田建・九大大学院助教にも何が学べるのか、聞いた。

 昔たばこ店だった古民家を活用した「カフェ&ギャラリー古小路(こしょうじ)」は、津屋崎の氏神様をまつった波折(なみおり)神社のそばにある。引けばガタガタと鳴る格子戸が、建物に流れた年月を物語る。

 古小路の営業形態はユニークだ。曜日ごとに違う店が開き、経営者の個性を反映したメニューが日替わりで楽しめる。2009年のオープン以来、火曜日を担当しているのが〓暁子(はたあきこ)さん(50)=福津市津屋崎。手作りの雑貨を並べ、入れたてのコーヒーで訪れた人をもてなしている。

 専業主婦だった〓さんがカフェ経営者となったのは、津屋崎ブランチが福津市の受託で開いた市民講座「プチ起業塾」がきっかけだった。本格的に会社を起こす起業ではなく、月3万~5万円稼げる仕事をつくり出す「プチ起業」を目指すものだ。「月5万円の仕事を四つ兼ねれば20万円稼ぐことができる。昔の人は仕事を幾つか組み合わせて生きていました。そして小さな経済がいっぱい集まれば、町は元気になる」。津屋崎ブランチの山口覚代表(46)は狙いをそう語る。

 〓さんは08年1月に開講した塾の1期生となった。「大切なのは『自分の得意なこと』と『社会にいいこと』をやり、そして『やるからにはお金が稼げること』と教わりました。中でも経済の視点は、私たちに欠けていたもの。見ること聞くことがすべて新鮮でした」。塾生たちは自分たちがやりたいことを語り、地域の今を話し合った。知らず知らずのうちに町の未来を考えるようになっていた。

 塾に入るのは友人に誘われて「なんとなく」、受講中も「やりたいことがなかなか浮かばなかった」という〓さんだったが、“卒業”後、古民家再生に友人らと携わり、古小路のオープンにつなげた。そこでカフェを開くことも申し出た。現在は古小路全体のコーディネートを引き受けている。

 〓さんのカフェは町内外から客が訪れ交流の場となっているが、塾が掲げた「月3万~5万円稼げる仕事」とするのは難しいという。「でもお店をやることで、町に私の軸足を置く場所ができたような気がします。地域づくりの一端を担っている責任も自覚するようになりました」。〓さんは自身の変化を強調する。

 プチ起業塾は今、交流起業塾と名前を変え、津屋崎ブランチが単独で主催している。卒業生は約180人。〓さんをはじめ、数十人がプチ起業を果たしたという。町を変えるために、まず人を変える。それが津屋崎のスタイルなのだろう。

 ※〓はすべて「券」の「刀」部分が「禾」

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 ▼旧津屋崎町

 福岡県北西部にあった町。2005年に福間町と合併して福津市となった。同市北部が旧町域。江戸時代は港町、製塩地として栄え、中心部は家が建て込んでにぎわっていたことから「津屋崎千軒」と呼ばれた。福岡市中心部まで車で1時間程度、宮地嶽神社や海水浴場などの観光スポットには同市からの入り込み客が多い。西鉄宮地岳線(西鉄新宮-津屋崎)の廃止は07年。

 ▼津屋崎ブランチ

 2009年に福津市の「津屋崎千軒を核とした移住・交流ビジネス化業務」をきっかけに開設されたまちおこし団体。(1)移住支援(2)古民家再生(3)起業支援(4)対話支援-事業を活動の主柱に、地域の活性化に取り組んでいる。移住支援では、ホームページでの積極的な情報発信も行っている。対話支援では、地元住民と移住者、子供達と親世代などが垣根を越えて集い学び合える場を設けている。

(続)

【津屋崎ブランチに学ぶ】2移住支援

 

=2016/01/08付 西日本新聞朝刊=

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