日本最古「三種の神器」が出土。弥生時代の早良平野に繁栄した王国があった

吉武高木遺跡から出土した青銅製の武器やヒスイの勾玉、多紐細文鏡など=1992年

【博学博多】

 福岡市の西部に広がる早良平野。中央を室見川が流れ、中流の西岸域にはここに弥生前期末に早良王国が存在していたことを語る遺跡群がある。西区の飯盛山の麓の扇状地に広がる吉武遺跡群だ。天皇の証しとされる「三種の神器」(鏡、剣、玉)に相当する副葬品を持つ木棺墓が発掘されて話題を呼んだ。紀元前2世紀ごろのものとされる出土品は、日本最古の三種の神器である。ここが「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」の金印で知られる奴国や卑弥呼の邪馬台国よりも以前にクニであったことを示している。弥生社会の成り立ちを考える重要な意味を持つ早良王国とは?

飯盛遺跡の発掘現場。後方は四箇田団地=1985年

☞最古級の王墓が吉武高木遺跡に
 1200基を超える甕棺墓(かめかんぼ)・木棺墓が10カ所以上に分かれ、墓地を構成する吉武遺跡群。中でも特に早良王国の存在を印象付けたのが吉武高木遺跡である。弥生前期末〜中期前半の60基ほどからなるとみられる墓地で、「標石」と呼ばれる墓標を持ち、青銅製の武器や腕輪、装身具などの副葬品がある多くの墓が確認されている。画期的だったのは一つの木棺墓から銅矛(ほこ)や銅戈(か)などとともに銅鏡、銅剣、勾玉(まがたま)のいわゆる三種の神器、しかも日本最古のものが発見されたこと。このセットは多くの古墳など有力者の墓から出土することから富と権力の象徴だとされる。
 鏡は直径11.1cmで、背面に幾何学的で...

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