焼き入れを終えたばかりの太刀を見せていただいた。
刃先の部分だけが研がれている。刃文の出来の良否を確認するための鍛冶研ぎだ。
電球の光の下で透かし見ると幅の狭い「小乱れ」の刃文が明るくきらきら輝いている。
小乱れ刃というと、地味な刃文を連想するかもしれないが、そうではない。
小互(こぐ)の目と小丁子(こちょうじ)を交えた刃文に沸(にえ)がかぶった華麗な焼き刃の構成が小乱れなのだ。
この太刀が仕上げ研ぎを経ると、刀身の肌に板目の文様が現れる。全体の姿は、手元に踏ん張りのある古雅な腰反り。
作者は、千葉市内に鍛刀場を構える現代刀匠、松田次泰(つぐやす)さんである。
◆800年間の空白を埋める
江戸時代の刀鍛冶が、この太刀を手に取ったとすれば息をのむはずだ。感涙を流すかもしれない。理由は、鎌倉時代の名工の手になる刀剣としか見えないからである。
平安末から鎌倉初期の古刀は日本刀の最高峰とされている。江戸期には既にその製法は失われ、名人上手をもってしても再現不能となっていたのだ。
砂鉄から鋼を得る製鉄技術の変化の影響か。もしくは用いる砂鉄の質の差か。あるいは鍛刀法の違いによるものか。
江戸期は、刀剣が非常に重きをなした時代である。にもかかわらず、はるか昔の太刀に自分たちの技が及ばない。古備前派の友成(ともなり)や正恒(まさつね)に代表される鎌倉初期の刀剣の再現は、江戸の刀鍛冶の悲願だったのだ。