【畠山独占手記】「戸田の問題児」一変…使い続けてくれた小川さんに感謝

[ 2015年10月3日 11:30 ]

<ヤ・神>胴上げされる畠山

セ・リーグ ヤクルト2-1阪神

(10月2日 神宮)
 ようやく終わった。ここ数日気を張り詰めていたから。9回2死で泣く予定だったんだけど、違ったね。雄平のサヨナラ打で一塁から二塁に走った後に涙が出た。せっかくだからやってくれって、みんなに胴上げをお願いした。重いんだろうな、落とされるんだろうな、と思ったけど落とされなかった。最高です。

 本塁打、打点ともキャリアハイになったけど、これは山田と慎吾(川端)が僕の前を打っていたから。山田は凄いよ。ポテンシャルが高いし、23歳でリーグを代表する打者に成長している。慎吾は努力して自分のスタイルを見つけ、どんな形であれ出塁してつなぐ。自分は、正直、調子があまり良くなかったけど、それでも数字が伴っているのは、いい集中力を保てる打席が多いから。前の打者に感謝している。

 ヤクルトに入団してから2度目の優勝。でも1度目は高卒ルーキーだった01年で正直、どうでもよかった。自分は1軍に行ったことがないし、1軍という場所を知らない。今振り返っても、強いなというメンバーが並んでいる。違うチームのような感覚だった。

 「戸田の問題児」と言われていたけど、1年目はちゃんとやっていたつもりだった。いろいろと、話が大きくなっているんだよ。1年目の春季キャンプで外野の球拾いを命じられて小川2軍監督(現SD)の目の前で背面キャッチしたらぶん殴られた。3年目くらいから遅刻したり寮を抜け出したり、まあ「戸田の問題児」だったかな。

 私生活が悪いと野球でもそれなりの成績しか出せない。2軍で試合に出るうちに少しずつ意識は変わっていった。一番の変化は08年。1軍で1年間我慢して使ってもらった。ここでやっていくことの楽しさを知り、年俸もバンと上がるし、凄い世界だなと。たぶん、他の球団だったらとっくにいないと思う。ずっと見守ってくれた球団と、使い続けてくれた小川さんには本当に感謝したい。

 今年は3月に次男が誕生し、家族のために費やす時間も増えた。朝から晩まで家族4人の時間で、自分の時間は子供が風呂に入ってから。買い物とか、鉄道博物館にもよく出没している。家族の力も大きかった。

 心残りは9月21日の阪神戦(甲子園)。今年唯一、盗塁を試みたが、投手がボークを取られた。120%セーフになる自信があったのに、通算8個目の盗塁を逃した。しかも、三盗だよ。あとゴールデングラブ賞を獲ると宣言したのに、失策10個もしちゃった。まあでも、今年のチームは粘り強く戦えたことが強みだったと思う。一年間を戦い抜いてのリーグ制覇が、どれだけ自分たちの自信になるか。この自信を持ってこの先も今までと同様、目の前の一試合一試合を全力で頑張っていきます。 (東京ヤクルトスワローズ内野手)

 ◆畠山 和洋(はたけやま・かずひろ)1982年(昭57)9月13日、岩手県生まれの33歳。専大北上では甲子園に2度出場など高校通算62本塁打。00年ドラフト5位でヤクルト入団。主なタイトルは12年のゴールデングラブ賞。1メートル80、96キロ。右投げ右打ち。

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