憲法を考える 自由と権利守るために

2020年5月4日 02時00分
 新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、政府は特別措置法に基づく緊急事態を宣言しました。外出や仕事がままならない状態が続きますが、私たちの自由や権利はどこまで制限され得るのか。憲法を考える機会でもあります。
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 安倍晋三首相は四月七日、七都府県を対象に緊急事態を宣言し、その九日後に対象を全国に拡大しました。期限は大型連休が終わる今月六日となっていますが、政府はさらに延長する方針です。不自由な生活は、しばらく続きます。

◆都市封鎖はなぜ回避?

 新型コロナウイルスの発生源とされる中国の武漢市や、イタリアなど欧米の都市では交通が遮断され、外出が厳しく制限される「都市封鎖」が行われました。
 日本でも、小池百合子東京都知事がロックダウン=都市封鎖の可能性に言及したことはありましたが、結局行われませんでした。
 緊急事態を宣言した記者会見で首相はこう述べています。「今後も電車やバスなどの公共交通機関は運行されます。道路を封鎖することなど、決してありませんし、そうした必要も全くないというのが専門家の皆さんの意見です」
 不要不急の外出や県境を越えた移動は控えるよう要請はありましたが、強制ではありません。公共交通機関もほぼ通常通りです。日本ではなぜ都市封鎖が行われなかったのか。
 憲法一三条は、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と定めます。移動の自由は国民の権利を構成する重要な要素です。公権力による強権的な制限は基本的人権の尊重を定めた憲法に反します。
 いくら安倍政権でも、憲法に反し、法律に定めのないことを強行することは許されないのです。

◆権利の制限は抑制的に

 もちろん憲法に定める権利の保障は無制限ではありません。歴代内閣は「公共の福祉のために必要がある場合に、合理的な限度において国民の基本的人権に対する制約を加えることがあり得る」との立場で、公共の福祉の内容や制約の範囲は、立法の目的などに応じて判断する、としてきました。
 例えば、災害対策基本法や武力攻撃事態における国民保護法は、道路交通の遮断や、一部地域への立ち入り制限を認めています。
 ただ、新しい日本国憲法下で民主主義国家へと生まれ変わった戦後日本が、国民の権利の制限には抑制的だったことも確かです。旧明治憲法下で国民の権利や自由が奪われ、日本国民だけで約三百十万人という犠牲を強いた戦争への反省からにほかなりません。
 新型コロナの感染拡大を機に、憲法を改正し、緊急事態条項を設けるべきだとの意見が自民党などから相次いでいます。安倍首相も「今般の新型コロナウイルスへの対応も踏まえつつ、国会の憲法審査会で与野党の枠を超えた議論を期待したい」と述べています。
 緊急事態条項は、首相が二〇二〇年までの施行を目指すとした自民党の改憲四項目に盛り込まれたもので、異常かつ大規模な災害発生時に、国会議員の任期を延長する特例を設けたり、国会の議決を経ず法律と同じ効力がある政令の制定権を内閣に与える内容です。
 現行憲法にある基本的人権尊重は維持されるため、緊急事態発生時に法律と同一効力の政令制定権を認めても人権は守られるとの主張なのでしょう。
 とはいえ第一次世界大戦後の戦間期に、当時最も民主的とされたドイツのワイマール憲法が、ヒトラー総統率いるナチス政府に法律の制定権を与える全権委任法によって骨抜きにされた歴史的経験を踏まえれば、危うい内容です。
 さらに注意すべきは、条文全般にわたる改憲案を示した一二年の自民党草案が、国民の権利を最大限尊重するとしつつも、「公益及び公の秩序に反しない限り」と留保を付けていることです。
 武力攻撃や内乱、大規模災害発生時の緊急事態条項も設け、内閣の政令制定権や国民に国や公の機関の指示に従う義務も課しています。「三権分立」や「人権尊重」の停止もいとわない改憲思想を見過ごすわけにはいきません。

◆国民の「不断の努力」で

 国民の自由や権利はどこまで制限され得るのか、またその必要性がどこまであるのか。今回の新型コロナウイルスの感染拡大は、民主主義社会における課題を、あらためて提起しています。
 憲法はこう記します。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」
 今を生きる私たちの命や暮らしを守ると同時に、先人たちが勝ち取った自由と権利をどう守り、次世代に引き継ぐのか、私たち一人一人の覚悟も問われています。

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