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仁義なき移籍!? 自動車メーカーのCMを渡り歩いたタレントたち

2020.09.02 デイリーコラム 沼田 亨

“トヨタのタレント”だったはずなのに

キムタクこと木村拓哉が最新の日産のテレビコマーシャル(CM)に出演している。通称“ハコスカ”こと3代目「スカイライン」の「ハードトップ2000GT-R」に始まり、初代「サファリ」や初代「フェアレディ240ZG」、「スカイラインGT-R(BNR32)」といった過去の名車を駆った後に2021年発売予定のEV「アリア」に至るという、既視感の強いベタな構成(個人の感想)である。これより前からオンエアされていたマクドナルドのCMで初代「テラノ」に乗っていたのは、このための露払いだったのか、なんてこともささやかれているが、それを含めて話題となっているのが、キムタクの日産への“移籍”であろう。

キムタクといえば、古くは今から四半世紀以上さかのぼる1994年にデビューした初代「RAV4」、そして断続的ではあるが2004年から2017年にかけて歴代「カローラフィールダー」のイメージキャラクターを務めており、“トヨタのタレント”という印象を世間に強く植え付けていた。その大物が同業他社に電撃移籍となれば、騒がれないはずはなかろうというわけだ。

この移籍騒動(?)によって、過去に複数の自動車メーカーの広告やCMに出演したタレントおよびスポーツ選手についても言及されている。大物の移籍という意味では、過去に「イチロ・ニッサン」のキャッチフレーズを掲げ、日産の“顔”として企業CMなどに出演していたが、近年はトヨタの広告メディアである『トヨタイムズ』などに出ているイチローが思い浮かぶが、単に複数のメーカーの商品CMに出演しているタレントとなると、これが思いのほか多いのだ。記憶にあるだけでも10人はいると思っていたのだが、ざっと調べてみたところ、40人近くいるのである。それらの中から、いくつかの例を紹介していこう。

オンエア中の日産のテレビCMで、木村拓哉が最初に乗り込んで走りだす、型式名KPGC10こと「スカイライン ハードトップ2000GT-R」。セダン版のPGC10と合わせてツーリングカーレースで49連勝を含む五十数勝を挙げた、スカイライン伝説最大の担い手。
オンエア中の日産のテレビCMで、木村拓哉が最初に乗り込んで走りだす、型式名KPGC10こと「スカイライン ハードトップ2000GT-R」。セダン版のPGC10と合わせてツーリングカーレースで49連勝を含む五十数勝を挙げた、スカイライン伝説最大の担い手。拡大
木村拓哉が最初に出演したトヨタのCMは、1994年に登場した初代「RAV4」。キャッチフレーズは「RAV4という名のスポーツ」だった。
木村拓哉が最初に出演したトヨタのCMは、1994年に登場した初代「RAV4」。キャッチフレーズは「RAV4という名のスポーツ」だった。拡大
3代目「カローラフィールダー」に、2013年に追加設定されたハイブリッド車。木村拓哉がCMに出演した(今のところ)最後のトヨタ車である。
3代目「カローラフィールダー」に、2013年に追加設定されたハイブリッド車。木村拓哉がCMに出演した(今のところ)最後のトヨタ車である。拡大
2015年の東京モーターショーで、トヨタのプレスカンファレンスにサプライズ出演したイチロー。豊田章男社長と。
2015年の東京モーターショーで、トヨタのプレスカンファレンスにサプライズ出演したイチロー。豊田章男社長と。拡大

尻軽なドラえもん

もちろんCMに出演した年代は異なるが、ガチンコの競合車種への移籍例として語られるのが、俳優の佐藤浩市。2005年から初代および2代目「トヨタ・マークX」のCMで“部長”を演じていたが、さかのぼること約8年前、8代目(最終世代)の「日産ローレル(C35)」のCMに出演していたのだ。

このローレルからマークX(正確には前身となる「マークII」)への移籍には、実は前例がある。近年は自動車保険のCMで暑苦しく迫ってくる歌舞伎役者の二代目松本白鸚。六代目市川染五郎を名乗っていた1970年代に2代目ローレル(C130)のイメージキャラクターを務めていたが、約10年を経て九代目松本幸四郎の時代にハイソカーブームをけん引した5代目マークII(X70)の広告塔となっていた。

ローレルからマークII/マークXではないが、トヨタ車に移った例としては本木雅弘がいる。松方弘樹と共に7代目ローレル(C34)のCMに出ていたが、それから約2年という短いインターバルで2代目「コロナEXiV」のCMに出演。ちなみに彼は、その後はトヨタの「プログレ」や3代目「アルファード」のCMにも出ている。

日産からトヨタへのスライド例としては、ほかに沢田研二(6代目「ブルーバード(910)」→5代目「クレスタ」)と中村雅俊(2代目「パルサー」→10代目「コロナ」)がいる。逆にトヨタから日産に移ったのは、プロテニスプレーヤーだった伊達公子(初代「プリウス」→初代「リーフ」)。同様にエコカーがらみでは日産からトヨタに行って、また日産に戻った坂本龍一(7代目「セドリック(Y31)」→初代プリウス→初代リーフ)のようなケースもある。まあ、このへんになるとタレントの背景にある思想やライフスタイル(のイメージ)もからんでくるのだろうが。

日産からトヨタに行ったと思ったら、今度はメルセデスというのがドラえもん(「ラシーン」→企業CM→「GLA/GLB」)。そのトヨタの企業CMでドラえもんを演じていたジャン・レノも、ホンダからトヨタ(「オルティア」→アルファード)への移籍経験者である。

2代目「日産ローレル(C130)」。デビューは1972年だが、六代目 市川染五郎がイメージキャラクターとなったのは翌1973年のマイナーチェンジ以降だったと思う。
2代目「日産ローレル(C130)」。デビューは1972年だが、六代目 市川染五郎がイメージキャラクターとなったのは翌1973年のマイナーチェンジ以降だったと思う。拡大
九代目 松本幸四郎がイメージキャラクターを務めていた5代目「トヨタ・マークII(X70)」。1984年に登場し、クリスタルピラーと呼ばれたCピラーが黒く輝く4ドアハードトップが大人気だった。
九代目 松本幸四郎がイメージキャラクターを務めていた5代目「トヨタ・マークII(X70)」。1984年に登場し、クリスタルピラーと呼ばれたCピラーが黒く輝く4ドアハードトップが大人気だった。拡大
世界初の量産ハイブリッド車である初代「トヨタ・プリウス」。1997年のデビュー当初のイメージキャラクターは手塚治虫の『鉄腕アトム』で、遅れて伊達公子、そして坂本龍一がCMに登場した。
世界初の量産ハイブリッド車である初代「トヨタ・プリウス」。1997年のデビュー当初のイメージキャラクターは手塚治虫の『鉄腕アトム』で、遅れて伊達公子、そして坂本龍一がCMに登場した。拡大
2010年に発売された初代「日産リーフ」。これのCMにも伊達公子と坂本龍一が出演した。
2010年に発売された初代「日産リーフ」。これのCMにも伊達公子と坂本龍一が出演した。拡大

3社横断は人気の証し!?

3つのメーカーを渡り歩いた(?)タレントは、ドラえもんのほかにもいる。江口洋介はロン毛時代の「日産ルキノ」を皮切りに初代「三菱アウトランダー」を経て「スバル・エクシーガ」に。クルマ好きで知られる唐沢寿明は2代目「オートザム・キャロル」→「アイシス」→6代目「ミラージュ」&2代目「アウトランダー」で、マツダ→トヨタ→三菱と動いた。所ジョージは7代目「マツダ・ファミリア」→「トヨタ・キャバリエ」→「フォルクスワーゲン・ザ・ビートル」で、キャバリエとザ・ビートルは販売不振のテコ入れを狙って起用されたものの、そう簡単にはいかなかったようだ。

意外なところでは福山雅治。スズキの初代「SX4」から4代目トヨタ・プリウスへの移行は知っていても、ブレイク前の1991年に深津絵里、布施 博と共に4代目三菱ミラージュのCMに出ていたことを記憶している人は多くはないのでは? 女性タレントでは、今井美樹が初代「ホンダ・トゥデイ」→「三菱コルト」→トヨタ・アイシスと、メーカーを移るごとに車格もステップアップしていった。

そして、外国人タレントで3社のCMに出演したのはレオナルド・ディカプリオ。ミラクルシビックこと6代目「ホンダ・シビック」の車内で松雪泰子にキスされていた若き日の“レオさま”は、2代目「スズキ・ワゴンR」を経て、エコ推進派のハリウッドセレブとしてプライベートでも愛用していた2代目トヨタ・プリウスや「エスティマハイブリッド」のCMに出演していた。

もうひとり、3社のCMに出演したベテラン俳優がいるのだが、その紹介は後ほど。

1995年に登場したミラクルシビックこと6代目「ホンダ・シビック」。弱冠20歳で、まだ少年ぽかったレオナルド・ディカプリオがCMに出演していた。
1995年に登場したミラクルシビックこと6代目「ホンダ・シビック」。弱冠20歳で、まだ少年ぽかったレオナルド・ディカプリオがCMに出演していた。拡大
1998年に登場した2代目「スズキ・ワゴンR」。これのCMに出演したときには、ディカプリオは映画『タイタニック』が大ヒットしてスターとなっていた。
1998年に登場した2代目「スズキ・ワゴンR」。これのCMに出演したときには、ディカプリオは映画『タイタニック』が大ヒットしてスターとなっていた。拡大
2003年に登場した2代目「トヨタ・プリウス」。アカデミー賞授賞式が行われる劇場のレッドカーペット前にディカプリオが乗りつけて話題となった。
2003年に登場した2代目「トヨタ・プリウス」。アカデミー賞授賞式が行われる劇場のレッドカーペット前にディカプリオが乗りつけて話題となった。拡大

40年かけてチェイサーから軽トラに

軽自動車のイメージキャラクターには、若い女性タレントが起用されることが多い。そして前ページで紹介した今井美樹のように、そこから他社の上級モデルへとステップアップを果たした例も少なくない。例えば、その今井美樹(初代ホンダ・トゥデイ)からバトンを受けた2代目トゥデイ(前期型)の牧瀬里穂は9代目の日産スカイライン(R33)に、牧瀬の後を継いだ2代目トゥデイ(後期型)の飯島直子は「三菱シャリオ グランティス」に行ったから、歴代トゥデイのCMに出演した女性タレントはそろってステップアップしたことになる。

1980年代後半に浅野ゆう子との“W浅野”としてブレイクした浅野温子は、6代目「三菱ミニカ」のCMで「ハンパだったら、乗らないよ。」などとタンカを切っていた。その印象が強かったので、後に2代目「日産プレセア」のCMに出演したのを見て「もしかしてミニカは……」と思ってしまった。

それらとは逆に、登録車から軽自動車へとダウンサイジングしたパターンもある。最近は芸能活動とは別の方面で話題になることが多いキョンキョンこと小泉今日子は、マツダの「オートザム・レビュー」から5代目「スズキ・アルト」に行った。女性タレントに限らず、ハリウッドスターのケン・ワタナベ=渡辺 謙も12代目日産スカイライン(V36)から5代目スズキ・ワゴンRに乗り換えている。

そして約40年をかけ、3社にわたってダウンサイジングしていったのが草刈正雄。青年時代には初代「トヨタ・チェイサー」で、映画『ブリット』のスティーブ・マックイーンのごとくサンフランシスコの街をカッ飛んでいた。中年になって大槻ケンヂ、鈴木杏樹らと8代目マツダ・ファミリアのCMに出て、還暦を過ぎてからは広瀬すずが運転する現行スズキ・ワゴンRに乗り、今はセーフティーサポートの付いた現行「スズキ・キャリイ」を孫に自慢する田舎のおじいちゃんになっている。10代でモデルとしてデビューしたときは、めちゃカッコよかったものの、こんなに息の長い役者になるとは、本人も予想だにしていなかっただろう。とてもいい年のとり方をしていると思う。

さて、複数の自動車メーカーのCMに出演歴のあるタレントはまだまだいるのだが、とても紹介しきれないので、今日のところはここまで。ご精読ありがとうございました!

(文=沼田 亨/写真=日産自動車、トヨタ自動車、本田技研工業、スズキ、マツダ、沼田 亨/編集=藤沢 勝)

1977年に登場した初代「トヨタ・チェイサー」。3代目「コロナ マークII」の双子車だが、マークIIよりスポーティーで若年層向けという設定で、イメージキャラクターに当時24歳だった草刈正雄が選ばれた。
1977年に登場した初代「トヨタ・チェイサー」。3代目「コロナ マークII」の双子車だが、マークIIよりスポーティーで若年層向けという設定で、イメージキャラクターに当時24歳だった草刈正雄が選ばれた。拡大
草刈正雄がCMに出演していた、1994年デビューの8代目「マツダ・ファミリア」。「NEO」というサブネームを持つクーペ風の3ドアハッチバック(写真)と4ドアセダンの2本立てだった。
草刈正雄がCMに出演していた、1994年デビューの8代目「マツダ・ファミリア」。「NEO」というサブネームを持つクーペ風の3ドアハッチバック(写真)と4ドアセダンの2本立てだった。拡大
目下オンエア中のCMで、草刈正雄が納豆をかき混ぜながら自慢している「スズキ・スーパーキャリイ」。
目下オンエア中のCMで、草刈正雄が納豆をかき混ぜながら自慢している「スズキ・スーパーキャリイ」。拡大
沼田 亨

沼田 亨

1958年、東京生まれ。大学卒業後勤め人になるも10年ほどで辞め、食いっぱぐれていたときに知人の紹介で自動車専門誌に寄稿するようになり、以後ライターを名乗って業界の片隅に寄生。ただし新車関係の仕事はほとんどなく、もっぱら旧車イベントのリポートなどを担当。

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