【マンション業界の秘密】
私は京都生まれの京都育ちである。今もたまに町を歩くが、その変わりぶりに驚く。
まず、主だった場所でやたらと人が多くなった。インバウンドである。以前は観光客がほとんど来なかったような場所でも、多くのインバウンドを見かけるようになった。逆に、日本人の観光客が京都を避け始めたという声も聞かれる。
◆外国人ラッシュ
俗に「京の台所」と呼ばれた錦通りも、今ではすっかり観光地化している。京都人は一般に観光客に混じって何かをするというのを避けるから、今後は錦で買い物をする地元の人は少なくなるだろう。
次に、京都の中心部で昔ながらの町屋が少なくなった。少しまとまった土地にあった町屋は、どんどんマンションに建て替わっている。
ここ10年ほど、京都では私が「御所バブル」と名付けたマンションブームが起きていた。御所を中心としたエリアで次々とマンションが開発されたのだ。そして、東京の文京区と同じ価格水準で販売され、それが何とか売れていた。
しかし、2年ほど前から売れ行きが鈍り、新たな開発が少なくなった。御所バブルはほぼ終息したのだ。一時期は群がるようにマンションを開発していた東京の大手デベロッパーの事案も見かけなくなった。
それでも、いつかまた御所バブルは再発するのではないかと予測する。理由は、インバウンドの増加などで、京都の町としてのブランド力はますます高まっているからだ。
私の観測では、御所バブルを支えていたのは主に東京や大阪の富裕層である。御所周辺で供給される新築マンションを彼らがセカンドハウス的に購入した。
京都の中心部はさほど広くない。東京的な感覚なら、御所バブルが起こった中心部の「田の字」地区の縦横の長さは、銀座線の2駅分ほど。そういう限られた場所でマンションブームが起こっていた。
そんなに狭いのなら土地が出にくいだろうと思われるかもしれないが、そうでもない。今後もマンション用地はそれなりに出てくる。
◆用地の心配なし
その理由は、長らく京都の経済を支えてきた呉服産業の衰退である。
昭和の前半までに生まれた女性は、ハレの外出や冠婚葬祭時に着用する着物を数点はそろえていた。もちろん、帯や履物などもそれぞれに合わせて購入する。一式で100万円なら安い方というのが昭和の頃までの感覚で、ちょっとした富裕層なら数百万円が普通。芸妓さんが踊りの会で着飾るものなら、今でもマンションが買えるほどの費用になる。
そういう昭和女性の着物需要の何割かをまかなっていたのが京都の呉服産業で、現在はかつての5分の1の需要もあるだろうか。
呉服関連の企業の多くは、京都市の中心エリアに社屋を構えていた。それらがマンションに替わっている。東京で言えば、人形町や馬喰町の周辺で新築マンションの供給が多いのと同じ構図である。
■榊淳司(さかき・あつし) 住宅ジャーナリスト。同志社大法学部および慶応大文学部卒。不動産の広告・販売戦略立案・評論の現場に30年以上携わる(www.sakakiatsushi.com)。著書に「マンションは日本人を幸せにするか」(集英社新書)など多数。