政治

門田隆将氏が森法相の「検察逃げた」発言を解説 「事情知っていて出た言葉。完全な虚偽ではない」

森法相は果たして謝罪する必要はあったのか?

 森雅子法相(参院福島選挙区)が「東日本大震災(2011年)の時に検察官は最初に逃げた」などと国会で答弁し、謝罪と発言の撤回に追い込まれた。ただ、当時の新聞記事を見ると、福島地検いわき支部の行動には多くの疑問が指摘されていた。発災直後、福島県いわき市を拠点にして、被災地の取材を進めたジャーナリストで作家の門田隆将氏にも聞いた。

 森氏の答弁は、9日の参院予算委員会で飛び出した。以下の内容だ。

 「東日本大震災のとき、検察官はいわき市から、国民が、市民が避難していない中で、最初に逃げた。身柄拘束をしている十数人を理由なく釈放して逃げた」

 そんな過去があったのか。

 産経新聞は11年4月2日朝刊に「福島・仙台地検、容疑者釈放 治安は本当に大丈夫か」とのタイトルで、《東日本大震災後、拘留中の容疑者を釈放した福島、仙台両地検の対応が波紋を広げている》《福島地検は一方的に釈放しており、福島県警は強く反発している》と報じている。

 同紙は同月14日朝刊でも、「福島地検いわき支部、2号機爆発後に急遽手続き 一斉釈放、職員避難のため?」として、《(いわき支部が2号機の圧力抑制室が爆発した)3月15日朝から釈放手続きを始め、同16日には庁舎を一時閉鎖》《いわき支部は(16日付で)郡山支部に執務場所を移した》と伝えた。

 同支部が釈放した容疑者は、窃盗、覚せい剤取締法違反各4人のほか、強制わいせつ、公務執行妨害、住居侵入、器物損壊各1人の計12人。

 当時、読売新聞や毎日新聞も同様に報じた。

 法務省側は「震災で取り調べなどの証拠収集が困難になり、刑事訴訟法に基づく手続きを経て釈放した」「いずれの事件も軽微だった」と説明したが、釈放された中には、女子大生のアパートに侵入して手錠をかけて体を触った容疑者や、暴力団組員もいた。

 民主党政権の江田五月法相は当時、「軽微とはいえない」「適切さを欠く」と釈明し、11年4月26日の参院法務委員会で、「地域の皆さまに心配をかけたことは、率直におわびしなければならない」と謝罪した。

 あれから9年、左派野党は、森氏の「理由なく」「逃げた」の発言を問題視し、「検察組織の信頼をおとしめた」「捜査の遂行が困難になったという『理由』はあった」と撤回を求めた。

 森氏は「個人の見解を申し上げた」と釈明し、発言を撤回。安倍晋三首相から厳重注意を受けた。

 今回の件をどう受け止めるべきか。

 当時の事情をよく知る門田氏は「震災直後、いわき支部が庁舎を閉め、郡山に移ったことに、地域住民は『治安はどうなる?』と怒っていた。容疑者12人を釈放せず、被害が少ない内陸の支部に移す選択肢もあったはずだ。いわき市出身の弁護士である森氏は当然、この事情を知っていた。『逃げた』との表現は思わず出た言葉だろう。左派野党も、森氏の発言が完全な虚偽ではないと分かっていて、政権の失点をあげつらっている。しかも、新型コロナウイルスの感染拡大に備える法案審議でだ。野党こそ批判されるべきではないか」と語っている。

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