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まず箕作麟祥にフランスの法律を翻訳させ、独力で民法典の編纂を試みたが、それでは間に合わず、フランスからジョルジュ・ブスケ(1846-1937)、ギュスターヴ・ボアソナー ...
関連する質問
1877年(明治10年)には民法編纂委員となり、その後も商法編纂委員になるなど、諸法典の編纂に大きな役割を果たした。
2016/02/23 · 民法,刑法等の編纂事業・我が国の民法典編纂事業は,江藤新平が,箕作麟祥に命じてフランス民法典を翻訳させ,これを逐条審議したことに始まるといわれ ...
早川欣吾﹁旧民法典編纂過程と旧民法典に関する論争に就いて﹂. ﹃続明治法制叢考 ... 明治十一年民法草案編纂に際し︑箕作とペアを組んだ人物︒西成度. ︵当時 ...
... 編纂に従事し. た箕作の仏語能力は格段に向上したといわれる。た. だ、後年、「英と仏とどちらが読みよいか」との磯部. 四郎の問いに対して、箕作は「実. は英書である」と ...
民法典編纂作業の最初は、箕作によってなされていたのである。 江藤が明治六年の政変で下野したあと司法卿には大木喬任が就任し、草案作りは迂余曲折しながらも継続 ...
そのため、翻訳者の箕作麟祥に 「誤訳も妨げず、ただ速訳せよ」と作業を急がせたというエピソードが残されている。 しかし、 結局日本人の手では法典編纂はできないとわか ...
江藤新平、国法会議や民法会議を主催、箕作麟祥・加藤弘之らと共に『民法典編纂』に取り組む。フランスの法制度を高く評価。「フランス民法と書いてあるのを日本民法 ...
1876(明治9)年:大木喬任による民法編纂の開始。 1877(明治10)年:民法編纂掛を司法省に設置、箕作麟祥らを委員に任命。 民法草案を大木喬任に提出。 1880(明治13) ...
2015/06/11 · 明治初年ごろ、司法卿江藤新平が箕作麟祥(みつくりりんしょう)にフランス. 民法典の翻訳を命じた。江藤は箕作の翻訳をそのまま日本の民法典として起草す.