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books.google.com からの吉雄元吉
杉本つとむ. 吉雄元吉について考証している。確かに『平安人物誌』の〈文化十年〉のところに〈医家>字元吉号紫として,〈王貞美三条南吉雄元吉>とあり,同書の別の<蘭学〉の部にもく吉雄貞美再出>とある。したがって寛政 14 年のころに,吉雄元吉という蘭学者 ...
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第十三節吉雄元吉吉雄元吉の伝は、はっきりしていない。青年期から蘭学を学び、父の許へ帰った。学成って京師に来て、業を開き、病者が常に門に満ちたという。文政五年刊の『平安人物志』の三十六丁表には「王貞美對阮言献吉雄元吉」とあり、同一本の四十 ...
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... 吉雄貞美·元吉吉一→过本吉一吉七→田中屋吉む吉二郎—片尚如去古人→福田牛香吉人→福雌存吉十郎→山口吉十郎吉十郎→山口睦 ... 吉雄 2 '七五二 3 [一九]吉雄元吉→吉雄貞美 210 九一吉備大臣吉備→よしのや吉兵衛 2 一四八吉野屋仁兵衛[一七六二) ...
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... 羅華一分、反鼻三分、鳩糞五厘」という処方が出ている。美爾とは和蘭語の Bijl 、即ち鎮めるという字をあてたものではなかろうか。ヒルセンまた寛政年間に京都で蓼堂という蘭学塾をひらいていた吉雄元吉(号紫浜)の処方をあつりくがどう.
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... 吉雄元吉曰患脤满而死者荼毗之腸中一塊嶷然存視之堅硬石西洋脹脤满一證有因水氣者有因氣結者水氯者屬實故治氣結者虛故難乳岩有經水者易治經水斷者難治又乳岩者懷孕則其核核成大也.
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... 吉雄元吉の蘭譯筌蹄は出で來ったらんやくせんていたき 5 どうれんよしをもこよしの測量伊能忠敬寛政十二年には伊能忠敬が全國測量の手始として、先づ幕命を奉じて、蝦夷地てはじめちぼくめいほうぜんこくそくりやう ร ねん凹凸遠近深淺を示す所以を説明し ...
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... 吉雄元吉鄉が醫家を京都に立てその學塾を蓼莪堂といひ、寛政より文政にわたり殆三十年京都に居住し山田恭等がその門に出でたといふ。っいで文化二年先に.江戶ハルマの條に述べた稻村三伯が京都に移住した。三伯は鳥取藩の齊員であったが故ありて仕を致し ...
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... 吉雄元吉方」として載っているが薬用部位は示されていない。なお本文中に載るもので似た薬方が次のようにあり、中神琴渓使用のものらしい。反鼻咽 石灰をみる眼と実学と政治農民の - 46 右ノ分量=テ患者/強弱ヲ察シ用ュヘシト云。古書ヲ始メ近世麻薬考ノ ...
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... (吉雄元吉)・三方法典(橋本宗吉訳)成形図説(島津栄編)成る○西洋雑記(山村昌永)序〇花江都歌舞妓年代記(立川)成る〇月令博物筌(洞斎)刊一月十八日井上重厚没( 8 ) O 二月十九日芝甘交没(金) ○五月十六日小野勝義没〇七月二十六日裏松固禅(光世没( 88 )〇 ...
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... 吉雄元吉、日本植物学の祖とされ『本草綱目啓蒙」 48 巻を著わした小野蘭山( 1729 ~ 1810 )などがいる。また京都近郊での変わり種は蘭癖大名として著名な福知山藩主朽木昌綱(龍橋)がいて、『西洋銭譜』などを著わした。そのほかに外科では麻酔剤を発明 ...