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広島への原爆投下を悔やんだ米兵、哲学者がみつけた「人間の良心」

    広島への原爆投下を悔やんだ米兵、哲学者がみつけた「人間の良心」

    苦悩する彼がおかしいのか、「命令に従っただけ」と居直ることがおかしいのか。

    「広島」の死者の幻影をみた米兵は、錯乱していたのか?

    今から、約60年前のことである。

    広島の原爆投下作戦に加わり、「英雄」と呼ばれたアメリカ軍パイロットがいた。彼は帰国後、原爆で亡くなった人たちの幻影に怯え、苦悩する。

    やがて「原爆投下は間違いだった」と口にするようになった、彼、クロード・イーザリーは精神が錯乱したとみなされ、精神病院に入院させられた。

    イーザリーの苦悩を、精神錯乱で片付けていいのか。

    こう考えたのが、ユダヤ人哲学者ギュンター・アンダースだ。1902年ドイツ・ブレスラウ(現在のポーランド)生まれ。核をテーマにした著作で知られ、近年、再評価が進む哲学者である。

    1958年、来日したアンダースは広島や長崎を訪問し、被爆者と対話を重ねている。アンダースはイーザリーとの往復書簡を始め、社会に問いかけた。

    あの惨劇を知り、巨大な組織の中で『ただ命令に従っただけだ』と言い切るのと、組織の歯車でありながら苦悩すること。

    一体、どちらに良心があるのか、と。

    原爆投下の英雄クロード・イーザリーの奇行

    1945年8月6日、広島の上空約1万メートル。原爆を積んだエノラ・ゲイ号とともに先導機「ストレート・フラッシュ号」が旋回していた。

    イーザリーは、このストレート・フラッシュ号に乗っていた。

    イーザリーは天候を確認し、日本軍から攻撃がないかを調べていた。敵機は追ってこない、目標地点である橋はよく見えた。「これは理想的な天候だ」。

    彼は、エノラ・ゲイに向かって暗号を送った。「準備完了、投下」。そして午前8時15分、広島に原爆が投下された。

    帰国して英雄視された彼は、奇行を繰り返す。酒に乱れたと思えば、郵便局を襲う。金を奪うわけでもないのに。

    原爆によって死んでいった広島の人々の幻影に怯えた、というのだ。幻影に苦悩したイーザリーは、精神病院に入院させられ、社会から隔離されていく。

    人々は彼を英雄ではなく、「精神がおかしくなった病人」と扱うようになった。

    広島を訪れたばかりの、ユダヤ人哲学者はペンをとった

    イーザリーの一件が報じられた「ニューズウィーク」をたまたま読んだギュンター・アンダースは、ここに哲学的な問いを見出し、筆をとった。最初の手紙を出した日付は1959年6月3日、とある。

    宛先は「テキサス州ウェイコー、復員局病院。元アメリカ空軍少佐 クロード・R・イーザリー様」

    前年、反核団体に招待され広島・長崎を訪問したばかりだったアンダースは、手紙の中にこんな考えを綴る。

    「軍という巨大な機械の中の一本のネジーー26歳の軍人として”使命”を遂行されたときのあなたは、まさにこの一本のネジだったのですーーを相手にして、その責任を追求しようなどと考えているものは、これら生き残った人びと(※広島の人びと)の中にはただの一人もいません」

    「あなたのことを憎んでいる人間など、一人だっていないのです」(「ヒロシマ わが罪と罰」筑摩書房)

    親を見捨てた被爆者

    アンダースは広島で、どんな証言を聞いたのだろうか。訪日の記録「橋の上の男」(朝日新聞社)から引いてみる。

    ある被爆者の男性の証言。彼は全身に火傷をおいながら、妻と二人で逃げようとした。妻が何かにつまずく。男性の父親のようだったが、いったい誰なのか、生きているのか、死んでいるか。まったく判別できない。彼の判断は揺れ動く。

    倒れていた父親らしき人は「早く逃げろ」と呟く。彼は父親だと思って近づいてみたが、本当に父親なのか確信を持てなかった。

    「逃げろ、逃げないとおまえたちも危ない」。父親らしき人は叫ぶ。妻は「早く逃げよう」と言い、結局、見捨てたまま逃げた。逃げる途中、「倒れている人を見るたびに、私はあっ、父だ、と思いました」

    アンダースは思う。誰が「見捨てた」という行為をとがめることができるだろうか。

    哲学者は、じっと頭を垂れ、恥じらいをもって彼の話を聞いた。本来なら、人として正しいのは、父親を助けることだ。しかし、原爆による極限の状態では、その選択肢自体が奪われた状態になる。

    被爆者は、地震や洪水など天災が起きたかのように語っていた。そこに「憎悪」を感じなかったという。アンダースは戸惑い、驚きながらも被爆者の言葉を受け止めていく。

    広島の病院を訪れ、長崎にも足を運ぶ。言葉を拾い、議論を重ねた。

    帰国後、アンダースは自身の哲学を深めることになる。核の時代の人間のあり方について、である。

    広島の廃墟の下に眠っている人びとが泣きながら、平和を求めてさけんでいる声がきこえてきます

    イーザリーにだした手紙の返事が、本人から届く。文通を望むものだった。手紙はいずれ公開することも同意し、2人は手紙のやり取りを重ねていく。

    その中には、広島への思いを綴ったものもあった。

    「ギュンター、私は日本の人たちに書いた手紙の全部を思い出すことはできませんが、しかし……(中略)つぎのようなことを書いたことがあります。自分は広島を破壊するために”ゴー・アヘッド”の命令を下した当の少佐であること。自分には、この行為を忘れることができないこと」

    「この行為は一つの罪悪であり、そのために自分は非常な苦しみを感じなければならないこと(中略)広島の廃墟の下に眠っている人びとが泣きながら、平和を求めてさけんでいる声がきこえてきます」

    アンダースが警戒したこと

    イーザリーの存在は当時、日本でも報じられ、注目が集まっていた。東京新聞からの取材依頼に答え、「あらゆる原子兵器を禁止するという使命のために自分の一生をささげようと決心」したなどと書いている。

    日本の反核運動のリーダーになってほしいと手紙も届いたという。アンダースのほうには、日本のある作家から広島のことを小説に書きたいから、イーザリーを紹介してほしいと依頼も来ていた。

    アンダースはこうした依頼の一切について、とても批判的だった。

    ほぼ唯一、好意的に引用しているのは、広島の少女たちからイーザリーに届いた「あなた自身も私たちと同じく、戦争の犠牲者だと思って」いるという手紙くらいである。

    日本で運動のリーダーにという依頼は「最も純粋な善意にもかかわらず、結果として将棋の駒の役割を演ずる、見世物になってしまうだろう」と強い口調で懸念している。

    作家の依頼も、イーザリーについて、具体的なことを決定する権限を持っているのは、彼自身だけであると返事を返した。

    広島の原爆投下について、後悔しているアメリカ軍パイロットがいる。彼が反核を日本で訴えれば、確かに効果的だ。しかし、アンダースはこうした考えから、一歩距離を置いていたように読める。

    なぜ、批判的だったのか。

    彼にとって問題は、表面的な「反核平和」にとどまらないからだ。

    アンダースの問題意識は、アメリカ軍というメカニズムのなかに組み込まれた「一本のネジ」にもかかわらず、広島に責任を感じる一人の人間がいる。そのことを、どう考えるかにある。

    ケネディ大統領に問うた「人間の良心」

    イーザリーの入院は、長く続いた。1961年、アンダースはある書簡を公開する。宛先は時の大統領、ジョン・F・ケネディだ。

    書簡のテーマは「人間の良心とは何か」。

    イーザリーの対極にあるのは「凡庸な悪」

    アンダースは問う。

    広島の原爆投下に関わり、苦悩するイーザリーのことを「アブノーマル」だとするのなら、その反対にいるノーマルとは何か。何も考えず、業務を遂行する「凡庸な行動」がノーマルということにならないか。

    アンダースが引き合いに出すのは、ドイツ、ドイツの占領地帯からユダヤ人を強制収容所に移送する責任者だったアドルフ・アイヒマン(※戦後、イスラエルで裁判にかけられ死刑に)だ。

    自身もユダヤ人であるアンダースは、友人たちがヒトラーのガス室で「全部殺された」と記している。

    ナチスの残虐さを象徴するような異常な人物であると思われていたアイヒマンは、どこにでもいる普通の市民だった。

    彼は、自分は殺人をしていない、と述べた。なぜなら「国家の指示と命令を実行するための、メカニズムの中の、一本の小さなネジに過ぎなかったから」だと主張した。

    アイヒマンは命令に従っていただけだった

    アイヒマンはユダヤ人に対する強い憎しみを持ったり、ほかの人より残忍な性格で殺戮に狂っていたわけではない。組織に組み込まれ、命令に従っていただけだった。

    そんな、アイヒマンを20世紀を代表する哲学者ーそして、アンダースの元妻であるーハンナ・アーレントは「凡庸な悪」と呼んだ。

    法廷で、紋切り型の官僚用語を繰り返すアイヒマンを、アーレントは著作の中で、こう評している。

    「自分の昇進にはおそろしく熱心だったということのほかには彼には何らの動機もなかったのだ。(中略)彼は自分のしていることがどういうことなのか全然わかっていなかった」(「イェルサレムのアイヒマン」みすず書房)

    無思想が犯す罪、苦悩する一本のネジ

    アイヒマンは愚かではないが無思想だ、とアーレントには見えた。

    上からの命令を何も考えずにこなす。それが特定の人種、集団を殺すという命令であっても、淡々とこなす。思想もないし、考えない。彼は普通の人であり、そうであるがゆえに歴史に残る残虐な行為ができた。

    では、同じように組織の「一本のネジ」にすぎないイーザリーはどうか。

    「アイヒマンとまったく対照的な、まだ望みのある実例」なのだ、とアンダースは書簡の中で強調する。なぜなら、メカニズムが人間の良心にとって、時に脅威になることを認めているからだ。

    大事なのは、メカニズムのせいにして自分の行為を免罪することではない。メカニズムの中で「いかなる場合に、どの範囲まで」協力すべきなのかを問うことにある。ネジならネジとして、自分の行為として苦悩し、責任を負おうとすることだ、と。

    アンダースは、イーザリーの声をこう位置付けていた。たとえ一本のネジに過ぎないとしても、原爆投下に加担するくらいなら、ネジとして生きることは拒否する。そのような意味を持つ宣言である。

    広島以後の世界で本当におかしいのは誰なのか?

    アンダースが提示した最初の問いかけに戻る。本当におかしいのは、誰なのか。

    あれだけの大量殺人を起こしながら、いささかも良心の呵責を感じず、英雄視されるパイロットか。命令に従っただけと自身を免罪する人か。あるいは、苦悩するイーザリーか。

    アンダースは、イーザリーの苦悩に人間の良心を見出した。

    強い言葉が詰まった書簡だったが、ケネディ大統領からは秘書を通じて「受け取った」という連絡を受けただけだった。

    戦勝国であるアメリカの大統領が広島を、あるいは核兵器を語るのには、まだ時間が足りなかったという見方もできるだろう。

    オバマ大統領が戦後初めて現職の大統領として、広島を訪れることすら、2016年5月27日まで待たないといけなかったのだから。

    彼らのその後

    彼らのその後に、簡単に触れておく。

    イーザリーは1978年7月1日、咽頭ガンのため、59歳でその短い生涯を閉じた。彼は入院前、終戦後にアメリカが秘密裏にやっていた、核爆発実験にパイロットとして参加していたという。

    アンダースはその後も数多くの著作を発表し、1992年に亡くなる。日本でも今年になってから主著が相次いで出版され、注目が集まっている。

    イーザリーが英雄と呼ばれるとしたら……

    アンダースは終生、イーザリーを友と呼び、彼の存在を社会に訴え続けた。

    もし、イーザリーが英雄と呼ばれるとしたら、それは広島という街を破壊したからではない。人々が彼を広島の英雄扱いするのを無視して「”ノーモア・ヒロシマ”を叫び続けてきたから」なのだ、と。