1章
マッカーサーがやって来た
2章
焼け野原から復興
3章
追及される戦争責任
4章
揺れる政治・外交
5章
空手チョップにわいた
6章
高度成長の足音
7章
高度成長とひずみ
8章
激動の政治、冷戦下の外交
9章
揺れる国内
10章
流行を追って
11章
娯楽とともに
12章
「バブル」と昭和の終わり
13章
失われた20年
14章
グローバル化のうねり
15章
あの日の衝撃
16章
世界で活躍
17章
平成のトレンド
18章
災害列島
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JR山手線の原宿駅から代々木公園への大通り。ここの日曜日のホコ天(歩行者天国)が、かつて「竹の子族」と呼ばれた中高生たちの舞台だった。ショッキングピンクや黄色のハーレムパンツ、法被を長くした薄手のガウン――。チームで円陣を作り、真ん中に置いたラジカセで曲を流す。ディスコミュージックから、松田聖子さんの「青い珊瑚(さんご)礁」まで。かけ声やサンバホイッスルに合わせ、同じ振りつけで踊った。写真は、1980(昭和55)年7月30日、炎天下で踊る竹の子族=東京・代々木公園わき
1981(昭和56)年5月17日、東京・国立競技場前で踊る「ロックンロール族」と見物人。「竹の子族」とは着ているものが違う。靴も先がとがっているし、髪も男の子はリーゼント、女の子はポニー・テール=東京都新宿区霞岳町、国立競技場前
1983(昭和58)年4月15日、東京ディズニーランドがオープン。テープカットをする高橋政知オリエンタルランド社社長(左)と米ウォルト・ディズニープロのK・ウォーカー会長(右)。本場アメリカのディズニーランドをほぼそっくり再現した。開園当日、小雨模様にもかかわらず、2万6千人の来園者でにぎわった=千葉県浦安市舞浜
1983(昭和58)年、1980年代に流行した「ファミコン」、差し込んであるカセット型ソフトは「ドラゴンクエスト」=横浜市歴史博物館所蔵
1984(昭和59)年3月13日、「荒れる中学校」の典型とされた千葉の中学校の卒業式。お祝いにきた先生を、つっぱりたちが囲んだ。「先生、最後だからおれたちをなぐれよ」。一人ずつ、こぶしを頭に置いた。「さあ、おまえたちの番だ」と、先生は顔を差し出した
1986(昭和61)年4月21日、東京・品川のホテルパシフィック東京で21、22日の両夜、ワープロ実習と宿泊を抱き合わせにした催しがあった。1泊朝食付きで1人5万1800円。実習に使った小型ワープロがそのまま自分のものになるというのが受けて、約100人もが集まった。午後7時から延々4時間の特訓で、主催者側は「一夜明ければ打てるようになっています」と気楽にいうが、中高年の参加者はたちまち肩がこり、休憩時間には関節をポキポキいわせて「ひぇー、疲れる」
1988(昭和63)年2月10日、新発売の「ドラゴンクエスト3」のファミコンソフトを買うために長い行列=東京・池袋