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2017/4/18 23:09

66回答

YAP遺伝子は、中近東、チベット、日本人しか持ってない遺伝子らしいです。

補足

慶応三年の江戸、薩摩藩の密使が訪れるのです。その屋敷には、長屋門(大名格の屋敷門)があり、その門には「丸に十の字」の紋がある提灯に灯りが入っていました。立派な床間を持した数十畳もある表座敷に、その屋敷の主人を前にして、「おまはんと島津家は同族ぞ。いにしえは秦氏ぞ。今こそ秦氏の恨みを晴らす倒幕ぞ。」と言うのです。 南九州で鎌倉時代から六百年も続く豪族の島津氏は、「島津」と名のる前は、惟宗氏(これむね)と名乗っていました。それは、鎌倉幕府を拓いた源頼朝により薩摩国島津荘の地頭職安堵により「島津氏」を名乗ったのが始まりです。その惟宗氏とは秦氏が平安時代に改名したものです。 その屋敷の主人の名は、弾左衛門、穢多を束ねる頭です。弾家の祖先は、鎌倉の長吏藤原弾左衛門頼兼です。その昔、この族より秦左衛門尉武虎という武勇者が出、鎌倉の源頼朝に認められ、鎌倉長吏(警察業務をおこなう人。平安時代では、専門的な職能をもって、朝廷に使える集団構成員のうち、特に優れた者を長吏と言った。これが何故、江戸時代にアウトカーストになったのか。江戸時代に長吏は、穢多と蔑称された。)の頭領と成り、秦氏を弾氏と改めたのです

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質問者2017/4/21 10:57

かなり、細かく教えていただいてありがとうございます(^_^) 日本人の遺伝子って、複雑なのですね^_^

ThanksImg質問者からのお礼コメント

みなさん、遺伝子の事ご丁寧に教えていただいて大変迷いましたが、遺伝子かつ秦氏の事を教えていただいたinri2014年さんに決定いたしました。 ありがとうございました。

お礼日時:2017/4/21 11:07

その他の回答(5件)

「日本人(ヤマト人)」は「縄文人」と「渡来系弥生人」との「混血」です。↓以下「渡来系弥生人」について説明します。 弥生時代の開始は、今から3000年前(BC10世紀)に変更されています。 今から3000年前(BC10世紀)に、九州北部で本格的にはじまった水田稲作が「九州北部---->関東」を結ぶ線上を、約800年かかって、ゆっくりと拡大東漸していったことが判明しています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3#.E6.99.82.E6.9C.9F.E5.8C.BA.E5.88.86 ↑2003年、国立歴史民俗博物館の研究グループは、炭素同位対比を使った年代測定法を活用した一連の研究成果により、弥生時代の開始期を大幅に繰り上げるべきだとする説を提示した。これによると、早期のはじまりが約600年遡り紀元前1000年頃から、前期のはじまりが約500年遡り紀元前800年頃から、中期のはじまりが約200年遡り紀元前400年頃から、後期のはじまりが紀元50年頃からとなり、古墳時代への移行はほぼ従来通り3世紀中葉となる。 ↓弥生時代の開始年代 http://www.initiative.soken.ac.jp/journal_bunka/050509_fujio/thesis_fujio.pdf ----------------------------------------- ↓社会科教科書「帝国書院」より https://www.teikokushoin.co.jp/q_and_a/history/#q2 Q2:縄文時代と弥生時代の区分はいつ頃ですか? A:私どもの教科書では弥生時代を、紀元前3世紀ごろから紀元3世紀ごろまでの600年間としています。その一方で、この記述に注釈をつけて、弥生時代のはじまりを紀元前10世紀とする新しい研究成果も紹介しています。 これまで通説となっていた、「弥生時代のはじまり=紀元前300年」は、1960年代に、土器の編年や遺跡から出土した中国の青銅器をもとに割りだされた年代 に、弥生前期のコメや貝を炭素14年代法(遺物のなかの炭素14の量から年代を推定する方法)で測定したデータ結果を加味して出された説でした。 2002年、弥生時代のはじまりを紀元前10世紀ごろであると発表したのは、国立歴史民俗博物館(以下、歴博)です。歴博は最新のAMS-炭素14年代法などによって測定した結果、九州北部の弥生時代遺跡から出土した、土器に付着する炭化物(コメのおこげ)や木杭は、紀元前約900~800年のものであり、前10世紀後半に九州北部で本格的にはじまった水田稲作が、約800年かかって日本列島を東漸したとの説を展開しました。水田稲作が九州北部から各地に広がるのに要した年月は、例えば瀬戸内海西部地域までで約200年、摂津・河内まで300年、奈良盆地まで400年、中部地方には500年、南関東へは600~700年、東北北部には500年であると推定されますが、水田稲作が、非常にゆっくりと各地に広がっていったことが、ここからわかります。 こうしてみますと、従来のように「弥生時代の始まり=紀元前300年」などと、ある一点で区分すること自体、無理があることと考えられます。今後さらに研究が進み、弥生時代のはじまりの年代も修正が迫られると思われますが、私どもでは、教科書本文では通説に従った紀元前300年と記述し、注釈で紀元前10世紀という説を示しました。これは現時点ではさまざまな議論があり、また地域によって差があることをふまえた記述であることを、ご理解いただきたいと考えております。 ----------------------------------------- 「渡来系弥生人」は、元の「言葉」を失った可能性があり、また中国などに記録がなく、日本においても、文字、記録はおろか、伝承すらもなく、自らの存在を発信することもしていません。 このことから、「渡来系弥生人」は、 ・日本列島までなら到達ができた程度の航海技術をもった人々 ・上記の人々とともに日本列島へ渡る機会があった人々 ・水田開発の経験がある人が含まれていた。 ↑中国沿海付近の寄せ集まった集団=「渡来系弥生人」 このころは、中国人、韓国人というものはなく、様々な集団が入り混じった時期です。 ----------------------------------- また、魏志倭人伝を信じるならば、多数(100以上)の国があり、その有力な国である邪馬台国が従えた30余りの国が、まったく言うことをきかず、争いばかり起こし(倭国大乱)、卑弥呼という女性が出てきて、怪しげな黒魔術で人々を操ってやっと統治していた。弥生時代が始まってから1200年以上も経っているのに、この始末である。ほとんど非文明としか言いようがないでしょう。 上記から、紀元前1000年(今から約3000年前)に、日本列島に「渡来系弥生人」が渡来した後、その後の「渡来」が全く無い状態で、「渡来系弥生人」が安定した食糧を確保したため、人口が自然増加し、「邪馬台国」の時代まで至ったかのようにも思えます。確かにその間「鉄器」なども出現しますが、それは必ずしも新たな「渡来人」を意味するものでもありません。 紀元前1000年(今から約3000年前)の「渡来系弥生人」の渡来以降の、まとまった「渡来」は、何一つ証拠がないのです。7世紀以降であれば、たとえ多く見積もって、約1万人の渡来人が来たとしても、当時の日本列島の人口(500万~600万人)から考えて、コンマ以下(0.2%)となります。

↓2012年に、「東京大学」と「総合研究大学院大学」とで、日本の主だった報道メディアを集めて、正式に報道発表されています。 ↓東京大学 http://www.u-tokyo.ac.jp/public/public01_241101_j.html ↓総合研究大学院大学(国立の大学上位教育機関) http://www.soken.ac.jp/news/5276/ ↑最後の「図5」の説明の中で、「今回の結果および考古学的知見をもとにして、日本列島人の遺伝的な変遷を予想したもの。1万年以上前から、日本列島には縄文人が広く薄く居住してきたが、3000年ほど前に大陸からの渡来人(Yayoi ancestors)が稲作農耕をもたらして、弥生時代が始まった。」プレスリリース(2012年11月1日)より

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「日本人(大和民族)」は、すべて「縄文人」と「渡来系弥生人」との混血民族です。そして、「縄文人」の「Y染色体ハプロタイプ」が「D1b」つまり「YAP」となります。 まず、「日本人」は、「ほぼ単一民族」と言っていいでしょう。 その理由は、「核ゲノム(つまりDNAですね)」で見た場合、「日本人」の「95%以上」が「大和民族(ヤマト人)」であり、遺伝的に均質であるからです。 その他、「沖縄人」「他の諸国からの帰化人」「アイヌ人(隠れアイヌ人を含め、多くても20万人くらい)」となります。なお、在日朝鮮人は日本国籍ではないので除外します。「沖縄人」と「アイヌ人」を足しても日本人の「2%」ほどです。 その他の少数民族として、ウイルタ、ニヴフもいますが、極めて少数となります。 ----------------------------- 「日本人(大和民族)」は、すべて「縄文人」と「渡来系弥生人」との混血民族です。「日本人(大和民族)」のルーツは、「縄文人」と「渡来系弥生人」とが出会った日本列島、もしくはホモサピエンスが誕生した東アフリカという事になります。 「日本人(大和民族、ヤマト人)」と「韓国人、中国人」とは異なります。「日本人(大和民族)」は、すべて「縄文人」と「渡来系弥生人」との混血民族です。 ↓NHKサイエンスZERO「日本人のルーツ発見!核DNAが解き明かす」【動画】 https://www.youtube.com/watch?v=KDGX0yZD_Bc ↑「斎藤成也教授」→縄文人はユーラシアのどこから来たのかもう分からなくなった、振り出しに戻った。 ↑「篠田謙一教授」→縄文人のDNAというのが、現代人にはまったく見られないしアジアのどこにもいない、まさにどこにもいない人を見つけてしまった。つまり振り出しに戻るということになります。 ↓NHKニュース「おはよう日本」【動画】 https://www.youtube.com/watch?v=srNuVtvFacE --------------------------- 「日本人(大和民族、ヤマト人)」と「韓国人、中国人」とは異なります。 「韓国人」と「中国人」とは、ごく近い近縁の関係ですが、「日本人(大和民族)」は「中国人、韓国人」などの「中国集団」からは離れて存在します。 ↓集団遺伝研究部門 斎藤成也教授監修の『DNAでわかった日本人のルーツ』宝島社より出版 https://www.nig.ac.jp/nig/ja/2016/12/information_ja/20161205.html DNAでわかった日本人のルーツより、東アジア(東南アジアを含む)人は、大きく分けて「4集団」あります。 ・東南アジア集団 ・中国集団(北京、ソウル(韓国)を含む) ・モンゴル集団 ・日本列島集団(ヤマト人、オキナワ人、アイヌ人) であり、4つの集団は、各々、DNA上離れて存在します。ソウル(韓国人)は、中国集団に分類されます。DNA上、中国人と韓国人とは、それほど違いはないのです。↓根拠となる資料です。 ↓「別冊宝島2403 DNAでわかった日本人のルーツ」斎藤成也 監修 http://tkj.jp/book/?cd=20240301 ↑日本人のDNAは中国人や朝鮮人とは異なっており、琉球人やアイヌ人のDNAと共通点が多く、さらに遡って行くと縄文人のDNAにたどり着きます。本誌は日本人のルーツを“DNAで探る”というポイントに絞り解説しています。2016年現在、日本人のDNA分析によって、日本人には「ハプログループD」が多く存在し、それはチベットとインド洋のアンダマン諸島にしかないことが明らかになりました。日本人はどこから来たのか。DNAの最先端技術に基づき、日本人のルーツに迫ります。 ↓Y染色体ハプロタイプ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA#Y.E6.9F.93.E8.89.B2.E4.BD.93.EF.BC.88.E7.88.B6.E7.B3.BB.EF.BC.89.E3.81.AB.E3.82.88.E3.82.8B.E7.B3.BB.E7.B5.B1.E5.88.86.E6.9E.90 ↓参考「wikipedia」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97D_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97D-M64.1_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E6%B0%91%E6%97%8F#.E3.83.81.E3.83.99.E3.83.83.E3.83.88.E6.B0.91.E6.97.8F.E3.81.AE.E9.81.BA.E4.BC.9D.E5.AD.90 -------------------------- 「ヒトゲノム中のSNP(単一塩基多型)による主成分分析」から「日本列島3集団(アイヌ,本土日本,琉球)」の関係は以下となります。 日本列島においては、「先住民=縄文人」です。 -------------------------- 「縄文人」≒「アイヌ民族」 「縄文人」+「渡来系弥生人」=「本土日本人(大和民族)」 「縄文人」+「本土日本人(大和民族)」=「沖縄県民(琉球民族)」 -------------------------- 2004年に「ヒトゲノム」のDNA塩基配列が解明され、それまでは、ゲノム中の僅かな範囲しか調べられなかった人類進化の研究において、一挙に100万ヶ所以上を調べることが可能となり、数万倍解像度が上がりました。 -------------------------- 【日本人は混血です】 「日本人(大和民族)」は、すべて「縄文人」と「渡来系弥生人」との混血民族です。もう純粋な「渡来系弥生人」は日本列島に存在しません。 「縄文人」は、東アジア人、東南アジア人、南北アメリカ先住民はもちろん、現生している地球上のいかなる民族集団とも異なることが判明しています。現代の本土日本人に伝えられた縄文人ゲノムの割合は「15%」程度、「東ユーラシア人」の中で最初に分岐したのは「縄文人」 総合研究大学院大学のプレスリリース(2016年9月1日:報道発表)が出されました。「縄文人」の「核ゲノム配列」をはじめて決定、「東ユーラシア人」の中で最初に分岐したのは「縄文人」だった ↓「総合研究大学院大学のプレスリリース(2016年9月1日)」 http://www.soken.ac.jp/news/30232/ ↓国立遺伝学研究所(2016年9月1日) https://www.nig.ac.jp/nig/ja/2016/09/research-highlights_ja/20160901.html ↑国立遺伝学研究所集団遺伝研究部門および総合研究大学院大学遺伝学専攻の斎藤成也教授らのグループは、福島県北部にある三貫地貝塚から出土した縄文時代人(縄文人)の歯髄からDNAを抽出して、核ゲノムの一部を解読することに成功しました。これまで縄文人のDNAについては、ミトコンドリアDNAの情報しか得られていませんでした。今回、ミトコンドリアDNAの数千倍にあたる核ゲノムのDNA配列1億1500万塩基対を決定しました。このゲノム情報を、現代日本列島人と比較解析したところ、縄文人はアイヌ人にもっとも近く、ついでオキナワ人、そしてヤマト人(アイヌ人とオキナワ人を除く日本列島人)に近縁であることが明らかになりました。さらに、縄文人は、現代人の祖先がアフリカから東ユーラシア(東アジアと東南アジア)に移り住んだ頃、もっとも早く分岐した古い系統であること、そして、現代の本土日本人に伝えられた縄文人ゲノムの割合は「15%程度」であることが明らかになりました。今回、縄文人の核ゲノムの一部が解読されたことによって、縄文人が現代の東アジア人と比べて遺伝的に特異な集団であったことが明らかとなりました。 --------------------------------------------------------------- 日本人(大和民族)は、一見直毛に見えても、70%は癖毛とも言われています。 ↓くせ毛の原因は遺伝子 http://matome.naver.jp/odai/2138955624075986701 ・縄文人→癖(くせ)毛 ・弥生人→直毛 ↓縄文人と弥生人の混血である日本人は世界的に歯並びが悪い http://www.news-postseven.com/archives/20161106_463292.html ポーラ化成工業は9日、鼻が高いなど縄文人に近い骨格や体質の特徴を持つ日本人は 肌にシミができやすい傾向があるとする研究成果を発表した。紫外線などの刺激を 受ける遺伝子の配列が、日本人のもう一方の祖先とされる弥生人と大きく違うことが 要因↓ http://www.sankei.com/economy/news/150309/ecn1503090031-n1.html ↓中国科学院 http://j.people.com.cn/95952/8293122.html ↑漢民族と日本人の間には、地理、言語、文化面の違いだけでなく、生物学的な違いも存在することが分かった。 -------------------------------------------------------------- ↓中国大陸における「縄文人の道筋」については、2008年に、中華人民共和国とアメリカが共同調査を行っています。 「東アジアに定住したもっとも早期の現生人類とりわけチベット人集団と日本人集団の共通の起源に関するY染色体上の証拠について(2008年)」 ↓英文の論文 http://www.biomedcentral.com/1741-7007/6/45 ↓日本語翻訳 http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/012_4Y_chromosome_no_kennkyuu.html 論文「Y chromosome evidence of earliest modern human settlement in East Asia and multiple origins of Tibetan and Japanese populations」 (東アジアに定住したもっとも早期の現生人類とりわけチベット人集団と日本人集団の共通の起源に関するY染色体上の証拠について) 【2008年 中華人民共和国 中国科学アカデミーほか アメリカ合衆国 The Genographic Project, National Geographic Society】 -------------------------------------------------------------- Nature:「ネイチャー」(イギリス英語: Nature)は、1869年11月4日、イギリスで天文学者ノーマン・ロッキャーによって創刊された総合学術雑誌である。現在では、世界で最も権威のある学術雑誌の一つ。 ↓最新の「要素分析」の結果(「Nature」より)、中国人、韓国人と、日本列島集団とは、明確に異なっていることがわかる。 http://www.nature.com/jhg/journal/v60/n10/fig_tab/jhg201579f1.html#figure-title)

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↓「1人あたり約14万個所のDNA塩基多型を用いて日本人の集団構造を解明(2008年 理研)」 http://www.riken.jp/~/media/riken/pr/press/2008/20080926_1/20080926_1.pdf#search='10%E4%B8%87+%E6%B2%96%E7%B8%84+SNP+%E8%A6%81%E7%B4%A0%E5%88%86%E6%9E%90' ↑「ヒトゲノム中のSNP(単一塩基多型)による要素分析」は、実際の核DNAを使用し、ゲノム全体をカバーする1塩基多型(SNP)を使った解析です。ほとんどの日本人は「本土クラスター」「琉球クラスター」に入り、中国クラスタから離れる。僅かだが地域差あり。 ↓本土日本人は、北海道から九州まで、多少の混血比率の違いはあっても、ほぼ同じ民族集団であることが証明されています。左上が「渡来系弥生人」の方向で、右下が「縄文人」の方向となり、近畿は多少「渡来系弥生人」の系統が強くなり、東北は多少「縄文人」の系統が強くなります(理研より)。

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「DE系統D(YAP)」は「縄文人」の「Y染色体ハプロタイプ」です。 年数のスケール(物差し)を考えたことがありますか?、「縄文人」の共通した「祖先」が東アジアに来たのは、今から4~5万年前と推定されています。 また、縄文人とチベット人(の祖先の一つ)と別れたのは、今から3万8千年前と推定されています。 私たち日本人(大和民族)と沖縄人の共通の祖先である「縄文人」と、アイヌ人の祖先である「縄文人」とが分かれたのが、中国大陸であり、 今から4万年前とすると、これは「イエスキリストが生まれてから現在まで」が「20回」繰り返した年数です。 【4万年前】 ・1人目のイエスキリスト誕生-------->現在まで(2016年間) ・2人目のイエスキリスト誕生-------->現在まで(2016年間) ・3人目のイエスキリスト誕生-------->現在まで(2016年間) ・4人目のイエスキリスト誕生-------->現在まで(2016年間) ・5人目のイエスキリスト誕生-------->現在まで(2016年間) ・6人目のイエスキリスト誕生-------->現在まで(2016年間) ・7人目のイエスキリスト誕生-------->現在まで(2016年間) ・8人目のイエスキリスト誕生-------->現在まで(2016年間) ・9人目のイエスキリスト誕生-------->現在まで(2016年間) ・10人目のイエスキリスト誕生------->現在まで(2016年間) ・11人目のイエスキリスト誕生------->現在まで(2016年間) ・12人目のイエスキリスト誕生------->現在まで(2016年間) ・13人目のイエスキリスト誕生------->現在まで(2016年間) ・14人目のイエスキリスト誕生------->現在まで(2016年間) ・15人目のイエスキリスト誕生------->現在まで(2016年間) ・16人目のイエスキリスト誕生------->現在まで(2016年間) ・17人目のイエスキリスト誕生------->現在まで(2016年間) ・18人目のイエスキリスト誕生------->現在まで(2016年間) ・19人目のイエスキリスト誕生------->現在まで(2016年間) ・20本当のイエスキリスト誕生------->現在まで(2016年間) 【やっと現在】 ★ユダヤ人とは関係ありませんね(笑) ----------------- 「縄文人」が日本列島に渡来する前について ↓NHKニュース「おはよう日本」 https://www.youtube.com/watch?v=srNuVtvFacE ↑徳島大学大学院 医歯薬学研究部 佐藤陽一准教授 「アジア大陸にもDというグループが分布していたと思われるが、その後Oというタイプがアジアを占めるようになり、取って代わられたと考えている。日本やチベットやアンダマン諸島は、島国だったり山間部に属していることから、他のグループとの交流がかなり限られていたため、現代でもかなり高頻度で残っていると考えている。」 ↓「縄文人」についての足どりの追跡は、2008年に「中華人民共和国(中国科学アカデミー)、アメリカ合衆国(The Genographic Project)」によって報告がされています。 =============================== 「東アジアに定住したもっとも早期の現生人類とりわけチベット人集団と日本人集団の共通の起源に関するY染色体上の証拠について(2008年)」 ↓英文の論文 http://www.biomedcentral.com/1741-7007/6/45 ↓日本語翻訳 http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/012_4Y_chromosome_no_kennkyuu.html 論文「Y chromosome evidence of earliest modern human settlement in East Asia and multiple origins of Tibetan and Japanese populations」 (東アジアに定住したもっとも早期の現生人類とりわけチベット人集団と日本人集団の共通の起源に関するY染色体上の証拠について) 【2008年 中華人民共和国 中国科学アカデミーほか アメリカ合衆国 The Genographic Project, National Geographic Society】 ================================ ↑われわれは次のように提唱する。すなわち、D系統は南方に起源があり、D系統の北方への拡散は、約60,000年前に起こった。そして、ほかの主要な東アジアのY染色体の系統の北方への移動の先駆者であったと(論文より)。 ↑次いで、(最終氷河期がひとつのキー・ファクターとなった可能性が高いが)集団の下部構造(基本構成)が形成され、そこへ最近の漢文化の拡張の影響が加わり、D系統の分布は、現在の地理的パターンに分断化されてしまったと考えることである(論文より)。 ↑後世の人口膨張以外に、最終氷河期の間にあった特に寒い気候が、D系統の現在見られる分布の断片化をもたらしたのかもしれない(論文より)。 チベット集団の元の集団、日本列島の縄文人などに代表される「D」は「狩猟採集集団」です。つまり「狩猟採集」生活をしている限り、地域に広く、浅く、小集団で分布し、かつ食料は安定せず、人口もなかなか増えなかった。移動も繰り返していたかもしれません。「D」が東アジアに到達したのは、今から4~5万年前と推定されています。 中国人、渡来系弥生人などに代表される「O」は、のちに「農耕集団」となります。食料は安定し、人口も爆発的に増えた、また土地に根差し移動せず、その地域を少しずつ拡大していく傾向があり、農耕など共同作業を行う必要上、それなりの大集団で生活したのでしょう。中国人などの代表的な「O3」は、今から2万年~2万5千年前に現れます。つまり、東アジアに「D」が到達したずっと後です。 気象環境としては、「氷河期」がずっと続いています。もっとも強烈な「最寒期」は、今から「約2万1千年前」に起こっています。欧州では、「氷河期の覇者」といわれた「ネアンデルタール人」が滅亡してしまいます。寒さだけが「滅亡」の原因ではないと考えますが、かなり影響はあったでしょう。「氷河期」が終わったのは、今から「約1万年前」です。また、今から「約6000年前」は、逆に現在よりもっと暖かい時期も訪れていました(その頃、海水面の上昇で、関東平野が水没していました)。少し気温が下がって、今に至ります。 「↓下」にも「図3」を添付しますが、上記「論文」の「図3」を見ると、一目でわかる点があります。それは、 ・日本列島集団(縄文人)の「D2」は、多様性が低い、つまり狭い地域に居た。 ・チベット集団の「D1」と「D3」は、きわめて多様性が大きく、かつてはきわめて広い地域に分布していた。 さらに、以下のように考えることができます。 (1)東アジアに4~5万年前に到達した「D」は、無人の中国大陸に広範囲に展開した。日本列島集団の「D2」は、その地域的な1集団にすぎなかった。「D2」が、他の「D」と別れたのは、「Y染色体ハプロタイプ」の年代測定から、今から3万7千年以上も前となります。 (2)現在、チベット集団はたった「600万人」しかいません。それなのにどうしてこれほど多様性が多い集団なのでしょう。日本列島集団「D2」のように、多様性が少ない、その地域的な1集団であってもいいのではないでしょうか。これは、かつては広い範囲に展開していた「D」が、何かの理由によって、もう一度、集まったのではないかと見ることもできます。 ↓もう一つの根拠として ・最近の考古学的発見によれば、興味深いことに、約30,000-40,000年前現生人類がチベット高原を探索していたという(↑上記論文より)。 チベット人がチベットに近い地域に居住するようになったのは、かなり古いという事です。 それでは、なぜ「D」は「チベットに近い地域」に移動したのでしょう。「氷河期」、獲物は集団を作って、定期的に異動し、それを狙っていたのかもしれません。中国沿岸ではなく、中国内陸の地域、チベットに近い地域が、より都合がよかったのかもしれません。 【考察として】 ただでさえ土地に薄く展開していた「D」は、氷河期の寒さを避ける、食料となる獲物を追うことにより、日本列島とチベットに近い地域に移動してしまった。そのころ、氷河に覆われたシベリアを通過して「アメリカ大陸」へ行くことは無理である。また、南下したとしても、そこには別の「C」集団がいたと考えられる。「氷河期」の終わりころ、東南アジアに居たと思われる「C(モンゴル系の子孫)」は、閑散としていた中国大陸を、抵抗もなく北上し、モンゴルまで展開、その一部は、別の「Q」の集団とともに「アメリカ大陸」まで至ります。 ↓ここで、以下が出てくると思います。 徳島大学大学院 医歯薬学研究部 佐藤陽一准教授 「アジア大陸にもDというグループが分布していたと思われるが、その後Oというタイプがアジアを占めるようになり、取って代わられたと考えている。日本やチベットやアンダマン諸島は、島国だったり山間部に属していることから、他のグループとの交流がかなり限られていたため、現代でもかなり高頻度で残っていると考えている。」 その後、中国人に代表される「O」の集団は、安定した食料を確保し、爆発的に人口を増やしていきます。「D」は、中国大陸に展開することはできず、チベット周辺に暮らすこととなった。「D」がチベット、日本列島に移動しても、とりこぼしの「D」もいたでしょう。それが、中国人からほんの僅か(コンマ以下)検出される「D1」なのでしょう。 ↓図3

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【注意】2014/2016年に、Y染色体ハプロタイプDの名称が変わりました。内容に変化はありませんが、名称が以下の通りかわりました。 以前は D1←チベット民族 D2←日本人(アイヌ、琉球含む) D3←チベット民族 D4←フィリピン・マクタン島住民 でしたが、 D1/D3→D1a D2→D1b D4→D2 とISOGG(遺伝的系譜国際学会)により変更になりました。日本人については、なじみ深いD2からD1bとなりました。 ISOGG(遺伝的系譜国際学会) http://www.isogg.org/tree/ http://www.isogg.org/tree/ISOGG_HapgrpD.html

「YAP」は「遺伝子」ではありません。Y染色体に入り込んだ「Alu配列」であり、[遺伝子」としては機能しない、単なる塩基の羅列にすぎません。 ---------------------------------- 人間の染色体は46本、そのうち、性染色体は2本「女性はXX、男性はXY」、その中の「Y」をY染色体といいます。 「YAP」とは、「Y(chromosome) Alu Polymorphism」の略で、Y染色体に入り込んだ「Alu配列」を意味します。 「Alu配列」自体は珍しくもなんともない、ありきたりの「DNA配列」ですが、Y染色体に入り込んだという点が珍しいということになります。 Y染色体の塩基配列は「Y染色体ハプロタイプ」の系統分析に利用しますが、「Alu配列」も突然変異の一つとみなされますので、 無視する訳にもいかず、系統分析の対象となります。 【YAPについて】 【Y染色体】 DXYS1Y Yp11 PABY Yp11.3 DYS1 Yq11.2 DYS287 Yq11 ←★YAPが存在する位置 DYZ8 Yq11 元々、人の遺伝子の約13%に、SINEというDNA配列があります。SINEは、逆転写された RNA分子を表現する短いDNA配列であり、本来ならtRNA、rRNA、その他の核内低分子RNAに転写されるべきものであるのが、DNAに配列挿入されてしまったものです。 最も多く見られるSINEとして、Alu 配列(Alu sequence)があり、蛋白質コード配列を全く含みません。制限酵素AluIで認識されるため、「Alu(アル)」と呼ばれます。YAP(Y Alu Polymorphic(element))は、Y染色体の特定位置「Yq11 DYS287」に、SINEの主要となるAlu配列が飛び込んでしまったY染色体ハプログループマーカで、約300塩基で構成されています。インターネットで「Alu 配列」などで検索するといいでしょう。 常染色体にAlu 配列が飛び込む場合、規則性があり、ある特定の塩基配列にだけ入り込むことが分かっています。タンパク質コードがないので、遺伝子としては機能しません。 Alu配列は、めずらしくもなんともない、ありきたりの遺伝子配列(遺伝子としては機能しない)ですが、Y染色体の特定のエリアに飛び込んでしまったという点がめずらしいという事になります。 ------------------------------ 「ヤップ(YAP)」を持っているのは、Y染色体ハプロタイプの「DE系統DE」の子孫です。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97DE_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93) ,,,,,,,,,,,,,,+----------DE系統E(アフリカ、中東、地中海沿岸) DE系統DE---+ ,,,,,,,,,,,,,,+----------DE系統D(アンダマン諸島、チベット、日本列島) 「DE系統DE」の子孫は、上記の示す通りです。DE系統Eは「アフリカ、中東、地中海沿岸」のほか、検出される比率の大小はあっても「ヨーロッパ」全体で検出されます。 ↓ヨーロッパ、地中海沿岸にける「DE系統E」の分布 http://www.eupedia.com/europe/Haplogroup_E1b1b_Y-DNA.shtml ------------------------------ 【根拠2】 「DE系統E」と「DE系統D」が別れたのは、今から50000~60000年前以上も前です。 ,,,,,,,,,,,,,,+----------DE系統E(アフリカ、中東、地中海沿岸) DE系統DE---+ ,,,,,,,,,,,,,,+----------DE系統D(アンダマン諸島、チベット、日本列島) ,,,,,,,,,,,,↑★分岐 ,,,,,,,,,,今から50000~60000年前 ------------------------------ ↓人間の全ゲノムのうち、遺伝子として機能するのは「1%程度」、その他、「制御」として「数%」、その他の「90%」以上は、「遺伝子」として機能しない、単なる塩基の羅列(ガラクタ)にすぎない。

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