「食堂生まれ、外食育ち」の編集者・新保信長さんが、外食にまつわるアレコレを綴っていく好評の連載エッセイ。ただし、いわゆるグルメエッセイとは違って「味には基本的に言及しない」というのがミソ。

外食ならではの出来事や人間模様について、実家の食堂の思い出も含めて語られるささやかなドラマの数々。「いつかあの時の〝外食〟の時空間」にあなたをタイムスリップさせてしまうかも・・・。それでは【7品目】「『天丼』と『うどん天』と『シマ』」をどうぞ!





【7品目】「天丼」と「うどん天」と「シマ」

 



 どの業界にも業界用語というものがある。ネット情報なので真偽のほどは定かでないが、タクシー業界で「赤恥」といえば「緊急時でもないのに防犯灯が作動している状態」を指すらしい。それは確かに恥ずかしいし、うまいこと言うものだ。



 私が馴染みのある出版業界でも「ゲラ」とか「ペラ」とか「オモテケイ/ウラケイ」とか「キンアカ」とか「レスポンス」とか「ストリップ修正」とか「コンセ」とか、いろいろある。

DTP(パソコンやデザインソフトの普及で一般化してきたが、もともとは業界用語で編集・印刷工程のデジタル化の意)の時代になって、もはや使われなくなった言葉もあれば、従来の意味から変わってきた言葉、新しく出てきた言葉もある。



 私自身がアナログ時代の人間なので例に挙げた言葉も古いものが多く、出版業界でも若い人は知らないものもあると思う。「写植」も今の若い編集者は言葉として知ってるかもしれないが、現物は見たことも触ったこともないだろう。が、いずれにせよそういう言葉はあくまでも内輪の符丁であって、外部の人に対して使うべきではない。



  また、業界よりも狭い範囲で使われる社内用語というのもある。かの老舗出版社・文藝春秋では、月刊誌の「文藝春秋」を「本誌」、週刊誌の「週刊文春」を「週刊」(イントネーションは「しゅう↑かん↓」)と呼んでいて、それ自体は別にいいのだが、その呼称を社外の人に対しても平気で使うのはどうかと思う(私が知ってるのは何年も前の話なので、今は改善されているならごめんなさい)。



 飲食業界にも、その手の符丁はたくさんある。「○○ヤマでーす」といえば、○○が品切れという意味だし、「××セキマエで!」は「(オーダー入ってるはずの)××急いで作って!」という意味だ。そういうのは外食経験を重ねていけば何となくわかってくる。餃子の王将なら、餃子一丁は「コーテルイーガー」、2つだと「リャンガーコーテル」、鶏の唐揚げは「エンザーキー」だ。最近はご無沙汰だが、学生時代にしょっちゅう通っていたので、自分の注文を通す声を聞いているうちに自然と覚えた。



 しかし、それらはあくまでも店側の符丁であって、客側が使うべき言葉ではない。

イタリアンの店とかだと何だかわからないイタリア語で注文を通していることがよくある。何だかわからないので真似のしようもないが、寿司屋で「アガリください」とか言ってる客を見ると、個人的には「あちゃー」と思う。そこは普通に「お茶ください」でいいんじゃないの? 



 そば屋で「台抜き」とか言っちゃう人も(それがメニューに載ってる店ならともかく)ちょっと恥ずかしい。餃子の王将で「コーテルイーガーください」と注文する人は、たぶんいないだろう。寿司とかそばとか「通」が存在するところに「符丁を使う客」が発生するのだ。内輪の言葉を外の人に対して使うのと同じくらい、客の側が通ぶって符丁を使うのは、文字どおり「半可通」ってやつで、非常にカッコ悪いと私は思う。





 今はなきウチの実家の食堂にも符丁はあった。「ヤマ」とか「セキマエ」のような飲食業界共通の符丁とは別に、ローカルルール的な符丁もある。私が子供ながらに聞いて覚えているのは、やはり注文を調理場に通す際のものだ。基本は略称で、たとえば魚天ぷら定食なら「ぎょーてんてい」、野菜天ぷら定食は「やーてんてい」、肉いためなら「にくいた」、野菜いためなら「やいた」といった具合である。ウチは(インチキながら)寿司もやっていたので、のり巻き一本なら「まきぽん」、バッテラ一本なら「てらぽん」と言っていて、今ならアイドルの呼称のような、ちょっとかわいい響きである。



 しかし、同じ略称でも、天ぷらうどんは「天うどん」ではなく「うどん天」、肉うどんは「うどん肉」と言っていた。

なぜかといえば、「天丼」「肉丼」との混同を避けるためである。天ぷらそばなら「そば天」だ。基本的に丼もの優位の呼称だが、麵類だとうどんとそばの区別があるので、それを明確にするためにも「うどん天」「そば天」といった逆順の呼び方のほうが間違いが少ない。鍋焼きうどんのように、ほかに混同するアイテムがない場合はそのまま略して「鍋焼き」だし、うどんとそばの区別があっても丼物とかぶらなければ「こぶうどん」「こぶそば」のように正順だった(「こぶうどん」は「こんぶうどん」の略。余談だが、東京五輪記録映画で何かと話題の河瀨直美監督が、近所の専門学校に通っていた時代によく食べていたらしい)。



 そんななか謎だったのが、ごはん(ライス)のことを「シマ」と呼んでいたことだ。

大盛りなら「大(だい)シマ」、小盛りなら「小(しょう)シマ」。幼い頃の夏休みとかの朝ごはんには、よく玉赤(ぎょくあか:赤だしの味噌汁に玉子を落としてポーチドエッグ風にした裏メニュー)と小シマを食べていた。【1品目】で書いたとおり、ウチのごはんは店のメニューから注文するシステムだったので、中学高校時代も「肉いためとシマ」「焼き魚とシマ」など、何の疑問もなく注文していたが、今にして思えば「シマって何なの?」って話である。 



 大阪で外食していたときも、よその店で「シマ」とは聞いたことがなく、ネットで検索してもよくわからない。父親が存命のうちに聞いておけばよかったのだが、その機会がないまま父は他界。今年の正月に今さらながら母に聞いてみたら「堂島のシマや」と言うのだが、いやいやいや! 確かにウチの店があった大阪の堂島地区は江戸から明治時代にかけて米取引所として栄えた土地であり、我が母校の堂島小学校(今はもうない)の校章は稲穂だし、北原白秋作詞の校歌にも「名に負う米市」「徽章は垂り穂よ」というフレーズがある。が、発音としては「どうしま」ではなく「どうじま」だ。それがなんで「シマ」になるのか。



 まあ、だいたい親の言うことは適当だし、ウチの母もだいぶ認知が怪しくなっているので、本当のところはわからない。自分の推測としては「白米=白まんま」の略で「シマ」かと思っていたのだが、真相はいかに? 「ウチでもシマと言っていた」「由来を知っている」という飲食業界の方がいれば、ぜひお知らせいただきたい。



 



文:新保信長