欲望の美術史

宮下規久朗 肖像画と死 喪失が求めた「埋め合わせ」

【欲望の美術史】宮下規久朗 肖像画と死 喪失が求めた「埋め合わせ」
【欲望の美術史】宮下規久朗 肖像画と死 喪失が求めた「埋め合わせ」
その他の写真を見る (1/2枚)

 大阪市立美術館(大阪市)で「ルーヴル美術館展」が開催されている(来年1月14日まで)。世界最大の美術館といってよいパリのルーヴル美術館の名品展は今まで何度も開かれてきたが、今回は誰もが知る名作というより、肖像芸術というテーマによる展覧会となっている。古代エジプトから近代にかけて、絵画も彫刻も含めた多様な肖像芸術を見比べるよい機会となっている。

 西洋美術は、山水や花鳥を重視した東洋とちがって、人物像がつねに中心となってきたが、特定の人物を表現する肖像芸術の歴史も非常に古かった。人は写真が発明されるはるか以前から、記録や記念、あるいは権力の誇示のために、自分や家族の姿を残そうとしてきたのである。

 古代から伝えられてきた「絵画の起源」という逸話は、ギリシャのある女性が故郷を離れてしまう恋人の横顔の影を炭でなぞったことにあるという。

 これが本当に最初の絵画であったとは思われないが、親しい者の似姿をとどめたいという欲求は、まちがいなく美術というものを生み出した大きな動機である。そしてそれは、目の前の人間の記録というより、もう会えないという不在を埋め合わせるために生み出されたものであった。

 肖像画や肖像彫刻はもっぱら誰かが亡くなったときに、記念や追悼のために制作されるものであった。墓碑や墓廟彫刻の多くも、故人の姿をとどめるものである。生前に肖像を作らせることができたのは王族などごく限られた階層にすぎなかった。

 遺体をそのままの状態で保存しようとするミイラの慣習も、こうした需要と関係する。ローマ帝国の写実主義の影響を受けたエジプトのミイラ肖像画は、遺体の顔の部分にはりつけ、生前の姿を長くとどめようとするものであった。本展の出品作は、若くして亡くなったであろう女性の生き生きとした表情が見事にとらえられている。

 この展覧会で目をひいた異色作「パンジーの婦人」は、女性の半身像とともに「見えなくとも私は覚えている」と書かれた巻物が描かれ、背景には「思慕」を表すパンジーが散らされている。妻を失った夫が描かせたものであることはほぼまちがいないだろう。この板絵は作者も制作地も不明だが、亡き妻への哀惜の念が伝わってくる。

 肖像という芸術を成り立たせてきたのは美の追求などではない。身近な者を失った者のどうしようもない喪失感が切実に求めたものであり、それによって制作された遺影がこうした悲嘆を少なからず癒してきたのである。(美術史家、神戸大大学院 人文学研究科教授)

会員限定記事会員サービス詳細