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田嶋陽子さん、未来の日本人女性は幸せですか?

ある世代にとって「フェミニスト」という言葉からまず思い浮かべるのは、田嶋陽子さんという存在だろう。90年代にTVを賑わせた、男女間の格差や差別に真っ向から向き合う姿は、今も多くの人の記憶に焼き付いている。当時より環境や人権問題に皆が敏感になっている今、フェミニズムの先駆者である彼女は、日本女性の未来をどう見つめているのだろうか。

「スカートって、ステージ以外では30年ぶりくらい」。そう笑いながら新緑が眩しいローズガーデンで、薔薇に囲まれサカイのドレスを着こなす姿は堂々たるもの。「スカートはフェミニズム的に抑圧のシンボルのようなものだけど、自分が自立したならスカートだろうがパンツだろうが好きなものを選んで何を着たっていい。それこそが自由よね」。

90年代、フェミニストの先鋒としてTVを沸かせた時を経て今、若い世代を中心に再評価の波も高まっている田嶋陽子さん。激動の時代の今、女性はどう表現すればいいのか。常に矢面に立って闘ってきた先輩女性にヒントを聞くため、コロナ禍の移動制限が解除されたばかりの週末、彼女が長年住む軽井沢を訪ねた。

時代は良くなってきたけど、もっと怒ることが大切。

ブルーのドレス ¥138,000  サンダル ¥65,000/ともにSACAI(サカイ)、ペンダント¥1,090,000  リング ¥1,380,000/ともにTASAKI(タサキ)

──久しぶりのドレスの着心地はいかがですか?

田嶋陽子(以下・田嶋) 普段まず着ない綺麗な服で素敵だよね。でも、慣れればいいんだろうけど、気づけば足が丸出しになって、やっぱり女性の服は気を遣う(笑)。昔、私が31〜32歳で英国留学から帰国して大学に就職したとき、パンツ姿で講義したら、男の先生に「君、女だろ? スカートはいて」と言われたんだよね。女はこういうものを着るんだとレッテルを貼られた時代。

それを思うと、今は女だから男だからとお仕着せじゃなくて、何を着ようと自由。自分の判断で動きやすければパンツをはいて、おしゃれしたいと思ったらスカートをはく。素晴らしいと思う。少しずついい時代になってきているよね。

──そんなフェミニストの先駆者として、今、田嶋さんの過去の活動の再評価が活発です。

田嶋 去年から何かね(笑)。だから今、こうして取材を受けたり原稿を頼まれたりしてすごく忙しいんだけど、それももうすぐ終わると思って我慢してる(笑)。でもね、私が見る限り今の女性は本当にいろいろ活動して頑張っているし、男性も若い人は子育てをちゃんと悩むようになって変わってきている。自分がかかわる出版界や新聞にしても、署名記事も昔は男性ばかりだったけど、今は実に女性が増えて、媒体によっては半分以上だったりする。良くなってきてるよ。

ここのところの世界を見ても、今回のコロナ禍に限っていえば、早々と対策をとって終息させたのはトップが女性の国ばかり。ドイツのメルケル、ニュージーランドのアーダーンはじめ、スウェーデンを除いた北欧4国に、台湾の蔡総統も女性で、片腕のデジタル大臣の唐鳳はトランスジェンダー。最新科学を使った対策が見事だった。それに引き換え、経済第一のマッチョな大統領をもつ国はアメリカもブラジルもひどい状況だよね。

それでも、女性はここまで頑張ってきて、日本の女性もどんどん実力をつけているのに、「ガラスの天井」ってよく言うけど、もう一つ上に行けないという印象もある。特に組織の中では今一つ力を発揮できていないんだよね。女性自身もどこか「大きなものを扱うのは男でないと」という意識が残っていて、自ら出ようとしないし、出ても会社で叩かれるから怖い。「ガラスの天井」って女性の中にもあるんだよね。勇気を出して飛び込めば受け入れてくれる男社会もあるけれど、大体は頭を叩かれるのが嫌で、日本の女性たちは今、足踏みしているように私には見える。

事実、昨年の世界のジェンダー・ギャップ指数で日本は153カ国中121位で先進国中最下位。OECD(経済協力開発機構)には「日本は人間資源を無駄にしている」とまで言われて、それは女性を人間として平等に扱っていないことを指しているわけ。そこまで日本は世界から指摘されているのに、「女性活躍社会」なんて言いながら、やっぱり国、行政が変わらないから、待機児童問題にしてもすべて中途半端。コロナのことで多くの女性のパートや派遣の人たちが仕事をなくして苦しんでいるのに、目に見える政策もやってない。

そういうことに対して、皆、ちゃんと怒っていかないといけないよね。今、アメリカで黒人の命を守ろうとあらゆる人種の人たちが「BLACK LIVES MATTER」のデモをやっているけど、あれですよ。日本でも伊藤詩織さんが性暴力被害を訴えて裁判で勝った。そうやって皆がきちんと正しいやり方で怒れば、少しずつでも世の中は変わっていくのよ。

女性に関する問題について真摯に話す姿は、79 歳を迎えた今も衰えることなく熱く、力強い。

──実際はモヤモヤしながら、どう怒っていいのかがわからない人も多いように思います。

田嶋 それはね、やっぱり勉強しなくちゃいけないよね。皆、自分たちが何でこんなにモヤモヤしているのか、何で不安なのかわかってないと思う。どうして生活が苦しいのか、税制のことも知らないと思うよ。今は結婚しても女性は自分のためにも働く時代になって、いつの間にか共働きが専業主婦家庭の2倍になってる。でも、専業主婦家庭に比べて税の控除がない。それを何で共働きの若い夫婦たちは怒らないのか。不公平な税制度を変えたら、若い人たちの生活ももっと楽になるのに、あまり皆、そういうことに関心ないよね。

──社会の問題を自分たちの問題として捉えられていない、と。

田嶋 そう。今の30~40代女性の母親世代は大体、専業主婦だと思うけど、例えばその母親が人生に文句を言っているのを見ただけでも、何か感じられるはず。その文句の背景には、確かに主婦は住民税も、年金や健康保険の掛け金も払ってないけど、じゃあその払わなかったお金で自分が自立できるかと言えばそうじゃない。

国がある時期、専業主婦の労働対価は月25万円相当だと数字を出したけど、他の家庭で家事労働をしたらお金がもらえて、自分の家庭のためだともらえないわけでしょ。自分のお金がなければ何もできないし、仮に離婚しようとしたら、それは死ぬことと同じぐらい大変。お母さんは何であんなに怒っていたんだろうと、自分の家を見渡すだけでも社会の問題は見えてくるよね。

時間がかかった、母の抑圧からの解放。

25歳の大学院生のとき初めての海外、イタリアへ。

──正に田嶋さんのフェミニストの核の部分は幼少からの母親との関係にあったと、著書『愛という名の支配』(新潮文庫)で語られていますね。

田嶋 母は厳しい人でした。私が小さい頃に脊椎カリエスという病気で寝たきりになった母は、ベッドから竹の物差しで私を叩きながら「勉強しろ」と言ったかと思えば、私が拗ねると「いくら勉強ができても可愛くなければ嫁のもらい手がなくなる」とまた叩く。常に青信号と赤信号を両方出されていたようなもので、それが私を苦しめたんだよね。

母は病で死にそうだったから私に自立させたいという思いがあった。そして私は勉強するようになって、それが自立する小さなきっかけになった。一方で、「女だから女らしくしなさい」と言われる。「女らしさ」ってときには黄色信号のようなもので、行こうか行くまいかいつも迷ってしまう。そういった矛盾が私のフェミニズムの原点になったよね。

──なかなか母親との関係のトラウマから抜け出せない女性も多いと思います。田嶋さんはそこから実際、どう解放されたのでしょうか。

田嶋 いやぁ、私も時間がかかったの。「女らしくしなさい」と抑圧されながらも、母は病気で死ぬんじゃないかと不安で、やはり大事な存在だったから、母の言葉が心から捨てられない。学校ではなまじ勉強ができたから先生にまで「女なんか勉強ができてもメンスがきたら終わりだ」と言われて芽を摘まれた。でも、中学校のときから小説を読んで、高校でも授業をサボってまで図書館で世界中の文学全集を読んで自分の世界を作ったのは大きかったよね。

高二のときすでに、医者志望の姉と専業主婦志望の妹の葛藤を描く小説を書いたりして、その頃から母や先生の私に対する態度が理不尽だと思うようになったの。だからと言って、「女らしく生きなければいけない」と躾けられたメンタリティからなかなか解放されなくて、情けないことにやっと46歳のとき、母が私に抑圧的な態度をとったある日、「お母さん、これは私の問題だから私に決めさせて」と死ぬ思いで言えた。

40代初め、2回目のイギリス留学の頃。

それからだよね、解放されたのは。TV(「笑っていいとも!」「TVタックル」)に出始めたのはその3年後。それまでもとりあえず職は得て頑張っていたけど、私のなかで深く根付いた抑圧から自分を解放するのに本当に時間がかかった。そして『愛という名の支配』で、これまでの自分に起きたことを全部書いて、やっと自分になれた。自分は今まで何で苦しかったのか、それを書きながら自分で解いていったんだよね。

結構、恋愛も自分を解く手助けになって、最後の恋愛が終わったのがやはり46歳のとき。DVに遭う女性が次にまた似た男を選んでしまうように、私が選んだ相手にはデジャビュ感があった。あとでわかったけど、その人の私への接し方が母に似ていたのね。彼とトラブルがあるたびに、わけわかんなかった子どもの時代の苦しみの実態が俯瞰できて整理されていった気がする。だから、私の人生は46歳ぐらいから始まったの。悔しいからその倍は生きてやろうと、92歳までは生きようと頑張ってる(笑)。

「女らしさ」を生きない。「自分」を生きる。
──素晴らしいです。正しく怒ったり、表現するためには、果敢に自分を知り抜くことが鍵ですね。

田嶋 やっぱり苦しかったからね。苦しいってことは屈辱的じゃない。苦しさの中には得体の知れない鬼がいて、その鬼が自分を苦しめているわけでしょ。その鬼の正体を私は見たかった。たまたま私は一生懸命勉強してたから、抑圧のこと、フェミニズムのことを勉強して、その鬼の正体が私の場合「女らしさ」であり、その背後にある「性別役割分業」であり、さらにその後ろにある男優位の世界だった。だから、勉強をしていかないと、自分で自分の謎を解いていくことはできないよね。

そして、「何でこんなに女が痛めつけられなきゃいけないの?」「何で女は男の飯炊きやパンツ洗いばかりやらされてるんだろう?」というところに行き着いて、「女はパンを、男はパンツを」とTVでも言うようになった。つまり、女は自分のパンは自分で稼げ、男は自分のパンツは自分で洗え、ということよね。自分の生活は自分でマネジメントして、人任せにするな、って。

──「女らしさ」の裏にはそういうカラクリがある……。

田嶋 「女らしさ」を生きれば「男らしさ」を生きる人、即ち男性をヘルプする役目にしかつけないわけ。つまり、「女らしさ」をやると本来の自立した人間には育たないの。大体、仕事を持って強く生きている女性は昔から表向きは「あら~ん」と言いながら、陰ではしっかり人間を生きている。だけど、男に養われて男の機嫌をうかがってなきゃいけないと自分になりきれないから個性が発揮しにくくなっちゃう。そんなのフェアじゃない。

だからね、女は絶対「女らしさ」で生きちゃいけないんだよ。じゃあ、女はどうやって生きるのか。「自分を生きる」。自分が快適に、一番自分を大事にして表現できるように生きる。でも、女性にとって「自分を生きろ」って実はとても難しいから、最近はもう私もケツをまくって「女も皆、男らしく生きろ」って言ってる(笑)。

いわゆるいい意味の「男らしさ」の要素ってすごいじゃん。経済力、決断力、独立心があって、夢があって、いろんなものを実現していく実行力。昔話の桃太郎も金太郎も優しくて力持ち。最高じゃん。何で女がそれになっちゃいけないの。女だって、そういう力、素質をみんな持ってるんだよ。ただ、従来の女らしさの持つ丁寧さ、優しさ、淑女らしさとかが欠けていくかもしれないけれど、それなら自分で責任取ればいい。

「お前、嫌われるよ」と言われても「どうぞ嫌ってください。私はこう生きたいんだから」と、それでいいの。もはや女らしさとは、女の生き方ではなくファッションアイテムの一つみたいなもの。せいぜい爪の垢ぐらい残して、今晩、彼や亭主のほっぺをちょっと撫でる程度の優しさで充分(笑)。

自分の弱さや辛さを伝えられることは「強さ」。

50代初め、大学での授業風景。

──女性自身が人間として育つために、「男らしさ」で生きるというのは逆手にとった発想ですね。

田嶋 ただ、「男らしさ」に関する興味深いことを宗教学者の島田裕巳さんが言ってたのね。彼が最近書いた安楽死の本(『安楽な最期の迎え方』徳間書店)の中で対談したんだけど、曰く、私と同世代の男は「死」が怖くてしょうがないらしい、と。すべてを妻にまかせてずっと会社で仕事オンリーで働いてきた人は、死と向き合えないと言うの。

「男らしさ」の悪い面として、意味のない怒りや支配欲、デリケートなものにも「俺は男だ」と強がらなきゃいけない。そう考えると「死」は人間にとって一番デリケートで弱い部分。その弱い部分を見て内省的になれば、いわゆる男らしさと両立できなくなるじゃない。その弱さを見るのが怖いんじゃないかと、私は思う。そういうデリケートな部分から出てくる優しさや柔軟性のような人の柔らかい部分は「男らしさ」からすれば弱みになっちゃう。本当はそれを認めることが強みなのに、弱みとしか捉えられないから、死と正面から向き合えないんだと思うんだよね。

──ということは、女性は絶えず問題を抱えて生きている分、自分の心を省みる機会に恵まれている?

田嶋 そうね。女性のほうがそういう意味では複雑で、いい意味で優しくて知的で柔軟性があってそれが強みになる。その本来の豊かさを解放するのに必要なのが、さっきも言ったいい面での「男らしさ」。私たちは人間だから、男らしさに相当する資質は皆、持っている。どう伝えるかを考える判断力や知識は昔なら男に属するものだったけど、人間として女性も持っているその資質を意識的に使う。

「いや、私なんて……」と言ってちゃダメ。正々堂々と、それこそ選挙演説できるぐらいにどうしたら人に伝えられるか頭で考えて、きちんと表現しなきゃ。それでも今は優秀な女性が増えて、あらゆる分野に女性の顔が見えるようになってきた。その活躍は素晴らしいと思う。そういう女性たちは皆、自分の弱さや優しさをきちんと表現できて、女らしさと男らしさ、弱さと強さを共存させている人たち。苦しい、辛いということをきちんと表現できるということは強さだからね。

女性はそういう内面のネタはすでにあるわけだから、もう一つ強くなって、それを仕事としても生かしていけるといいよね。精神力と知識の筋力は必要。今、カルチャースクールに行って勉強しているのは女性ばかりだけど、その次は勉強していることを表現できるようにしないと。

TVは拡声器だからいつか芽が出るかもしれない。

男性出演者とのトークバトルが人気となった「TVタックル」。意外にもTVなどでの活動を始めたのは50代近くになってから。

──その一方でSNSの時代になって、何か言ったら叩かれそう、という空気も感じます。

田嶋 それを言うとね、私がTVに出ていた90年代、私の発言は男だけじゃなくフェミニズムを学問レベルで考えていた同業の女性からも嫌われていたの。「男はパンツを」とTVで言う私はフェミニズムを汚していると叩かれて、まあ、悪口言われっぱなし。それでも女性の半分は私の味方だと思っていたけれど、「田嶋陽子が好き」なんて、当時たとえ好きでも人前で言うと誰かしらに攻撃されるから、誰も言ってくれない。電車の中で私を見つけて「よく言ってくれた」と泣きながら声をかけてくれた若いお母さんがいたけど、私と二人だと言えるけど人前では言えない。それぐらいあの頃、私は孤独で辛かったの。

当時、朝秘書に会えば「またすごい暴言がパソコンに届いているんだな」と、顔を見ただけでわかった。で、その内容を見ると、もう私が何を言っても仕方ないレベルなの。その人たちはその人たちの論理の組み立て方があって、私の組み立て方と全く違う。反撃するならその組み立て方から壊していかないといけない。もう、それは私には時間がなくてできないと思った。それでどうしたか。秘書に伝えたの。どんなに悪口を書かれても私は見たくないから一切報告しなくていい、と。

だから、SNSもネットも見ないから、今も何を言われてるか全然知らない(笑)。それが自分の防御方法。すごく原始的だけど、生き抜かなきゃいけないから。自分の言っていることは正しいと思っているし、気力をくじかれたくなかったから仕方がなかった。そう考えると、伊藤詩織さんのように心ないバッシングをされて、それをきちんと裁判に訴えるって素晴らしいことだと思っているの。本当に頑張ってほしい。

当時、それでも、私がバッシングされながらTVに出続けたのは、尊敬するフェミニストの駒沢喜美さんが「TVは拡声機だから、いつかあなたが言ったことは種が落ちて、もしかしたら芽が出るかもしれない」と励ましてくれたからなのね。

「女」という1文字に、全身全霊を込めて。近年、田嶋さんが歌手活動と並び熱心に取り組んでいる「書アート」とともに。その腕前は内閣総理大臣賞を受賞するほど。

──正にその芽が今、若い世代に響いているわけですね。

田嶋 それもあまり私には実感できなくて。でも、最近は30〜40代の男性で声をかけてくれる人もいるの。「子供の頃に先生のTVを見て〝へー〞と思って、それ以来ずっとファンです」って。「親と一緒に見ていて、あの頃は変なこと言う人だなと思って印象に残ってたけど、大人になってどういうことなのかわかった」と。ああ、こういうこともあるんだ、これからの若い男の人はいいなと思ったよね。そうやって裾野が広がっていく。

一足飛びではないけれど、面白い女の人もいっぱい出てきている。やっぱり、女だ男だと区別して差別されるより、人間は人間になりたいし、どんな道を通ったって、人間になるように努力するのが私たちの性だと思う。だから、私は未来に希望を持っている。皆、お互い、楽になって楽しくやりたいじゃない。男性とも喧嘩腰じゃなくて。

──はい、お互い楽になりたいです(笑)。ちなみに田嶋さんのいい男の条件とは?

田嶋 やっぱり気持ちが通じて、お互いにちゃんと話し合える人がいたらいいよね。話し合うって対等な関係でなきゃダメだから。セクシーというものも、話し合って生まれてくるものじゃない? だけど大抵、皆面倒くさいから外見だけで、短距離でやっちゃうんだよね。でも、どんな女、男だってきちんと話し合えてハートに届けば、それが私は人間の本当のセクシーさだと思っているんだよね。

Photos: Yoshie Tominaga Stylist: Chikako Tanifuji Text: Hiromi Yoshioka Editor: Gen Arai


Profile 田嶋陽子(たじま ようこ)
英文学、女性学研究者。1941年岡山県生まれ。津田塾大学大学院博士課程修了後、2度のイギリス留学を経て大学で英文学、女性学を教える。89年と90年に日本青年館主催「花婿学校」での講師が評判となり、「森田一義アワー 笑っていいとも!」にゲスト出演。フェミニズムの観点から発せられる明快かつ歯に衣着せぬ言葉は大きな反響を呼び、1回だけの出演のはずが週1回のレギュラーに。以後「ビートたけしのTVタックル」など多数出演。母親との確執など、自身の体験やトラウマが起点となった彼女のフェミニズムは近年、若い世代を中心に再評価が高まっている。