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ジャイアントパンダを抱っこしたり、並んで寝そべったり、直接エサをやったり――。「こんなことできるの!?」と驚くような写真の数々を見せてくれたのは、大のパンダ好きで知られる文筆家・藤岡みなみさん(33)。パンダ(カンカン、ランラン)の来日から50周年を迎えるのを前に、「パンダ沼」にはまって25年という藤岡さんにその魅力を聞いた。(読売中高生新聞)
至近距離でパンダと接触「来たかいあった!」
――腕枕をして添い寝したり、エサを手渡しで食べさせたり。さほど「パンダ好き」じゃない人でも、うらやましくなってしまうような写真ばかりです。こんな体験、どこでできるんでしょうか?
「中国・四川省の『パンダ保護研究センター』で飼育ボランティア体験をしたときの写真です。子どもの頃から動物園で眺めるだけだったパンダに、どうしたらもっと近づけるか。考えた末に、中国に行くことにしました。2012年8月のことです。
旅行会社を通じて日本から申し込めるツアーもありましたが、当時は半日ほどしか体験できないものばかりでした。でも『もっと長い期間、パンダのそばにいられる方法がある』といううわさを聞き、中国人の友だちにも情報収集をお願いして、最終的にセンターに個人で直接申し込むことができました。
到着して受け付けを済ませた後、誰かが丁寧に案内してくれるわけでもなかったので、着替えて飼育員さんを探し回っていました。するといきなり、オリを挟んで50cmという至近距離でパンダとご対面。これだけで『来たかいがあった!』と思いました」
――飼育ボランティアって、具体的には何をするんですか。
「メインは、エサの竹の入れ替えと、フンの掃除です。
動物園にいるパンダ、いつも竹を食べているイメージがありませんか? 本当にその通りで、1日に約20kg食べる子もいるそうです。リンゴやニンジン、黒糖パンのようなおやつをあげることもありますが、口に入れる物の9割が竹や笹だといいます。
かつては肉食でしたが、生活環境が変わっていくうちに草食になったといわれています。なのに消化器官は“肉食仕様”のまま。竹を食べても上手に消化しきれず、栄養の摂取効率があまりよくないのだとか。だから、その分、量を食べ続けなければならない宿命なんです。
肉を食べないからか、フンの掃除中もいやなにおいはしませんでした。むしろさわやかないいにおい! 食べ終わった竹とフンを回収するので、1日目ですぐに全身筋肉痛になるほどの重労働でした。それでも自分にとっては、パンダの近くにいさせてもらえるだけで“ご褒美”でした」
触るために「3分で5万」
――4日間、ひたすらエサやりと掃除を?
「ボランティアは誰に管理されているわけでもなく、掃除をしてもよし、疲れたら休んでもよし。ノルマも特にないのですが、頑張っていたら、飼育員さんに認めてもらえたのか、リンゴなどのおやつを直接食べさせてあげる機会にも恵まれて、この上ない喜びでした。
だけど、もっともっと近づきたいという欲が出て、最終日にパンダに直接触れられる“有料特典”に申し込みました。当時3分で5万円ぐらいだったかな。高額でしたが、パンダの保護活動に使うそうなので、役立てるなら、とも思いました。
ぬいぐるみとたわしの間のような触り心地は、今も忘れられません。もったいない気がして、しばらくは手を洗えませんでした」
――現地の飼育員さんとの会話は日本語も通じるのですか?
「中国語だけです。いつか、中国でパンダに会いたいと思い、大学で中国語の講義を取り、独学でも勉強を続けていました。だから『かわいいですね』『何歳ですか』といったパンダに関する会話はなんとかできました。当時まだ中国語初級だったので、普通の世間話なら30秒も続かなかったと思います」
――そこまでジャイアントパンダを好きになったきっかけは、何だったんですか。
「もともと、小さい頃からパンダが好きでした。それに、体操着入れや筆箱にパンダのマークをつけていたり、ノートに自分でパンダを描いたりしていると、同級生から『かわいいね』と声をかけてもらえるのがすごくうれしかったんです。父親が転勤族のため、転校することがたびたびあったのですが、パンダがお友だちを増やしてくれていた、というか(笑)。
もっともっと、本格的に好きになったのは、小6のときです。兵庫県に住んでいて、自宅の近くに神戸市立王子動物園がありました。
小6だった2000年夏、コウコウ(オス、初代は2002年に中国へ返還)とタンタン(メス、26歳)が中国から日本にやってきました。小学生は無料で入園できたので、毎日2~3時間眺めていました。すると、パンダを観察する楽しさがだんだん分かってきました。
タンタンは口角が上がっていて、まるで笑っているような表情なんです。その笑顔に癒やされました。竹の食べ方もきれいだったな。気付いたら、毎日タンタンに会いに行っていました。
中2で東京に引っ越して、当時、上野動物園にいたリンリン(オス、2008年没)もキリっとしてかっこよかったです」
パンダ見たさに徹夜で一番乗り、2番目はまさかの…
――上野動物園でリーリー(オス、16歳)とシンシン(メス、17歳)が一般公開された2011年4月1日のニュースを見返していると、公開初日の「一番乗り」として、藤岡さんがコメントしていて驚きました。
「公開前日の午後2時に動物園に行ったら、まだ誰も並んでいませんでした。でも、『一番乗り』を狙っていたわけじゃないんです。
1972年にパンダのカンカン(オス、1980年没)とランラン(メス、1979年没)が日本で初公開され、5万人の見物客でごった返す上野動物園の写真が頭の中にあって、『早く行かないと間に合わないかもしれない』と焦っていました。
ちなみに、1~2時間後にやってきた『二番乗り』。どんな人なんだろう? と思って振り返ると、実の妹でした(笑)。お互い、『身内かい!』と笑ってしまいました。本当に、偶然なんです!
夜はそのまま徹夜で並びました。動物の鳴き声が聞こえてきて、ナイトサファリみたいで楽しかったです。春なのに、夜は意外と寒くて、上野公園の路上生活者の方が使い捨てカイロを分けてくれました」
――そのリーリーとシンシンの公開は、2011年3月の東日本大震災の影響で公開が10日ほど延期されましたが、4月1日には2万人以上が来園しました。
「夜を明かしたのは私たち姉妹を含め10人ほどしかいなくて、人が増えたのは朝くらいからでした。結果的に、始発の時間に自宅を出れば十分間に合いましたが、いい思い出ができました。
肝心の園内では、ゆっくりパンダたちを眺める時間はなくて“ドライブスルー方式”です。それでも、対面できたときには『お互い、お疲れさま』と、なんだか心が通い合った気がしました(笑)。
そして思ったのは、見分けがつきやすくていいコンビ、ということ。シンシンは耳が丸いのに対して、リーリーはシュッとしています。パンダはみんな同じに見える、と思っていましたか? 全然違うんですよ。みなさんにもぜひ、『推し』の一頭を見つけてほしいです」
奇跡的な保護の成果
――ちなみに、藤岡さんの推しは……?
「もちろん、すべてのパンダがとってもかわいくて大好きなんですが、思い入れがあるのは、子どもの頃、いつも見ていたタンタンかな。やっぱり“笑顔”に励まされたから。今は高齢(=ジャイアントパンダの26歳は人間の70歳以上に相当)で心臓が悪いそうで、とても心配です」
――コロナ禍の最中に生まれた上野の双子パンダも、性格の違いが表れているらしいです。シャオシャオ(オス、1歳)が「内弁慶」で、レイレイ(メス、1歳)が「マイペース」だとか。
「双子と母親のシンシンが同じ運動場でじゃれ合う姿が見られるのは、1歳半前後のひとり立ち前までなので見逃せないですね。2022年12月末に中国に帰る予定のシャンシャン(メス、5歳)ともできる限り会っておきたいです。
今、世界中にいるパンダは2500頭ほどだそうです。かつては国際自然保護連合(IUCN)の『絶滅危惧種』に指定されていたのですが、人間が頑張って保護した結果、少しずつ数を増やして、2016年に緊急度が1段階低い『危急種』になっています。
パンダの繁殖の難しさを思うと、奇跡的だと思います。よく知られていることかもしれませんが、子作りのチャンスは1年のうち、たった数日間ほど。無事に赤ちゃんが生まれても、母親が誤って踏みつぶしてしまったり、双子の一方しか育てなかったり。
上野動物園の双子も、飼育員が1日おきに母親と過ごす赤ちゃんを入れ替えていたそうです。そこまでしてやっと公開できるまでに成長したのです。
本当に興味深い動物ですよね。みなさん、『パンダ沼』へようこそ!」(聞き手 スタッブ・シンシア由美子)
プロフィル (ふじおか・みなみ)
1988年8月生まれ、兵庫県出身。上智大学総合人間科学部での卒業論文のタイトルは「社会のなかのパンダ」。STV(札幌テレビ)ラジオ「藤岡みなみのおささらナイト」のメインパーソナリティーを務めている。Eテレ「テレビで中国語」(2014年度)のレギュラー経験も。異文化をテーマにしたエッセイ集「パンダのうんこはいい匂い」(左右社)を発売予定。